IDEAのブログ

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思いつきと好きなこと、関心がある事、書きたいことを自由に書きますが、責任は持ちません。IDEA=(理想)または(知恵)または(思いつき・発想・着想)あるいは(思想・意見)等の意味を含みます。

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【テレビ放送されなかった最終予選】

2022年3月24日、スタディウム・オーストラリア(シドニー)で行われたFIFA2022ワールドカップ・ドバイ大会のアジア最終予選、オーストラリア対日本は、2-0のスコアで日本が勝利し、7大会連続のワールドカップ本大会出場権を獲得した。

前半から攻勢に出ていたがなかなか得点できなかった日本代表は、後半終わりごろに三苫を投入、その三苫が2得点を挙げ勝利した。

試合の内容はともかく、日本が本大会行きを決めたというのに、周囲の盛り上がりはイマイチだった。24日夜のニュースでも、試合結果をダイジェスト的に扱っただけだ。私の周囲では、日本がワールドカップ行きを決めたことを知らない人も多かった。

その理由は、日本代表の試合がつまらなかったから・・ではない。

これまで7大会連続でワールドカップに出場してきた日本にとって、本大会行きを決める試合が放送されなかったのは初めてのことだ。

「ドーハの悲劇」「ジョホールバルの歓喜」に始まり、アジア代表の座をかけた試合は4年に一度の「イベント」だった。試合の数週間前から放映権を持ったテレビ局の告知が始まり、直前には特集番組が放送されたりする。特に今回は負ければ3位に転落して大陸間プレーオフに回る可能性もあり、危機的な状況だった。代表監督の森保一の進退問題さえ取りざたされる事態だった。

【なぜ、テレビ放送がなかったのか?】

今回、オーストラリアでの試合の放映権を獲得していたのは、英国に本拠地を置くスポーツ専門の大手オンデマンドメディアDAZNである。日本国内におけるこの試合の動画はDAZNが独占配信しており、間際になって試合の放送が無いという事を知ったファンは落胆の声を上げた。同時に「独占」配信したDAZNを非難する声も上がっていた。

 

2月1日に埼玉スタジアムで行われたサウジ戦に勝利した夜、日本サッカー協会の田嶋幸三会長は「ワールドカップ決定の瞬間が放送されない可能性がある。自腹を切ってでも放送したい。これは日本のサッカー人口にも影響する」と危機感をあらわにした。

だが、事態は好転しなかった。日本サッカー協会は配信元のDAZNと交渉を続けたが、DAZN側は日本サッカー協会から交渉があった事を公にした上で「ご提案内容が、既にご加入いただいているお客さまやファンの皆様にとってフェアなものではなく、両者の共通認識として交渉は既に終了していると捉えております」とプレスリリースで声明を出した。

この間の協会とDAZNとのやり取りまで公表されると、ファンやマスコミはDAZNを「強欲」と決めつけ、加入者以外は見られないという「狭量」さを責め立てる事態となった。

DAZNにしてみれば、自らの顧客である加入者を大切にするのは至極当然な話なのだが、先に書いたようにワールドカップ最終予選は日本人にとって特別なものであり「独占配信」を主張するDAZNを非難する報道は、マスコミの間からも出ていた。

【発端と経緯】

ワールドカップアジア予選の放映権を管理しているのはAFC(アジアサッカー連盟、FIFAの下部組織)だ。AFCは運営費調達と未来への投資のため、中国とスイスの資本が合弁で作った配信会社「DDMCフォルティス」と8年20億ドル(日本円で約2,400億円)という巨額の放映契約を結んだことだ。

AFCが運営資金確保のため、放映権ビジネスに進出したのは2005年、今から17年も前のことだ。日本の民放で最もサッカー日本代表の試合を放送しているテレビ朝日が同年の契約を結んだ際に支払った放映権料は4年契約で90億円ほどだったと言われている。その後契約は更新され、最終的には4年で170億円ほどに高騰していたが、まだ何とかできる範疇に収まっていた。

2018年、AFC主催試合に関する放映権の入札が行われた。応札したのは先出のDDMCフォルティスと「ラガルデール・電通・パフォームグループ(DAZNの前身・現親会社」の2者だった。結果、落札したのはDDMCフォルティス。8年20億ドルという巨額の契約はスポーツコンテンツビジネスとして成立するのか?という声もあったほどだ。

実際、AFC主催試合には以下の大会が含まれる。

  • 代表
    • アジアカップ
    • U-23アジアカップ(オリンピック予選兼ねる)
    • U-19チャンピオンシップ(U20ワールドカップ予選兼ねる)
    • U-16チャンピオンシップ(U17ワールドカップ予選兼ねる)
    • ワールドカップアジア予選
  • クラブ
    • AFC チャンピオンズリーグ(AFCランキング1位から14位の国のクラブの対抗戦)
    • AFCカップ(AFCランキング15位から28位の国のクラブの対抗戦

これらの大会を含むセット販売という事になるが、確実に人気のあるコンテンツはワールドカップアジア予選とAFCチャンピオンズリーグの決勝戦くらいのものだ(事実、それ以外の試合・大会はテレビどころか配信すらされていない試合もある)つまり、AFC主催試合については放映権料ビジネスが成立するのは一部だけという見方が大筋だ。

案の定、2022年からの放映権料の提示額は桁違いに高騰した。一説には4年で1,000億円以上が提示されたという話もある。

DDMCフォルティスはFMA(Football Marketing Asia)というブランドを立ち上げ、放映権の販売に乗り出したが、手を上げる国内民放はなかった。2021年3月からアジア2次予選が始まったが、ここまで一括契約できなかったFMAは、放映権のバラ売りを始めた。国内の民放は日本国内で行われる試合のバラ売り放映権を購入した(フジテレビ、日本テレビ、TBS、テレビ朝日)だが、2022年以降のアジア最終予選の試合は1年を切った段階でも放送するテレビ局が無いという異常事態だった。

そんな中、放映権獲得を断念せざるを得なくなった国内民放に代わって手を挙げたのがDAZNだ。DAZNはDDMCフォルティス(FMA)と交渉し、最終予選も含めたAFC主催の14試合全ての独占放映権(DAZNの場合は配信だが)を手にしたのだ。

【地上波放送へ】

テレビ朝日は何とか日本代表の試合を地上波で放送しようとDAZNと交渉を重ね、日本代表のホームでの5試合の放映権を「バラ売り」してもらうことで、何とか地上波放送を実施できることになった。放映権料は1試合につき2~3億円と言われ、DAZNの契約額から見れば極めて「良心的な価格」である。

この「良心的なふるまい」はあまり報道もされなかった。実はDAZNの有力株主の中に電通がいる。電通はその子会社「Global Sports Investment」を通じて、同社の株式を500億円(時価評価額)ほど保有している。つまりDAZNは電通グループにとってパートナーであり、利益を出してもらわなければならない投資先でもある。電通はスポーツコンテンツに多額の投資を行い、その一つがDAZNだったというわけだ。実際、テレビ朝日とDAZNの件を仲介したのは電通だと言われている。

これにて一件落着かと思われたが、最終予選は思わぬ展開となる。代表が早い段階で2連敗し、その後巻き返す事になったが、なんとアウェーのオーストラリア戦に勝利すれば、敵地で本大会出場が決まるという展開になったのだ。

慌てたのは日本サッカー協会である。「自腹を切ってでも」という田嶋会長の発言は、テレビ朝日が契約したのはホームの試合だけであり、アウェーの試合は放送予定が最初からなかったからだ。(時差の都合で早朝や深夜のキックオフが多く、高視聴率が望めないのが理由)

そこで前出の交渉となるわけだが、もやはテレビ局にもサッカー協会にも、DAZNを納得させる条件を出す事はできなかった。

こうして日本がワールドカップに初出場を果たして以来、初の「テレビで見られない本大会決定試合」となったのだ。

【日本サッカー協会がハマった穴】

田嶋会長はFIFAの理事であり、AFCに加盟する日本サッカー協会のトップとしてそれなりに影響力も発言力もある。現に2019年に行われたAFC会長選挙においては、現会長のアリ・サルファ氏(バーレーンサッカー協会会長)を支持したばかりか「AFCはアジアのサッカー発展のためにDDMCフォルティスと大型のパートナーシップ契約を行うなど、未来への投資を積極的に行っています」と巨額の放映権契約を称賛するコメント迄残している。まさかこれが3年後に自らの首を絞めるとは当時の田嶋会長も思っていなかったのだろうが、AFCが放映権料を吊り上げれば、傘下組織の日本代表の試合も高騰するというのは、想像できなかったのだろうか?

