ネパール日記  ~ ぺマ ~ | まじょねこ日記

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魔女の大切な仲間の猫たちの日常をみてください

魔女


まだロイヤルネパール航空機が遅延もなく、順調に飛んでいた頃のお話


関空発ロイヤルネパール航空の機内

(現在はRN機は日本に就航していない)


魔女の隣に座ったのは頭の両サイドに稲妻型の剃り込みを入れた若者で

日本人顔なのだが決して日本人ではない風の男の子

チベット系ネパール人に良く見かける顔だ


イカツいB系ファッションで身を包み

仲間らしい人たちはまとまって幾つか前の席にいるのだが

どうやら彼だけが離れて、魔女の隣になってしまったようだ


手に持っているのは財布とパスポートだけ

それ以外の機内持ち込み荷物はない


その手にしたパスポートを魔女から隠す様にして

こちらの目を気にしている


んなもの誰も見ないよ・・

とこちらが気を悪くするくらいの態度だ


機内で、彼は仲間の席と自分の席と席を行き来していた

私は私で後ろの席のネパール人と意気投合しており

この陽気で探究心旺盛な男性と話に花が咲いていた

この男性とはこれ以来8年、今も交友関係が続くことになる

彼についてはまた改めて書くことにして・・


RN機は途中寄港地上海に到着

ここで給油のため、乗客はターミナルで40分ばかりの間手足を伸ばす事になる


殺風景な待合室でぼんやり椅子に座っていたら

稲妻剃り込み君が隣にやって来た


そして魔女に向かい、遠慮深げに

「ライターありますか?」 と聞いた


「ありますよ」 と答え、バッグから取り出して彼に渡す

稲妻剃り込み君はタバコに火をつけ・・

自分の財布から百円玉を取り出すと

「これでよろしいでしょうか」 と差し出した


魔女のライター商売はそんなに有名なのか!


魔女 「一回¥50なんだけど・・」


稲妻剃り込み君 「これしかないのですが・・」


魔女 「いいよ、いらない」


稲妻剃り込み君 「でも・・」


魔女 「いらない」


稲妻剃り込み君 「あの・・ 僕はぺマと申します」


風体とは違った丁寧な日本語の言葉遣いは大いに好感が持てた

こんな美しい日本語を話す人間に対し、魔女は珍しく商売気を捨てた


彼はパスポートについて何か言いたげだった

しかし私は人の事には関心がない


だから彼が何かを話そうとしていても、それを促しはしなかったし

何も無理に話す必要などない、とも言った


それでもぺマは小さな声で言った

自分は強制送還者だと言った

パスポートに押された烙印を見られたくなかった、と言った


魔女 「日本はどうだった?」


ぺマ 「え・・」


魔女 「国に仕送り出来た?」


ぺマ 「僕は稼いだお金を全部自分のために使ってしまいました。 それで仕送りをしませんでした・・」


魔女 「そっか・・」


ぺマ 「僕は犯罪人で・・」


魔女 「もういいじゃん、誰かを傷つけた訳じゃないんだから」


ぺマ 「だけど犯罪人が隣の席にいると・・」


魔女 「そんなの気にならない」


それからというもの、ぺマは安心したようで

色々な事を話し始めた


彼はネパールではなくブータンからやって来た若者だった

国では両親が農業をやっているとか、美しいブータンの風景についても語った


そして、日本で幾つかの不法滞在者収容所で知り合った人々からの手向けのメッセージが書かれたものを財布から出して見せた

僕にとって一番大切なもの、と言って見せてくれた

それはチベット人が書いたお経だったり、イラン人が書いたコーランの一部だったり、オーストラリア人が描いてくれたキリストの絵だったり、オランダ人が書いてくれたメッセージだったり、様々だった

彼はそれらをまた丁寧に財布に収めた

その丁寧さが、収容所で不安が募る中、知り合った人々の励ましが彼にとっては大変な救いであった事を物語っていた


物事の良し悪しは別として

人は支え合っていなければやはり不安なんだろうな・・

彼の宝物は私にそう思わせた


語り口は相変わらず静かだったが

日本で5年間、刺激的な生活をしてきたからだろう

ブータンに帰ったらつまらない生活が待っているだろうな・・ 

と話すのは、やはり現代の若者だ


そうこうしているうちにカトマンズに近づいた

ブータンには、カトマンズに降りて、それから入らなければならない

ぺマは一旦ネパールに住むの叔父の家にあずけられ

その後ブータンに帰るという


彼は私の手帳にカトマンズの叔父の家の電話番号とブータンの自宅の電話番号を記して

必ず電話をくれるように言い、カトマンズに降り立った


              ・・・・・・・・・


      まじょねこ日記-Nepal


カトマンズで、ぺマの引き取り先はきっと今回の事でゴタついているだろうと考え、帰国間近まで電話を控えていた

そして帰国2日前、ぺマの叔父宅に電話をした


彼の叔父には、既に話が伝わっていて

名前を言うや、丁寧な感謝の言葉が帰って来た

叔父は言葉を続けた


「ぺマはカトマンズに着くとすぐ、剃髪をし、罰としてお寺で修行をさせています。 今日寺に願い出れば3日後に特別許可を貰ってあなたに会うことが出来ると思います」


しかし私は2日後には日本に戻らなければならなかった

それを伝えるとぺマの叔父は悲しげな声で言った


「それではせめてぺマに伝える言葉をください。 私はそれを必ずぺマに伝えますから・・」


そして・・帰国間際

ぺマ本人から電話をもらった

彼の叔父も一緒に、修行中の寺のお偉いさんに電話をする事を願い出て、許可を貰ったのだという


「まじょさん・・ 今度はブータンでお会いましょう・・」


その後は言葉にならなかった


       ・・・・・・・・・


ぺマはブータンで両親を助け、農業に勤しんでいるのかなぁ

ぺマは日本からどんな思い出を持って国に帰ったのだろうか


「良い事も、嫌なことも、優しい人も、そうでない人もいました・・」


あの時、うつ向きがちに語ったぺマの顔を思い出す