軍団と魔女のこの一週間 | まじょねこ日記

まじょねこ日記

魔女の大切な仲間の猫たちの日常をみてください

8月3日(月) 

             

          禁止 緘口令 禁止   《水玉》


      まじょねこ日記-Rin 0983
          《薀蓄斎子》と呼ぶと振り向く・・


本日、魔女は人間の家族と俺ら軍団に緘口令を布いた


「少なくとも今後2ヶ月間、この家では 『ウンチ』 及び 『臭い』 という言葉を言ってはならない」


「また、軍団も今後当分の間、猫語で 『ウンチ』 『臭い』 という言葉を使ってはならない」


これは当然《凛》が自分の名前を覚えないからであり

且つ、『薀蓄斎子』 にのみ反応するからである


『ウンチ』 と 『臭い』 という言葉を発してはならないというのは、この家の人間にとっても、俺らにとっても相当の重圧だ


8月4日(火)  


       星 夕涼み会   《ジンジン》


今日もみんなで夕涼み会をした

仕事の終わった魔女と僕らでテリャスでいっぱいお話をした

お日様がいる時は暑くて僕らは動けない

だから夕方からテリャスでみんなでふざけたりもした


まじょねこ日記-Yuusuzumi 0986  

上左から《凛》 《水玉》 下左から《ユリぼうず》 《ジンジン》


            まじょねこ日記-Yuusuzumi 0986
              手前 《アゾ》  奥 《ジョン ブリアン》

  カエル 家族②がうろついていて見かけたもの キノコ 


まじょねこ日記-Frog
      でっかい蛙(体長13cm)


            まじょねこ日記-Mushroom
             木の洞に住むでっかいキノコ(直径15cm)



8月5日(水)   

      

     説明のない不在 メラメラ   《ユリぼうず》


魔女は朝から出かけて暗くなるまで帰ってこなかった

頭にきた

なぜ出かけるかの説明もして行かなかったからだ

それで 『魔女が帰って来たら暴れてやる』 と心に決めた


やっと帰って来た魔女は肩のホクロを蚊と間違えて殴りつけ、自分の腕をダッキューさせた

だから僕は病院まで一緒について行ってあげた

そしてかわいそうだったから許して差し上げようと思った


しかし病院から戻ってきた魔女はテレビを見始めて僕と遊ばなかった

それで僕は家庭内暴力を行使した・・


魔女 「《ユリぼうず》、日記はこれで終わり? ・・」


      まじょねこ日記-Yuribouzu 0989
          日記の途中で寝るなっ!!



8月7日(金)

  

   うお座 きれいなお花が咲いてるよ  《涼子》


今朝お庭のメダカさんの入れ物の中からお花が咲いていた

わあ! きれい と思ったからすぐに魔女に言った

このお花はメダカのお子さんの方の入れ物でも咲いてた


      まじょねこ日記-Hoteisou 0987
            次々と咲く布袋草の花

                

       とかげ お連れしました!   《アゾ》

《ア、アジョ》は 今日《もりやさん》の しんせきを おつれしたんです

《ユリぼうず》は毎日 おつれしてます

だけど 《アジョ》は はじめて おつれしたんです


わたし 「ま、まじょ、 こで おみやげなんだが・・」


魔女 「わあ、可愛い! 《アゾ》がお連れしたの?!」


わたし 「はい・・」


魔女 「《アゾ》、どうもありがとうね」


わたし 「あ、あの・・ けっがとか してませんかね だいじょうぶ だろうか・・ どーでしょー」


      まじょねこ日記-Azo 0987


魔女 「どっこも怪我なんてしていないよ、元気だよ!」


わたし 「か、かわいがって くださらんかのう?」


魔女 「可愛がりますとも~!」

      まじょねこ日記-Moriyasan 0987


8月8日(土)  


     汗 ドッペルさん逝く   《ジンジン》


今朝、《ジョン ブリアン》が・・ 鏡を割った

小さな鏡だったけど、魔女の机の上に置いてあったのを落っことして割った


魔女はもう・・鼻くその検査が出来ない 



    パンチ! どうしてそうなるんですか・・ビックリマーク  《水玉》


今日、アトリエでちょっと大きな生徒(中学生)が、どうした訳か足から血をいっぱい流してた

それに最初に気付いたのは僕だったんだけど・・

その事を魔女に言おうとした時、その生徒が足を引きずっているのに気付いた魔女が驚いた


魔女 「コウキ、どうした!」


それからたて続けにこう言ったんだ


「何だその大量の血は! 私がやったのか?!」


この女

人がひどい目に遭っていたりすると・・

自分が加害者かと思う癖がある



8月9日(日)   

      

          戦争と原爆    《魔女》


魔女はいくつかの国で紛争を見ては来たが・・

人が言うところの戦争(第二次世界大戦)を知らない


大規模な戦争がどんなものであるか

それを教科書で読んだりしても・・ 実感は得られなかった


それは正直、自分の中の貧弱な想像力では到底補なえるものではない、という自覚を生む以外のなにものでもなまま、ある時まできた

あの日、一枚の写真を見るまで・・


《 Joe O’Donnell 》  ジョー オダネル

ご存知の方も多いだろうが、彼の撮った一枚の写真


『 Brothers at Cremation Site 』


日本では 『 焼き場に立つ少年 』 と題されている有名な写真だ

私は先の題の方が好きなのだが


原爆投下直後の長崎

ジョー オダネル軍曹は従軍カメラマンとして原爆の破壊力を記録するためにそこにいた

そして、そんな現状を写す一方で、自分自身のカメラでプライベートに長崎の惨状を写した

帰国後、彼はこのプライベート写真をトランクに入れ、自宅の屋根裏に封印した

ジョー オダネルはその後、長きに渡り、目の当たりにした長崎の惨劇に苦しむ事となる


それから43年後、ジョー オダネルはこの屋根裏のトランクを開き・・ 

アメリカを告発する

原爆の悲劇を訴えるために


自らも間接被爆によるガンに侵され

アメリカを告発した事によって、周囲からの非難を受け

友人を失い、妻との離婚も経験し・・


そして、2007年8月10日(9日と伝えた紙面もある) 

その生涯を閉じた


ジョー オダネルは周囲から批判を浴び続けたが

ただ一人、彼の息子のタイグだけは彼の味方であり

今もなお彼の意思を受け継いでいる


写真はインターネットで見ると彩度が強過ぎる気がして、私が見る限りに於いては本来の写真とは少し違う印象を受ける


この一枚の写真が、初めて私に戦争の惨さを実感させ

被災者の悲しみの強さを深く心に刻んだ