【DAZNは被害者】

私はDAZNを擁護する気はないが、今やスポーツコンテンツの放映権料ビジネスは、こうしたネット配信企業抜きでは成立しなくなっているのも事実だ。日本国内においてもJリーグの試合などは視聴率も取れず、そもそも若年層の「テレビ離れ」が指摘されて久しい。有力なスポンサーも配信業界に流れていると言われ、テレビ局に落ちる広告料は減少傾向にある。民放にかつての資金力を期待するほうが無理というものだ。むしろ民放各局がギブアップしたところを救いの手を差し伸べたのがDAZNなのではなかったか?もしもDAZNが手を上げなければ、テレビ朝日に格安で放映権を販売しなければ、オーストラリアでの試合はもとより、サッカー日本代表のアジア最終予選は1試合もテレビで見られなかったことになる。批判を受けたDAZNこそいい面の皮である。無料配信をやらなかった(商売なのだから当たり前だ)ことで、こんなに批判される配信会社というのもないだろう。

【ワールドカップ2022は?】

こうなると2022年11月に開催されるワールドカップ本大会(カタール大会)の放映権が気になるところだが、インターネットテレビ局の「ABEMA TV」が放映権を獲得したことが先日発表された。具体的な金額は不明だが、一説には200億円程度だという。半額をNHKが負担し、AEBMAが残りを支払い、うち何割か(日本代表の予選3試合分)は、ABEMA系列のテレビ朝日が負担する事が決まったという。

ワールドカップ本大会は2002年の日韓大会以来、NHKと民放各局で構成するジャパン・コンソーシアム(JC)が一括して放映権を管理していたが、やはり高騰する放映権料を負担するに際して足並みがそろわず頓挫していた。この時点でABEMAが手を上げなければ、ワールドカップ・カタール大会は、日本で1試合も見られない事になっていた可能性がある。

ABEMA TVにとっては大きなスポーツコンテンツへの投資だが、これが可能になったのは業績好調な「サイバーエージェント社」の力だ。ABEMA株式会社はサイバーエージェント社傘下のグループ企業であり、多彩なスマホアプリやゲームなどで、コロナ禍においても業績を伸ばし続けたサイバーエージェント社の英断があったればこそ、日本のファンはカタール大会の全試合(64試合)を無料視聴することができるのだ。地上波もテレビ朝日、フジテレビで10試合、NHKでは開幕戦・決勝戦を含む21試合を。そして日本代表の予選3試合はこの3局で生中継する事が決まっている。

【放映権料ビジネスのいま】

「放映権バブル」とでも言えばいいのか、スポーツコンテンツの放映権料ビジネスは、その市場規模を拡大する一方だ。日本代表が初めて出場した98ワールドカップフランス大会の放映権料はおよそ5億円だったが、2018年のワールドカップロシア大会では、放映権料が200億円に跳ね上がった。20年間で40倍に膨らんだのだ。英・ミラー紙によれば、サッカー・プレミアリーグの放映権料は2021年、初めて100億ポンド(日本円で1兆6千億円)を超えたと報じた。

22-25年の放映権の入札で、特に海外向けが12億ポンド(約1900億円)から53億ポンド(約8500億円)に高騰したことが主な要因になっているという。サッカーを離れれば、さらに巨大なマネーが動いており、米プロフットボールNFLは年間の放映権が1兆円を超えるというから驚きだ。

【IT企業の躍進とテレビ局の地位低下】

その中で存在感を増しているのが、国境に関係なくメディア事業や配信サービスを展開できるインターネット関連企業だ。プレミアリーグにしても2019年から放送を手掛けてきたDAZNに代わって、動画配信サービス「SPOTV NOW」(以前の「SPOZONE」)を運営する韓国のエクラ・メディア・グループが放映権を獲得したと英メディア・スポーツビジネスが報道。日韓で計2600万ドル(31億2000万円)だった放映権料は、今回5670万ドル(約68億円)まで高騰したと伝えている。また、アップル社はMLBの金曜日2試合の放映権を8500万ドル(約98億円)で取得。「フライデーナイト・ベースボール」としてAppleTV+で配信することを決めるなど、大手企業もスポーツ配信ビジネスに乗り出している。世界的にみるとスポーツ中継における放映権交渉の主役は、もはやテレビではなくインターネット配信業界に移った感がある。

その意味ではDAZNのAFC主催試合放映権獲得はやや不思議な感じがしないでもない。スポーツコンテンツを配信するビジネス市場は成長しているものの、収益力がそれほど高いわけではない。DAZNグループの株式の80%近くを保有する「アクセス・インダストリー社」は英国に本拠地を持つ投資会社であり、本来スポーツとは何の関係もない。世界ではスポーツコンテンツだけでなくチームやリーグそのものを投資会社が保有しているというのは珍しくもなくなった。当たり前だが投資会社は投資して利益を上げ出資者に配分する会社であり、儲かると判断すればどんなものでも買う。逆に言えば儲からないと判断したら即座に切り捨てる。売却したり不採算な部分を切り売りしたりして損切りする。つまり投資会社は数字にはめっぽうシビアなのである。そうでなければ投資家からの信頼は得られない。

実際DAZNはUEFAチャンピオンズリーグ、UEFAヨーロッパリーグのアジア地域での配信から相次いで撤退している。おそらく放映権料は200~350億円ほどと考えられるが、おそらくアジア地域で配信してもペイできないと考えたのだろう。そのDAZNがAFC主催試合の放映権獲得に打って出たのには、Jリーグの試合放映権を持っていることや電通との関連などが考えられるが、次のAFCワールドカップ予選をDAZNが配信する保証はどこにもない。(大幅な値引きでもあれば別だが)

儲からなければ切り捨てる」が、投資のイロハだからだ。くどいようだが投資会社には扱うコンテンツに対する思い入れなどはない。利益が上がるか上がらないかが全てだ。日本代表の試合が日本人にとって「公共財」と言えるほどの重要な意味を持つなどの論理は、ハナからどうでもいいことだ。この議論のすれ違いが如実に表れたのが、今回の騒動だとも言える。
【放映権料が上がるとどうなる?】
だが、放映権料の高騰は悪い事ばかりではない。収入が増えれば業界は活性化する。例えばプレミアリーグでは、優勝チームに1億7600万ポンド(約280億円)、最下位のチームでも1億ポンド(約160億円)が分配される。JリーグもDAZNの進出により、理念強化配分金として実質的な賞金が大幅に増加。元スペイン代表・イニエスタら大物選手の来日が実現したのはその好例だ。
IT企業がスポーツや配信事業に投資するのも、顧客に受け入れられ、ビジネスとして魅力あるものになったからこそだ。

 

しかしスポーツコンテンツの「完全有料化」には、反対の声も多い。地上波の利点は「テレビさえあれば誰でも見られる」ことにある。放送に関する費用やテレビ局の利益は、全てスポンサーが負担しているからだ。ネット配信にもスポンサーは付くが、経費の大部分は視聴者が負担する「Pay per view」で賄われる。当然ながら配信会社は魅力的なコンテンツ獲得に投資し、配信サービスへの加入者増を目指す。また地上波放送と違い、世界中に加入者を抱えることが可能な配信ビジネスは、テレビとはマーケティングが根本的に異なる。

日本サッカー協会の田嶋会長は「子どもが見られないというのは、サッカーの人気低迷につながる可能性がある」と危機感を募らせている。

「サッカーの普及・大衆化」「底辺の拡大」は協会のみならずサッカーというスポーツ発展に必要不可欠だ。

ただ、昭和の時代に「巨人・大鵬・卵焼き」などと言われ、不動の大衆コンテンツとして位置づけられていたプロ野球も、全国ネットの地上波放送はほぼ消滅(オールスターと日本シリーズは全国放送している)し、いまやネット配信とローカル放送で野球好きが楽しむという構図になっている。日本のプロ野球チームのマーケティングは、ある意味Jリーグより「地域密着型」だったりする。逆に言えば「地域に根付く」ことで生き残りを果たしたのだ。「テレビを囲んで一家団欒」という光景は、既に過去のもの。スマートフォンやタブレット端末、はたまたスマートTVなどで思い思いに趣味の動画を見たり、配信サービスを利用したりといった形が浸透し、配信でのスポーツ観戦への抵抗感は、ここ数年でかなり薄くなっているといえる。

【変革を迫られるメディア】

同時にこの変化は、メディアの多様化という言葉だけでは片づけられない変革を意味している。

MMD研究所が2021年7月12日から8月5日にかけて実施した「動画視聴に関する利用実態調査」によると、1日のうちテレビ(地上波・BS・CS)を視聴する人の割合は50代で93.2%、60代で94.8%と大半を占めるのに対し、20代は85.6%、10代になると76.9%と、年代が下がるにつれてテレビ視聴者の割合が減っている。また、動画配信サービスについては「利用したことがある」と回答した人の割合が全体の61.2%となり、そのうち62.3%が「月額料金を支払って利用している」と回答している。

また、株式会社CARTA COMMUNICATIONSが2021年9月10日から9月12日に実施した「国内動画配信サービス視聴動向および広告評価に関する調査」によると、メディア利用率で最も割合が高かったのはインターネットの91.0%で、テレビ87.3%、動画配信サービス81.0%が続く結果となった。

これらの調査結果から見えるのは、動画配信サービスはテレビに匹敵するメディアへ成長を遂げているということだ。「DAZN」や「ABEMA」のようにインターネット回線を通じてコンテンツを配信するサービスを「オーバー・ザ・トップ」(OTT)と呼ぶが、インターネット環境があればパソコンやスマートフォン、タブレットなどさまざまなデバイスで視聴できる利便性もあり、近年、国内で急速に普及している。

相対的にその地位を下げているのがテレビ局である。かつてメディアの王様だったテレビは、グローバル化の波に完全に乗り遅れている。いとも簡単に国境を越え、SNSで簡単に世界に宣伝でき、世界中に顧客を獲得できるネット配信に比べて、テレビはいかにも「重い」業界だ。

テレビ放送事業というのは実は「施設産業」であり、法的な制約も多い。放送法という規制のおかげで、新規参入を事実上阻んでいる業界でもあるが、新規参入が無いという事は、新陳代謝が起こりにくいという事でもある。その国の政府が免許を管理する許認可事業でもあるテレビ放送では、もはや今の時代についていけないのではないか?何より資金力の低下は明らかで、高騰する放映権料ビジネスへの単独参戦は、事実上不可能になっている。

何より「いつでも好きな時間に見られる」というオンデマンド配信は、ライフスタイルが多様化する現代にマッチするのだろう。スポーツコンテンツ以外でもドラマやバラエティーなど、本放送よりもオンデマンドのほうで人気が高いコンテンツも多い。

コアなファンにとって、有料であることは大きな壁にはならず、逆に時間や場所を問わず豊富なコンテンツを楽しめるサービスとして歓迎する向きも多い。一方のライト層は、動画サイトにアップされる5分程度の「まとめ映像」やスポーツニュースのハイライトで十分。それが忙しい現代人の本音といえるかもしれない。

 

今回のワールドカップ予選の“放映権問題”は、日本のスポーツ中継がいまだかつてない転換期にあることを示している。レンタルDVDがNetflixやAmazon Primeなどネット配信サービスへと急速に置き換わっているように、スポーツの世界でも“主役”の担い手は確実に変わろうとしている。

(この項終わり)

 

 

 

 

 

 

「小室騒動」とでも言えばいいのか、小室圭さんと眞子さんの結婚をめぐる過熱報道は、二人が正式に結婚した今となっても終息する気配がない。むしろ正式に結婚して眞子さんが皇籍を離脱したあたりから、様々な報道が一挙に噴き出した感がある。

今からおよそ3年半前、小室圭さんと眞子さん(当時は眞子内親王殿下)は婚約を発表し、会見に応じた。プリンセスの結婚という明るいニュースに日本は祝福ムードにあふれていたのを覚えている。結婚すれば皇籍離脱になるという事もネガティブにはとらえられていなかったように思う。

 

空気を変えたのは「週刊文春」である。同誌が報じたのは眞子さんの婚約者である小室圭氏の実母である佳代さんの金銭トラブルに関するものだった。細かい経緯は略すが、佳代さんの元婚約者であるX氏が、婚約時代に貢がされた金を返してほしいと週刊誌に告白したのだ。

このX氏と佳代さんは、2010年~2012年の2年間婚約関係にあったが、実際には小室圭さんが子どもの頃から大学生になるまで親しい関係であったとされている。2002年に前夫と死別した佳代さんは、シングルマザーとして働きながら圭さんを育てた。しかし小室圭さんの経歴を見てみると、一般的なシングルマザーではなかなか実現できない「ハイソ」な経歴がそこにある。

更に佳代さんの遺族年金不正受給疑惑まで飛び出した。さすがにこれは後追いするメディアはなかったが、事実なら非難されて然るべきである。しかし何より「加害者・小室側・被害者X氏」という図式を作り上げたのは、元婚約者X氏の「告白」であったろう。

もちろんこれが全て事実かどうかは一般読者には確かめようもなく、記事を掲載した文春が正しい裏付けを行っているだろう事を信じるのみだが、とにかくこの内容が衝撃的だった。曰く「記念写真も撮ってもらえなかった」「食事の時も呼んでもらえない」「大事な家族の行事には一切声がかからない」おまけに佳代さんとX氏のメール等のテキストまで公開され、佳代さんが如何にして金の無心を行っていたかまで白日のもとにさらされてしまったのだ。

これは受け取り様によっては「結婚詐欺に遭いました」と言っているようなものだ。結婚や将来のことまで匂わせ、理由を付けては金を引っ張る。典型的な「結婚詐欺」「交際詐欺」の手口であり、佳代さんは次第に「悪女」のイメージが定着していく。

「母一人子一人で、女手一つで苦労して育て、子供は苦学の末に大学を出て社会に羽ばたき、プリンセスの夫の座をつかんだ」というような、今時無能な脚本家でさえ考えないようなストーリーが、実は日本人は嫌いではない。ドラマになったらたぶん誰も見ないだろうが「皇女の婿」ならそうであってほしいという空気は確かにある。

だがこの「小室佳代」騒動は、そんな日本人の古き良き?価値観をひっくり返した。小室佳代さんは贅沢をするために男を手玉にとる強欲女であり、そんな親の子どもが皇族と結婚するだと?

ワイドショーはこの格好のネタを追い続けた。文春の報道から3年以上の間、良くも悪くもお世話になったメディアは多いだろう。何しろ結婚に際して小室さんがマスコミに公開した文書は「小室文書」と名前が付けられ、全文がマスコミに掲載され重箱の隅を突くような分析が行われた。もちろん母親に関する報道についての説明なのだが、人に対する配慮や責任感に欠けた内容で、批判の炎に油を注いだ。法律家が書くものなんてせいぜいあんなもん、と私などは思っていたのだが、小室さんの婚約者である眞子さんの父である秋篠宮殿下も「配慮に欠ける文書」「血が通っていない」など手厳しい評価だった。マスコミも同調していた。

小室圭さんをかばう気は全くないが、あの時は何を言っても何をやっても批判されていたと思う。婚約会見をしておきながら異例の結婚延期。延期の理由は明確にされず様々な憶測を呼んだ。小室圭さんの母親佳代さんに関する報道は過熱し、小室圭さん自身のヒストリーにまでそれは及んだ。小室圭さんの昔の写真や友人・知人のコメントなども続々登場し、小室圭さん自身も「痛くもない腹」を探られる羽目になったのだ。

おまけに結婚延期の期間において、小室圭さんがニューヨークに留学してしまったことが騒動に拍車をかけた。「逃げた」と受け止められたのだ。もちろんニューヨークで弁護士の資格を取るという目的あっての行動なのだが、マスコミの過熱報道を受け続ける眞子様(当時)がかわいそうだとか、日本の大学でもいいじゃないか等、批判的な意見が多かった。

私も「なぜニューヨークなのだろう?」と思った一人だ。どこで弁護士になろうが彼の自由には違いないが、現実の問題として留学には多額の費用を要する。もちろん元婚約者X氏が返還を求めている金は小室佳代さんが受け取った金であり、小室圭さんが借りたり受け取ったりしたものではない。しかし佳代さんに返済能力もその気も無いという状況において、いち早くこの問題を解決するには、圭さんが返すのが手っ取り早いのだが、そうはいかない。ここで返還に応じれば「金を借りていた」事を間接的に認めることになってしまう。「小室文書」の中では借金ではなく「贈与されたもの」としている圭さんとしては、迂闊に行動に出ることもできなかったのだ。

2021年10月26日に二人は入籍し、晴れて夫婦となった。眞子様は「小室眞子」さんとして今後の人生を生きることになったのだ。入籍後、元婚約者X氏には「解決金」として403万9,000円が顧問弁護士名義で振り込まれた。あくまでも借金返済ではなく「解決金」としてだが、X氏は特にコメントすることもなかった。

12月、小室夫妻は渡米した。金銭問題にも一応のけりが付き、後顧の憂いなく出発できた・・・かどうかは本人たちにしかわからないが、とりあえず日本よりは自由にふるまえる場所に行けるというだけで、メリットもいろいろあるのだろう。

この解決金の出どころや、一部報道で2,000万円以上かかったとされる留学費用の捻出についてなど、種々の報道が飛び交う中、ニューヨークに降り立った二人は新生活に向けてウキウキしているようにも見えていた。

だが、再び事態は暗転する。結婚のため一時帰国する前、7月末に受験していたNY州の弁護士資格試験に不合格だったことが報じられたのだ。「それ見たことか」の空気が漂わないわけでもない中、本人は2022年2月の試験を目指して再び受験勉強に明け暮れる毎日を過ごす事になるという。

ここまで書いて不思議な気分になった。なぜマスコミというか日本人は、この問題に関心を持つのだろうか?たとえ皇籍を離れて一般人と結婚するという事が珍しかろうと、相手が胡散臭い男であろうと、直接的には自分には何の関係もない。例えば税制や法律の変更など、自分にも何らかの影響が認められる事柄とは根本的に性格が異なる。つまりは「どうでもいい」話のはずだが、この4年間、人々の関心が薄れることはなかった。

この「騒動」と言っていい一連の出来事に際しては、本来なら出なくてもいいような事実まで次々に明らかになった。小室佳代さんの過去、小室圭さんの過去や友人関係、フォーダム大学絡みの疑惑、経歴詐称疑惑や年金不正受給、果ては秋篠宮家の人間関係まで報道され、殿下自ら会見で小室さんに苦言を呈するなど、めでたいはずの皇族の結婚は、ワイドショーに話題を提供するスキャンダラスな出来事に変質してしまったのだ。

折しも仕事をせずにニューヨークで滞在する二人の生活費はどこから出ているのか?とか、警備はついているのか?その費用は誰が負担しているのか?など「その後」についての報道も喧しい。

これを書いている2022年3月現在、2月に行われたNY州の弁護士資格試験の結果は出ていないが、当然どこのマスコミも注目しているだろう。2人に安息の日々が訪れることを祈るばかりだが、私にとってもどうでもいい事であることに気が付いたので、この辺で筆を置く。  (この項終わり)

 

 

 

 

 

 

 

 

7月23日、東京五輪が開幕した。

 

1964年以来、日本で行われる2度目の夏季五輪である。1回目は戦後復興を象徴するような平和とスポーツの祭典であり、日本のあらゆる部分の近代化を促した大会でもあった。経済が右肩上がりだったこともあり、1回目の五輪は大成功だった。

 

今回はコロナウイルス感染拡大の真っ只中で開催されている。

誰が悪いわけでもないが、開催国の国民にこれほど不人気な五輪も珍しいのではないか?東京での開催が決まった2013年の熱狂が嘘のような大会である。

 

最初から色々なケチが付いた大会ではあった。東京での招致決定に先んじて、2012年11月に日本政府は新国立競技場デザインコンペの結果と建設計画と予算等を公表した。

フランス人建築デザイナー、ザハ・ハディド氏のデザインによる「新国立競技場」は、ドーム形式の極めて斬新なデザインで、近未来的な香りがした。総工費は1,300億円程度、完成は2019年3月の予定で、同年6月に開かれるラグビーワールドカップ日本大会がそのこけら落としになる予定だった。

 

ところが実際の設計段階で総工費が3,500億円程度まで膨らむことが明らかになり、政府は対応に追われた。工期にずれも生じ、土砂の運搬計画も非現実的(日本中のダンプカーを動員しても間に合わない)であると専門家から指摘されるなど、行く手に暗雲が立ち込めた。

 

政府は計画を見直し、予算規模を2,250億円に縮小する案を発表したのが2015年7月の事だった。この時点で五輪本番まで5年を切っており、ハディド氏のデザインは事実上放棄されたも同然だった。

しかしコンペでの決定過程の不透明さなどに批判が集中し、安倍首相(当時)は白紙撤回を余儀なくされた。

デザイン決定から白紙撤回まで約3年。全くもって時間と経費の無駄遣いだった。同年12月、安倍首相は業者2チームから提案されていた案のうち「木と杜」のイメージを採用した建築家・隈研吾氏と大成建設・梓建設チームの案を採用した。

政府が拘りを持っていた「開閉式ドーム」の採用は見送られ、日本らしい「木材」の肌触りを生かした新国立競技場は総工費1526億円で、完成したのは2019年11月。目標としていたラグビーW杯には間に合わなかった。

実際に出来上がった新国立競技場にはがっかりしたという声も多い。曰く「配管がむき出し」「ボルトが見えている」「トイレの数が圧倒的に足りない」「座席が狭い」「下層席は傾斜が緩くてピッチが見えない」「屋根の梁の影が映り込み、時間帯によってはピッチが見えない」等々。

詳しくは後ほど述べるが、今回の五輪が「無観客開催」となったため、こうした不満が表面化することはなさそうだが、今後に尾をひきそうな問題だ。

ハディド氏の後を受けたリリーフで設計・施工の時間が短かったこと、世論の批判を浴びて費用の抑制を最優先させた事などが原因と考えられるが、デザインした隈氏もさぞや不満だっただろう。1,500億円も血税を投入して誰も幸せになれないスタジアム建設とは何なのか?

 

スタジアムに続いて問題になったのは、公式エンブレムデザインの盗作疑惑である。

2015年4月、東京五輪組織委員会はTOKYO2020公式エンブレムを発表した。国内外で広告デザイナーとして活躍するアートディレクター佐野研二郎氏がデザインしたものだ。

東京の「T」の文字をモチーフにしたものだが、佐野氏は誰にでもイメージできる東京五輪というデザインコンセプトを会見で説明した。

 

ところが、である。

 

この会見から数日後、声は意外な方向から入ってきた。ベルギー在住のアートディレクター、オリビエ・ロビー氏が自身のSNSで東京五輪の公式エンブレムは、自分がデザインしたベルギーのリエージュ劇場のロゴマークに酷似しており、盗作ではないかと訴えたのだ。リエージュ劇場のエンブレムはヨーロッパ各国で商標登録されており、商標権の侵害にあたるというのがその主張だ。

ロビー氏のツイートは瞬く間に世界中に拡散した。これに海外メディアが反応し、ついで国内メディアが追随した。組織委員会は「国際商標調査を済ませているので問題ない」とコメントした。

国際商標調査とは商標登録の際に行う事前調査のことで、登録済みの商標の中に似たものがないか調べるというものだ。これを組織委員会とIOCが共同で実施したということである。

その際、IOCの調査によってリエージュ劇場が国際商標登録されていない事がわかり、クアラルンプールで行われた総会で問題ないとされた。つまり組織委員会にとっては「解決済み」であるというスタンスだ。

一方で組織委員会も東京五輪エンブレムを商標登録していなかった事がわかり「どっちもどっち」という話で一件落着しそうになったが、収まらないのはロビー氏である。

「リエージュ劇場のマークは広く公開されており、それを模倣しているのだから著作権の侵害だ」と商標権から著作権に矛先を変えて反撃した。商標権と著作権は本質的に異なるものだが、世論は「模倣したかどうか」に集中した。

ロビー氏はIOCと組織委員会を相手にベルギーの民事裁判所に提訴した。エンブレムの使用差し止めと使用料の支払いを求めたのだ。これに対しIOCと組織委員会は「完全オリジナル」であるとする書簡を劇場とデザイナーに送った。

 

組織委員会はこの段階で、ロゴマークの当初案においては類似するロゴマークが商標登録されているのを確認していて、2回の修正を依頼していたことや、デザイン案の決定後に修正を加えることも契約書に明記されていることも明らかにした。

ベルギーの裁判所の管轄権がIOCや組織委員会に及ぶかどうかはともかく、エンブレムが盗作であるかないかは、ワイドショー等に格好のネタを提供する事になった。スタジアム問題に続いてのマイナスである。

ところが8月末に事態は急展開する。

 

「リエージュ劇場の問題とは別に、新たな事態が発生した」として、組織委員会は9月1日に会見を行い、佐野氏がデザインしたロゴマークの使用を中止すると発表した。

「新たな事態」とはなんなのか?

原案公開の翌日、佐野氏案を採用した大きな理由である「展開力・拡張性」を説明する画像の一部が、第3者が制作したWebサイトにあるデザインの無断流用」であることがわかったのだ。

佐野氏本人も流用を認め、公開前に許諾を得るべきだったと反省し、組織委員会も同様の見解を述べた。だが問題はこれだけではない。

佐野氏がデザインしたサントリーのキャンペーンで使用されたトートバッグのデザインが盗用であるという指摘があり、佐野氏自身が盗用を認めて謝罪するという事態になったのだ。

こうした流れの中で、ロゴマークが世界的タイポグラファーであるヤン・チヒョルトの展覧会のポスターに似ているという指摘まであがり、佐野氏の過去の業績にまで疑問符がつく事態になってしまった。

組織委員会は盗作・盗用については強く否定したものの、様々な状況を考慮するとロゴマークを使い続ける事に国民の理解・応援が得られないという結論に達し、佐野氏本人からも盗作が理由のデザイン撤回には応じられないが、周囲の理解が得られないので使用を中止するという考えには賛同できるという申し出もあったため、使用中止の決断を下した。

英BBCニュースは「無様な一連の流れの極めつけ」と、この盗作騒動を酷評した。日本は五輪開催においては安全だと考えられていたが、スタジアム案の撤回による工期の遅れなど、一連の流れは無様とした言いようがない」と痛烈にコメントした。

 

これだけでもかなりケチが付いた五輪だが、開会式の演出においてもひと悶着起きる。

当初、オリンピック・パラリンピックの開閉会式は狂言師・野村萬斎氏を中心とした演出チームが担当する事になっていた。野村氏や歌手の椎名林檎氏等が就任したのは2018年7月。機智に富んだ演出をしていくと意欲的に取り組んでいたが、2020年春、新型コロナウイルス感染拡大による五輪の1年延期を受けてチームは解散した。

解散理由について組織委員会は、式典を簡素化して短期間ですすめるため、権限を一本化するためだと説明していたが、真相はどうも違うらしい。

野村萬斎氏や歌手の椎名林檎氏、映画監督の山崎貴氏を中心とした演出メンバーは、日本文化を世界に発信する事を演出の主眼としていた。しかしコロナ禍においてインバウンドが見込めず、日本文化の発信という基本方針が揺らいだのだ。さらに膨らみ続ける開催経費の縮減やコロナ禍で強行するオリンピックへの風当たりを和らげるため、セレモニーは簡素化する事に軸足が移ったのだ。

野村萬斎氏の後任は電通出身のクリエイティブディレクター・佐々木宏氏である。同氏は缶コーヒーの「BOSS」シリーズやソフトバンク「白戸家シリーズ」などのCMを手掛けた人物で、2016年のリオ五輪の際に当時の安倍首相をマリオに仕立てて演出したのも佐々木氏である。

野村氏と佐々木氏が同席して行われた会見で「苦渋の決断だが、一番シンプルなコロナに対する対応かなと私達は納得している」と野村氏は大人のコメントを出したが、その表情たるや憮然を通り越して怒りすら滲んでおり、納得などしていないのは誰の目にも明らかだった。

ここで一つの疑問が生じる。簡素化が必要ならなぜそれを野村氏に要請しなかったのか?という事だ。別に演出テーマを変える必要もなかった。簡素化しても日本文化の良さは発信できるはずだが、組織委員会が選択したのはチームを変えるという事だった。

内部情報ではオリンピック業務を仕切る電通が、言いなりにならない野村氏のチームを外したという説もある。感染対策が必要とはいえ開会式・閉会式の予算は当初の91億円から165億円まで膨らんでいる。簡素化とは正反対だ。

演出メンバー間でも意思疎通がうまく行かなかった。最初の体制は総合統括・野村萬斎、オリンピック担当・山崎貴、パラリンピック担当・佐々木宏のトロイカ体制だった。これを2019年、オリンピック担当を振付師のMIKIKOに変更、事実上の組織替えを行っている。更に五輪延期が決まったあと、MIKIKO氏に知らせないまま佐々木宏を「緊急対策リーダー」に据えた。つまりMIKIKOを降ろしたのだ。これに納得が行かずMIKIKOも演出チームを辞している。MIKIKOとリーダーになった佐々木宏の確執も報じられ、MIKIKOが排除されたという情報も出た。MIKIKOのダンスパフォーマンスによる演出案はIOCからも高く評価されており、MIKIKOが辞めなければならない理由など見当たらなかったからである。

これを受けて東京五輪のセレモニー演出チームはすべて解体され、その後は統括に座った佐々木宏を中心としたチームが引き継ぐ事となった。

だが、その佐々木宏も辞任の憂き目に遭う。2021年3月、開会式に出演予定だったお笑いタレント・渡辺直美の容姿を侮辱するような演出案を出していた事がわかり、避難が集中した。話は演出プランの是非にとどまらず、女性蔑視、性差別、セクシャルハラスメントなどあらゆる分野に飛び火し、佐々木氏は謝罪コメントを出したが火に油を注ぐ結果となり、辞任を余儀なくされた。

このあと、残った演出チームのメンバーが仲間に声をかけ20人ほどのチームを結成して準備を進めていた。すでに大会まで4ヶ月を切っており、これまでの積み重ねを土台に構成していくしかなかったが、この中に入ったメンバーがまた騒動を引き起こすことになる。

開会式の作曲を担当していた小山田圭吾氏が、過去に障害を持った同級生への壮絶ないじめを告白していた雑誌の記事が取り上げられ、市民団体からの抗議などを発端として世論が沸騰した。小山田氏は謝罪したが騒ぎは一向に収まらず、辞任に追い込まれた。さらに現在の演出チームを集める中心的役割を担ったショーディレクターの小林賢太郎氏(元お笑いタレント)が、過去の舞台でナチスのホロコーストを揶揄するネタを披露していた事が指摘され、組織委員会はこれ以上の混乱を嫌ったためか小林氏を擁護したが、その翌日急転直下で小林氏は解任された。開会式前日の出来事である。

小林賢太郎氏の解任を発表したのは橋本聖子五輪組織委員長である。会見に臨んだ橋本委員長は「予期せぬ事態」「極めて異例」と前置きしながら「国際問題であり即時決断した」と小林氏の解任について説明した。

これには伏線がある。

問題となったのは小林氏がお笑いタレント時代に「ラーメンズ」というコンビ名で活動していた際の舞台での様子を撮影した動画である。この映像を「発掘」したのは「実話BUNKAタブー」という雑誌だ。この雑誌は露悪的・差別的な記事を掲載することで知られている。この記事を持ってユダヤ系団体に「ご注進」に及んだのは自民党の中山防衛副大臣だとされている。中山副大臣は日本では少数派の親イスラエル議員だ。記事掲載から政府への抗議までの時間を考えると、中山副大臣は政府・与党を一切通さず、直接サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)に通報したに違いない。

そこにどんな政治的思惑があったかは定かではないが、翌日にはSWCが声明を発表し、各国政府もこれに同調した。SWCが各国政府に影響力があるのは事実だが、それにしても早い対応だった。

組織委員会は予定通り開会式を挙行すると発表したが、任命責任を含め全く責任を取らない政府・組織委員会に対して批判が集中した。

これに森喜朗前組織委員長の舌禍辞任劇を加えると、五輪関係の不祥事は枚挙にいとまがない。週刊文春が報じた「電通五輪」という記事では、開会式にまつわる巨額の利権と電通・政府の闇などが詳細に報道されている。

森前委員長の女性蔑視発言については、やや同情できる部分もなくはない。森氏はあまりにも正直にものを言い過ぎたのだ。女性の委員に関してどのような感想を持とうが森氏の自由だが、組織委員長という立場では口が裂けても言ってはいけないことである。

これら一連の「不祥事」に対して海外メディアは辛辣だ。Newsweek誌は「東京五輪は始まる前から失敗していた」と痛烈に批判した。CNN電子版は「コロナ拡散イベント」と題し、日本政府・組織委員会が開催前に強調した「バブル方式による安全安心な大会の実施」が虚構に過ぎないと指摘した。選手や関係者に感染者が続出し、大会から排除されたアスリートもいる。足下の東京では8月に入って感染爆発というべき状況となり、これを書いている8月5日、都内の新規感染者数が初めて5,000人を突破した。東京都のモニタリング会議は、2週間後には1日の感染者が1万人を超え、毎日都民の1,000人に一人が感染するという予測を打ち出している。

五輪と感染爆発の因果関係は明らかにはなっていない。検証は終わってからになるのだろうが、ワクチン供給が事実上停止したことやデルタ株のような感染力の高いウイルスが蔓延するなど、このオリンピックはいかにも間が悪い。また日本列島は記録的な暑さに見舞われ、参加しているアスリートからも苦情が出ている。テニスのジョコビッチは「クレイジー」と表現し、BBCニュースはゴール後に次々に倒れ込んで嘔吐したトライアスロンの選手たちの様子を「戦場のようだ」と伝えていた。選手達のパフォーマンスに影響し、好記録や好プレーは期待できないと伝えているメディアも多い。五輪誘致のプレゼンで「温暖で理想的な気候」と表現した組織委員会を「嘘つき」と断じたメディアもある。

翻って考えると1964年に行われた前回の東京オリンピックは気候を考慮して10月に開催されており、理にかなっていたという指摘がなされている。夏にオリンピックを開くようになったのは1984年のロサンゼルス五輪からだが、このときから五輪の商業化が始まり、莫大な放映権料を支払うテレビネットワークの意向に従い、理不尽な時間や季節に試合が行われるようになった。

このロス五輪の際に運営に食い込み、五輪商業化の基礎を築いたのが日本の電通とされているのだが、それについては別な機会に触れたい。

 

CNNが言ったように「代償はアスリートが支払わされている」のだ。

私が感じるのは、アスリートの努力、献身などによって実現するパフォーマンスの素晴らしさと、それを取り巻くものの醜悪さの乖離である。とても同じスポーツイベントの枠の中に存在しているとは思えないほどだ。

「アスリート・ファースト」という言葉がこれほど虚ろに思える大会も、近年珍しいのではないか。コロナウイルスが感染拡大する中、複雑な思いで参加するアスリートも多いのだ。

男子テニスの錦織は「命に代えてまで行うものではない」と会見で述べた。まったくその通りだ。政府や組織委員会はリスクをとってでも五輪を開催する意味やメリットを説明し、国民の共感を得なければならなかったのだが、ついぞ行われることはなかった。

「五輪が始まれば、国民はみんな夢中になる」とはIOC会長・トーマスバッハの本音だ。競技が始まればこれまでのことは忘れて、皆オリンピックを歓迎するだろうという意味だが、結局五輪開催の意義は、アスリートの闘う姿に依存する以外に無いということか・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事を書いている時点で、東京オリンピックまで残り40日少々となっている。IOCや東京五輪組織委員会は開催に向けて準備を加速させているが、いまだに開催に関しての否定的な意見や見解は後を絶たない。

開催国日本の世論が五輪を眺める表情は複雑だ。自分が生きている間には二度と目にすることもないオリンピックを待ち望む声もあれば、開催すれば感染が拡大するのではないかという懸念や、この状況でオリンピック開催などあり得ないという意見もある。

現在、日本は感染が拡大している地域で三度目の緊急事態宣言の真っ只中である。最初の期限は5月末だったが、6月20日まで延長となったのだ。延長期間の期限まで約1週間と迫っており、再延長があるのかないのかが焦点になっている。

 

どちらかと言えば、海外のマスコミの方が東京五輪に否定的なのが面白い。海外の有識者も東京でのオリンピック開催はリスクが高いと指摘している。その最大の理由は日本におけるワクチン接種率の低さである。

6月12日(土)の時点で、国内のワクチン接種率はおよそ10%前後(1回目接種)に留まっている。高齢者への接種は進んでいるが、まだ医療従事者への接種も完了していない。

G7では最も遅れている。アメリカをはじめG7各国はすでに2回目の接種を終えた人の割合が40%台に到達し、1回接種に限って言えば60%以上である。アメリカは7月に予定していた経済の全面再開を6月中旬に前倒しすると発表した。イギリスやドイツも同様だ。G7以外でも公衆の場でのマスク装着義務の解除や商業施設の全面再開など、コロナ前の日常を取り戻しつつある。

アメリカやフランスでは、用意したワクチンがダブつき始めてもいる。感染も下火になっており、接種の必要性を感じない人が接種しないおかげで、ワクチンが余り始めたのだ。アメリカでは州政府が接種率を上げるのに躍起になっており、MLBやNBAのチケットを付けたり、賞金が当たるくじを付けたり、夏休みを睨んで海外旅行のクーポンをプレゼントする州も出るなど、もはや「ワクチン祭り」と言った方が相応しいような状態になっている。

G7以外で最も早くワクチンの恩恵を受けているのはイスラエルである。6月に入った段階でワクチン接種率(2回接種)は70%を超え、観光業が再開されるなど経済活動は完全にコロナ前に戻っている。

イスラエルは早い段階からワクチンの重要性を感じており、アメリカ政府以外では最も早くファイザーと交渉を始めていた。ワクチン承認に必要な大規模治験にも積極的に協力し、国民の知見データを同社に優先提供する代わりに、早期のワクチン確保に成功していたのだ。

 

日本でも、東京・大阪・福岡などの大都市部で、自衛隊が運営する大規模接種会場がスタートした。地方都市でも公共施設やホテルを利用しての大規模接種が始まり、ワクチン接種に拍車がかかっているようには見える。

だが接種が始まった4月は混乱を極めていた。最初の接種対象は65歳以上の高齢者で、各自治体が接種券と呼ばれるクーポンを発送。受け取った人がWEBを通じて接種日を予約するというものだった。高齢者はコロナをきっかけに顕在化した「デジタルシフト」においては「置き去りにされた世代」である。事実、年寄りには無理だという声が当の高齢者からも上がった。

結果、各自治体の予約窓口には電話が殺到することになった。コールセンターと呼ばれるこれらの電話窓口には自治体職員だけでなく委託を受けた民間事業者のスタッフも常駐したが、電話が殺到したために繋がりにくく、我先に接種をと考える高齢者からクレームが相次いだ。イライラした高齢者から怒鳴られたり接種に関係ない長話に付き合わされるなどの弊害も出て、離職者が絶えない。

当初の接種対象者は16歳以上の国民だった。中には希望しない人もいるだろうが、単純計算でざっと1.12億人に接種する計算となり、接種回数は2.24億回となる。

そもそも論で恐縮だが、これだけの接種対象者を予約システムで管理できると本気で考えていたとしたら、その方が驚きだ。さらに接種券に刻まれたバーコードの数字は誤読が多く、読み取り専用のタブレット端末は自治体に数台づつしか配布されなかった。菅政権になってから鳴り物入りで誕生したデジタル庁も全く無力だった。さらに厚生労働省が巨額の税金を投じて開発し、国民に利用を訴えていた接触確認アプリ「COCOA」も数ヶ月に渡って全く機能していなかったことが明らかになった。

アメリカやイギリスなどの主要国は、ワクチン接種に関するシミュレーションにおよそ1年を費やしている。2020年初頭のパンデミック開始時から専門チームを立ち上げ、あらゆる可能性を検討していたのだ。アメリカは米国陸軍省が司令塔となり、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)NIH(国立衛生研究所)、HHS(アメリカ保健福祉省)、製薬会社などを束ね、指揮系統を一元化。軍主導のもとワクチン開発と接種を強力に推し進めた。第1相~第3相の臨床試験も重複して進行させ、第1相終了時点で米国陸軍省はワクチンの大量生産への移行を指示している。自国内はもとより海外への供給を考慮すると、従来の手順を踏んでいたのでは到底間に合わないからだ。

開発・量産化と並行して取り組んだのは「接種体制」の構築だ。ワクチン接種はできるだけ短期間にできるだけ多くの人に接種しなくてはならないという「矛盾」を最初から孕んでいた。そこで彼らが考えたのは「とにかく打ち手を増やす・接種機会・場所を増やす」という事だった。

接種場所を増やすため、医療機関だけでなくショッピングモールやドラッグストア、スポーツ施設、コンビニ、州や郡・市の施設はもとより、市民が立ち寄りそうなあらゆる場所を接種会場にした。当然だが接種機会を増やせば打ち手が足りない。アメリカでは医療従事者や関係者だけでなく、ボランティアにトレーニングを施し、「注射を打てる素人」を大量に生み出すことで対応した。もちろん日本とは政治システムが異なるわけだが、ほとんどの施策が強力な大統領権限で進むアメリカの状況は、日本人からすると羨ましささえ覚える。

英国ではバイオテクノロジー企業に投資していた「投資家グループ」がワクチン司令塔となった。別な機会に詳しく述べるが、今世界中で使われている「m-RNA(メッセンジャーRNA)」というワクチンは、製薬会社ではなくバイオテクノロジー企業が開発したものだ。ファイザー社のワクチンはドイツに本拠地を置くビオンテック社が開発し、もう一つのm-RNAワクチンを製造しているモデルナ社は元々バイオベンチャーであり、NIH(アメリカ国立衛生研究所)が先行投資して育てた会社なのだ。

投資家グループはバイオ企業の管理からワクチンの流通まで、民間ならではの視点で開発・接種を進めた。彼らは英国内の医療機関のおよそ8割が「国立」であることに目をつけ、ワクチン接種に特化した医療機関を作り、同時に重傷者用の入院施設を増やして万全の体制を整えた。同時に民間の医療機関にはコロナ以外の通常診療や地域医療を担う役割を割り当て、とにかく接種が早く進むように配慮したのだ。

米国・英国ともに根底に流れていたのは、ごく有体に言えば「とにかく誰彼構わず片っ端から接種する」という考え方である。

特に、1回の接種でもある程度の抗体が体内にできるとわかった時点で、この考え方はさらに加速した。原則は高齢者や基礎的な疾患を持つ人など「重症化リスク」が高い人を優先したのだが、あくまでも「原則」であり、日本のように64歳以下の接種は65歳以上にめどが立たない限り始めないなどという硬直した考えはない。とにかく誰でもいいから片っ端から打つ。予約も接種券もへったくれもない。場合によっては3回接種しても構わない。24時間営業で接種できる会場もあり、多様化したライフスタイルに合わせて、接種をできるだけ「身近なもの」にするよう腐心した形跡がある。とにかく「打ちまくる」以外に事態を打開する方法などないのだと、彼らは最初から理解していたのだろう。

結果は誰の目にも明らかである。もちろん臨床試験の段階でワクチン量産に踏み切るのはかなりの勇気だ。もしもワクチンが使い物にならなかった場合、巨額の損失を抱え込む事になる。さらに副反応などで多くの被験者に被害が出た場合、人道的な問題や政治責任が生じるだろう。しかしリスクを取らなければ大きな成果を得ることはできないのだ。

行政が責任を負わない事で有名な日本では、このやり方はまず無理だ。税金を無駄に投入したと言って野党に国会で追及を受けるかもしれない。あらゆるリスクを検討し、許容しうるギリギリの範囲内で優先すべき条件を優先する。このような勇猛果敢とでもいうべき政治決断ができる政治家は、いつになったら日本に現れるのだろうか。

 

そしてご多分に漏れず、問題になっているのは東京オリンピック・パラリンピックである。

開幕まで1か月を切り、もはや誰の目にも五輪が開催されることは明らかだが、組織委員会をはじめ政府関係者が一様に口にしているのは「安心・安全なオリンピックの実施」である。

では、どうすれば安心・安全なオリンピックになるのかという点について、具体的な根拠は何一つ示されないままだ。いやはっきり言えば「示せない」というべきだろう。

ワクチン接種が加速しているとはいえ、日本国内で2度の接種を終えているのは、接種対象者の10%少々に過ぎない。自衛隊による大規模接種会場もスタートしたが、接種券を持つ65歳以上が対象で、電話での予約しかできなかったため、当初は稼働率が上がらなかった。理由は簡単で、会場を運営している防衛省が厚生労働省主体で進めている自治体接種のシステムに相乗りできなかったためだ。これも縦割り行政の弊害といえばそうなのだが、組織や地域を横断して情報を一元化し、効率的に接種を進めるというどこの国でもやりそうな方法は、日本ではついぞ顧みられることはなかった。

おまけに6月も後半になると大規模接種会場の予約枠の8割近くが「空き」になり始めた。会場は大手町など都心に設けられているが、そこまで行けない高齢者も数多いという事だ。かかりつけ医に接種してほしいと希望する高齢者も多い。こうした事態を受け政府は特定の業種(接客業など)を中心に64歳以下の接種予約も受け始めたが、予想を超える予約が殺到したようで、現在申し込んでも接種を受けられるのは数か月先だ。1回目を終えた高齢者の2回目の接種の予約は7月からぎっしり埋まっているからだ。そこには「たとえ1回でもいいからできるだけ多くの人に接種する」という英国が行った柔軟な対応はない。

 

オリンピックを開催するというのにだ。

 

言うまでもないがコロナ感染症に対抗できる手段はワクチンか治療薬しかない。手を洗う、マスクをする、密を避けるなどの公衆衛生的な対策はあくまでも補助的な役割を担うものであり、薬の機能を補い感染拡大を抑止するものだ。昨年の春からこの公衆衛生対策が「新しい生活様式」とされ、国民へ周知徹底されたのは、薬が無かったからである。

日本のワクチン行政の問題は別な機会に述べるが、日本では公衆衛生的な対応だけで感染を抑え込み、オリパラを開催できるのではないかと考えていたフシがある。昨年3月に政府・組織委員会はオリパラの1年延期を決定した。その時点では当然の判断だった。だが「中止」ではなく「延期」なのだから、再延期または中止しない限りは1年後に必ず五輪を開催することになる。

当然ながら1年後に開催可能な条件を具体的に設定し、そこから逆算してあらゆる手段を講じて開催にこぎつけるという努力が行われてしかるべきだが、そのような作業が行われた形跡は見られない。むしろ現在の状況と五輪開催可能な環境とをすり合わせる、あるいは辻褄を合わせることに四苦八苦しているようにしか見えない。

「バブル方式」「水際対策」など虚ろな言葉だけが飛び交い、誰もが安心できる仕組みが提示されないまま、日本は五輪開催に突っ込もうとしている。

事前合宿のために来日し始めた海外の選手団から早くも感染者が出始めた。ウガンダ選手団の2名は空港検疫で見つかったものだが、空港には留め置かずそのまま合宿地に移動するという「不手際」に世間はあっけにとられた。出迎えた合宿地の自治体職員までが濃厚接触者に認定され、選手団を受け入れる地域は戸惑うばかりだ。

6月24日に内閣官房が発表したデータによれば、東京五輪に参加するために来日した選手や関係者のうち、新型コロナウイルスに感染していることが確認されたのは、ウガンダ選手団2名のほかに4名存在し計6名となっていることが明らかにされた。

日本政府は現在、すべての国・地域からの外国人の入国を原則拒否しているが、いわゆる「特段の事情」で入国する者については、指定された施設で2週間隔離されるという「待機期間」を過ごすことが決められている。だが五輪選手や関係者はこの「隔離」を免除する特例が適用される。

今年に入ってから入国した外国人選手や関係者の総数は2,925名で、うち70%を超える2,213人が隔離免除を希望している。それはそうだろう。免除されると分かっていて、わざわざ隔離されようというバカはいない。パラリンピック終了までに入国する選手や関係者は7万人を超えると想定されており、そのほとんどが隔離免除を希望するのではないだろうか?

すでに入国した者の中には空港検疫をすり抜け、来日から数日後に感染が判明した者もいる。しかも空港で感染が分かっても留め置きは行わず、事前合宿地のある自治体の保健所などに感染防止が委ねられるという。

バカげた話である。選手村は東京都にあるから東京都保健所に面倒を見ろとでもいうつもりなのだろうか?この発表を行った加藤官房長官は「選手の移動などについて対策が検討されている」と述べた。すでに2,000人以上が来日しているというのに対策は「検討中」なのだ。これ一つとってみても、合理的な準備が行われたとは思えない。

おりしもブラジルで開催されているサッカーの南米選手権(コパ・アメリカ)では選手と関係者に160名を超える感染者が確認され、大会の続行が危ぶまれる状態となっている。もともとこの大会はアルゼンチンとコロンビアが共同開催する予定だったのだが、コロナ禍で開催権を返上。「コロナはただの風邪」と公言して憚らないブラジル・ボルソラノ大統領の政治判断でブラジル開催に変更された。無観客・外出禁止・PCR検査・専用バスなど東京五輪と同じ「バブル方式」が採用されたが、感染に歯止めがかかる気配がない。またチリ代表の選手が地元の美容師を宿泊先のホテルの自室に招いてどんちゃん騒ぎをしていたことが明らかになり(当の美容師のSNSへの動画投稿で発覚した)「バブル」というものが机上の空論にしか過ぎないことが明らかになりつつある。そもそもテニスや陸上の大会で成功したからというだけで、そのままオリンピックに適用できると考えるのはナンセンスだ。南米選手権のケースも美容師が感染源だったかどうかもわからない。

日医大の北村義浩教授は「マスコミ関係者や宿泊先のスタッフのように、バブルの中と外を簡単に行き来できる存在がある限り安全ではないと指摘している。さらに「バブルは中がきれいなうちは安全だが、中が汚染された場合は密状態が生まれ、感染が広まり易い」と指摘した。外が「クリーン」であるかどうかは誰も担保できない。欧米諸国と違ってワクチン接種が進んでいない日本やブラジルでは、バブル方式がかえってあだになる危険性があると北村教授は指摘したのだ。

 

北村の予想はまずは嫌な形で現実になることがわかる。そしてオリンピックは間もなくだ。

次回はワクチンについて

 

 

 

 

 

2021年4月末時点で、世界の主要先進国を含め、いくつかの国ではCOVID-19に対する予防ワクチン接種が進んでいる。

最もワクチン接種が進んでいるのはイスラエルである。全国民のおよそ66%が接種を終え、2回目の接種を終えた人も60%に達している。さらに60歳以上の高齢者では90%、90歳以上では99.1%が接種を終えており、日本が理想とした「高齢者や基礎疾患を持つ人を優先的接種対象とする」を実現した形だ。

イスラエルは100%ファイザー社が製造したワクチンを使用している。同国政府は感染を抑えるためにはワクチンしかないと結論付け、昨年の早い段階から同社と交渉していた。ファイザーの幹部にユダヤ系が多かったことも影響したかもしれない。

イスラエルは優先的にワクチン供給を受ける代わりに、接種を受けた国民の臨床データを同社に提供することに合意した。国内での大規模治験などにも積極的に協力することで、ワクチン獲得競争を勝ち抜いたのだ。

イスラエルでは昨年末からワクチン接種が始まっていたが、今年1月には日本同様第3波に見舞われ、1日の新規感染者数が多い日で8,000人を超えていた。政府は2月末まで厳しいロックダウンを実施し感染を抑え込みながらワクチン接種を進めたのだ。

米ジョンズホプキンス大学の発表によれば、イスラエル国内の新型コロナウイルス感染症による死者は、1日当たり70人を超えていた1月をピークに急減し、4月22日にはついに死者ゼロを記録したという。

新規感染者も国全体で1日100人前後という少なさで、人口100万人あたり15人という数字はイギリス(37人)アメリカ(187人)カナダ(228人)フランス(463人)という先進諸国の数字に比べて異例に少ない。

イスラエルにはHMO(健康維持機構)という組織があり、イスラエル全土に網の目のようにネットワークが張り巡らされている。このネットワークをフル活用し、ワクチン接種場所を全国に設置し、医師や看護師、歯科医、新たに研修を受けた一般からのワクチン接種従事者により、狭い国土も相まってきわめて短時間に接種を進めた。

その結果、ロックダウンによって休校していた学校も全土で再開、屋外でのマスク着用義務も4月に入って解除された。飲食店やコンサート施設などの利用も平常に戻り、イスラエルはコロナ前の日常を取り戻しつつある。

同様の動きはアメリカとイギリスでも起きている。全国民の50%以上が1回目の接種を終え、2回目を終えた人も30%近くに上っている。

イギリス政府は2回接種が必要であるというファイザー社の指摘を無視し、できるだけ多くの人に1回接種するという作戦に出た。当初この方法は内外の批判を招いたが、結果的に英国保健省の判断は正しかったと言える。

マットハンコック保健相は1回目の接種を受けただけで家庭内感染を50%以上、通常の飛沫感染を70~80%抑え込む効果があるとBBCのインタビューで答えている。事実イギリスの新規感染者はピークだった今年1月から急激に減り始め、4月27日現在で全国の感染者は1日3,000人あまり。ピークだった時の1日6万人から9割以上減った。陽性判定から28日以内に死亡した人数は4月8日時点で53人。一時は1,000人を超える日もあったことを考えると隔世の感がある。

2回目の接種もハイペースで進んでおり、同保健省は7月31日までに英国内の全成人が2回目の接種を完了できるとBBCに談話を提供した。

その英国が発祥とされる変異型ウイルスは、今日本で猛威を振るっているN501Yなのだが、ファイザー社のワクチンはN501Yにたいしても90%近い有効性を示しているという。

イギリスに本社を置くアストラゼネカ社は、米ファイザーと並んで、世界で最も早くワクチンの治験を開始した企業である。m-RNA(メッセンジャーRNA)という画期的な構造を持ったファイザー製ワクチンとは異なり「ウイルスベクター」という方式で作られたワクチンだ。

ウイルスベクターとは、人体に無害なウイルスにコロナウイルスに取り付く遺伝子情報を書き込んで体内に注入するという方法である。m-RNAはヒトの体内で中和抗体のもととなるB細胞を体内で自ら増やすことができるが、ウイルスベクターはそうではない。アストラゼネカ社のワクチンはN501Yに対する有効性が70%ほどとされ、変異種にもやや弱いとされている。

このワクチンは日本の製薬会社(富士フィルム富山化学)でライセンス生産される事になっていたが、今の所宙に浮いている。100万人に4人ほどの割合で体内に血栓ができるという報告と、EU圏内では接種そのものを見合わせている国があるという事実だ。実際、アストラゼネカが本社を置く英国でも同社のワクチンは40歳以上に限って使用される。フランスでは55歳、ドイツでは60歳以上となっており、デンマークでは使用そのものを中止している。若年層ほど副反応のリスクが高いとされているためだ。

5月21日に同社のワクチンはモデルナ社のものと同時に緊急承認されたが、モデルナワクチンは自衛隊が運営する大規模接種会場で使用することが決まったものの、アストラゼネカのワクチンに関して使い方を記者団に問われた田村厚生労働相は明確に答えることができず「専門部会の検討を踏まえて判断する」と答えた。

同社のワクチンの使用を当面見合わせるという決定が発表されたのは翌日のことだった。

 

ワクチン戦争という言葉が生まれている。

世界的なパンデミックである新型コロナウイルス感染症に対する唯一の対抗策であるワクチンは世界中で争奪戦が展開されている。

日本はワクチン戦争に敗れたというのがマスコミの指摘だが、本当にそうなのか?

実際のところ日本へのワクチン輸入は遅かった。アメリカで接種が始まったのは2020年末、イギリスやEU諸国でもほぼ同時期だったが、日本へのワクチン供給は不透明なままだった。昨年夏にはファイザーやアストラゼネカを中心にすべての接種対象者に2回接種できる量を確保したというニュースが流れたが、実際にいつ入ってくるのかは明らかにされなかった。これには理由がある。いつ入ってくるのかわからなかったからだ。

日本向けのファイザー社のワクチンはドイツとベルギーで生産されている。いずれもEU加盟国である。EUは域内で生産されたワクチンの域外への流出に神経を尖らせていた。何しろ自国民の分を確保することすらままならない状況だ。遠い極東への供給など二の次三の次だったのだ。

日本国内の感染状況がEU各国の状況よりずっとましだったというのも影響していたかもしれない。

結果、航空輸送でドイツとベルギーから日本に向かうワクチンは、1便ごとにEUの承認を必要とする事態になった。

慌てたのは日本政府である。とりわけワクチン接種の司令塔となる河野太郎特命担当大臣は会見などで事情を説明し、早期大量輸入に全力を尽くすと話したが、大臣がいくら力んでもEUの決定は変わらない。

細々とした供給量ではどうにもならず、政府は3月に予定していた高齢者向けの接種券発送を4月に繰延した。接種するワクチンがないのに予約を受けられないというのがその理由だ。

日本での接種優先は医療関係者と介護施設の関係者である。まずは接種を行う側と感染リスクの高い人に日常的に接する人々に優先的に接種を行い、安定的にワクチン接種を行う体制を作るというのが狙いだった。

だが現実はそう簡単にはいかない。何しろ接種が必要な医療従事者だけでも国内に470万人とされている。この人達に接種するだけでも容易な話ではない。(3月までは370万人とされていたが、突如大幅に増えた)

国内のワクチン接種体制の整備は遅々として進まなかった。そもそも日本国内の接種対象者の数すら明確に出せていないのが現状だ(総務省統計局によれば、国内の接種対象者数は1億1千200万人ほどらしい)接種体制の整備を各自治体に丸投げしているせいでもある。

これは感染症が「危機管理」の対象でなかったことが原因だ。英国や米国ではコロナ感染症が国家の安全を脅かす「安全保障上の問題」ととらえ、強力な公権力を駆使して立ち向かってきた。

例えば英国では、ワクチン接種のシミュレーションを2020年3月から始めている。米国も同じだ。ワクチン確保と並行して、いかに短期間で大量の人間に接種できるか?という矛盾した課題を克服するために、あらゆる手を打ったのだ。

罰金や懲役刑まで含む強力なロックダウンを行って感染を抑え込み、これに反対する人々のデモや暴動と戦いながら、着々と準備を進めてきたのだ。昨年夏には法改正を行い、医師や歯科医師の他に獣医や医学生などにも接種が可能な法律を定めた。さらにトレーニングを受けさえすれば民間のボランティアでも接種可能となったのだ。打ち手が確保できれば次は場所だ。米国ではあらゆる場所が接種会場となった。医療機関はもとよりスタジアムや体育館、集会所、スーパーマーケット、ショッピングモール、ドラッグストア、ホームセンター等、人々の生活を支えるありとあらゆる場所で接種を受けられるようにしたのだ。それだけでは飽き足らず「ドライブスルー接種」まで行われた。実施したのは米軍である。先に書いたようにこれらの国ではコロナ感染症は安全保障問題だったからだ。軍の医官や看護師があちこちの巨大な駐車場に待機し、車で訪れた接種希望者に対して車に乗ったまま接種するのである。ニューヨーク・タイムズは「マクドナルド方式」と社説で書いたが、マイカーで来るため他者との接触機会が少なく、この方法は好評だったという。

日本でもようやく自衛隊が大規模接種会場をオペレーションする事になったが、実施は6月からで米国に比べて半年も遅い。さらに自治体が発行した接種券を持ち予約をしないと受けられない。

更に大規模接種会場は東京・大阪・名古屋のみの設置であり、地方には設置されない。米国全土に展開した米軍と比較するとお寒い限りだ。

現在米国ではワクチン接種の希望者が減り始め、ワクチンがダブつき始めている。既に国民の半分以上が2回目の接種を終え(1億2千600万人あまりが接種を終えている)目に見えて感染者が減り始めている米国では、すでにコロナが収束に向かっているという気分が拡がり「打たなくても問題ないのではないか?」と考える人が多くなっているためだ。このため各州政府はワクチン希望者を増やすためにNBAやNFLの観戦チケットをプレゼントしたり、ハリウッドスターや有名歌手を使ってキャンペーンを実施したり、中にはワクチンを接種したあとに受け取る抽選券で、最大100万ドル(日本円で1億円あまり)が当たるという州まで現れた。MLBの各球団ではスタジアムの客席に接種会場を設置し、ワクチン接種を行えば無料で試合を感染できる仕組みなどを導入し、地元政府と緊密に連携している。接種の予約をするために前の日の夜から高齢者が泊まり込みで役所に列を作る日本とはあまりに好対照な光景だ。

TBSの「ニュース23」にゲスト出演し、ワクチン担当の河野太郎特命担当大臣と対談したお笑いタレントの太田光(爆笑問題)は、日本人は海外のような接種体制は望まないだろうと語った。ボランティアでも打てると言われても、やはり医師に打ってほしいと考えるのが日本人だと。

 

一理ある。

 

日本は「安全を重視する」「リスクは取らない」巷間言われることだが、このコロナパンデミックにおいては、マイナスに作用しているように思える。

ワクチンには副反応(副作用)が付き物だ。重大な副反応で死亡することもある。アナフィラキシーはその最たるものだが、もしこのような事態が発生した場合、医療従事者でない者が接種した際に起きたりしたら誰がどのように責任を負うのか?日本では議論はそこに行き着く。

結果、責任を回避するためにこうした施策は実行されないのだ。

英国では訓練を受けた高校生(将来医療従事者を目指している者)までもが接種に従事しているというのにだ。

 

ニュース23に出演した河野太郎特命担当大臣は、歯科医師によるワクチン接種は考えていないと明言した。翌日に出演したテレビ朝日の報道番組でも同様の趣旨の発言をしていたが、その舌の根の乾かぬうちに、政府は歯科医師に接種を認める方針を打ち出した。歯科医師だけでなく薬剤師も接種作業に従事する事になったのだ。

この方針転換には理由がある。

 

ワクチンの供給量が少ない段階では表面化してこないが、やがて大量に入ってきた場合、接種を行う人間と場所が絶望的に足りないことがわかってきたからだ。

さらに菅総理が65歳以上の高齢者への2回接種を7月末までに終えるという目標を掲げたからである。  

厚生労働省が各都道府県に行った調査によれば、7割の自治体が可能だと答えたという事だが、そもそもいつどのくらいのワクチンが確保できるかという計画も示されないのに、可能だと答えるほうが異常だ。ほとんどの都道府県はハナから無理だと腹をくくっている。中には高齢者への接種が終わるのは11月だと回答した自治体も複数存在するのが実態なのだ。

これでは菅のメンツは丸つぶれだ。そこで政府は総務省を使って各自治体にプレッシャーをかけ、7月までに終えるという「回答」を引き出すことに躍起になっている。特命を受けた総務省職員が30人ほど集められ、毎日全国の首長や保健課長に電話をかけ、7月までに終える「言質」を取るという無益な仕事に没頭している。総務省は本来なら厚生労働省と連携して、スムーズな接種実施と接種会場に行けない事情のある人などをいかに取りこぼさずに進めるかにエネルギーを費やすべきなのだが、この国では「命よりメンツのほうが重い」のである。