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サンタロマナ

この名前をご存知でしょうか?ご存知であれば貴方は余程のフィリピン通か、財宝通です。この人を語らずしてフィリピンに在る財宝の真実に触れる事は出来ません。


サンタロマナ・・・またの名をフィッシャーキングまたはアントニオディアス。


彼はマルコスの妻、イメルダの義理の父親です。この辺から胡散臭いです。


順を追って紹介しましょう。


戦前からの話になります。日本がアジアに進出を決めた時、アジアに基金を作りました。大東亜共栄圏を作る為の応援組織です。アジア諸国のローヤルファミリーが中心です。資金は金塊で日本からです。皇室の財宝が使われたと言います。日本は収奪だけの欧米諸国と違って、進出した(侵略とは言いたくありません)国々にはインフラを整備し、学校、工場を作りました。戦後のアジア諸国の独立の準備が出来たわけです。


この基金の中心人物がサンタロマナでした。サンタロマナはスペイン系です。しかし、彼はガッチリとアメリカと組んでいました。その頃からCIAの前身たる組織員としてです。


アメリカは日本との戦争を望んでいたのです。


戦後直ぐにフィリピの財宝を回収したのはサンタロマナです。彼の口座はCIA長官名義に変えられています。この事実は既に公文書がアメリカで発表されています。


サンタロマナと日本の機関は関係があります。


マルコスを財力で大統領にしたのはサンタロマナです。


日本の機関は財宝回収中はマラカニアン宮殿に寝泊りしていました。そこには何時もサンタロマナが居ました。


フィッシャーキング、アントニオディアスは彼の秘密金口座の口座名です。フィッシャーキングは横文字で書かないほうが良いでしょう。エンロンに察知されます。


サンタロマナの娘が父親の口座を相続するとスイスの銀行と交渉した挙句、彼女はスイス銀行協会のブラックリストに載りました。


彼の口座は秘密口座です。事前に死んだ時の取り決めがして在るはずです。銀行は交渉には乗りません。


マルコスがマラカニアンからアメリカに逃げる時、宮殿内の書類が散乱しました。私はCIAに協力したフィリピンの小母さんにマルコスが金を海外に輸出した時のセントラルバンク(中央銀行)の輸出許可書のコピーを持っています。そして、その中にマルコスとサンタロマナの口座のリストが有りました。マルコスがフィリピンから逃げる前数年間に金塊はアメリカのニュージャージに送られそこからスイス等のブリオンバンクに口座が開設されています。


サンタロマナはマラカニアン宮殿内を半ズボンと言う軽装で自由に歩き回っていました。大統領の舅さんであり、アメリカと強い繋がりが有り、日本人を連れてきて財宝を回収したのですから・・・当然ですね。

ルバング島の小野田さん

今回は戦後の最大の秘密の扉を開けます。


1974年に鈴木紀夫さんによって、フィリピン、ルバング島で発見された小野田少尉の事です。まだご存命でご迷惑だと思いますが、時期と思いここに私の情報を明らかにします。先ず、このブログをご覧になることは無いと思いますが、もし、ご覧になって私の情報が間違えであればご連絡下さい。間違いであれば素直に謝罪を致します。・・・・・・・でも私の情報は嘘と思えないのです。


通訳の三兄弟が居ました。戦後、フィリピンを訪れる遺骨集集団の通訳をしていました。彼等はミンダナオ、サンボアンガ出身の母親と日本人の父親との間に生まれています。母親は戦争中にアメリカ軍の流れ弾に当たって亡くなりました。一家は戦争が激しくなる前に日本に戻り、この三兄弟は戦後フィリピンに戻っています。この三人はフィリピンのタガログ語と勿論日本語が喋れました。次男はそれに加え、英語とフィリピンの方言に堪能でした。


この三人は揃って小野田さんが現れた時に通訳として活躍しています。日本の厚生省に雇われています。私は三兄弟三人と知り合いでした。長男と次男から当時の事を詳しく聞いています。


長男と次男の証言


二人とは別々に話を聞いています。二人は同じ事を言っていました。

「小野田さんはジャングルではなく町で暮らしていた。小野田さんにはフィリピン人の奥さんと娘さんが居た」

鈴木さんが最初にジャングルで接触したという話を否定しました。


この三兄弟のその後の話があります。長男はエルミタ地区に日本料理店を開きました。三男はアメリカに移住しました。次男はバギオのパインホテルにブティックを開きました。次男はその後数回日本に行っています。

次男から直接聞いた話です。日本である方にマッサージをする度に一束(百万円)頂いたそうです。在る方は次男にマンションの一室を与え、ある方の知り合いのマッサージをしたそうです。1回日本に行くと相当な額が手に入ったそうです。


次男は金塊の運び出しを手伝っていました。


もう一つこの証言を裏打ちする証言があります。私がルソン北部でトレジャーハンティングをしていた時の話です。私の仲間にフィリピンの退役したゼネラル二人とケーネルがいました。この三人とその地区に在る司令部に遊びに行きました。そこの司令官が彼等との友人でした。彼等の共通点は揃ってトレジャーハンターです。


私を含めた5人で山の中の司令部前で酒盛りが始まりました。この司令官は勿論ゼネラルです。マルコス時代に父親と二代、大統領親衛隊長(PSG)を勤めた方です。1974年、ルバングとの事件の時彼はマルコスの親衛隊長として働いていました。


私は酒が一滴も飲めません。私は彼等の為にビールを2ケースとポンタドール(フィリピンのウイスキー)を購入したのを覚えています。宴が盛り上がった所で私は彼に、何故、トレジャーハンターになったのか聞きました。


彼は「財宝を見てしまったからだ」と、答えました。尤もな理由です。


次ぎに何処で見たのか聞きました。信じられない答えだした。「ルバングアイランド」


運び出しに 7 days, days and nights かかったそうです。


通訳の次男は私が機関のメンバーと接触する手掛かりをくれた人です。


通訳三兄弟の長男と次男は以後もトレジャーハンターを続けていました。見てしまった人は止まりません。


私はルバング島には大量の金塊が隠されていてそれを小野田さんが守っていたと考えてしまいます。もう一つ、小野田さんが現れた時に再度命令を伝達した小野田さんの上官が居ましたね・・・彼は、フィリピンでは有名なトレジャーハンターでした。


その後の小野田さんの生活を考えて下さい。ブラジルに在る牧場の規模は?基金まで作った財力は?耐乏生活評論家の横井さんとは大分違いますね。


このオペレーションはマルコスと日本のS氏(ある方)の共同作業で行われたのは確かです。次男が証言しています。


S氏はK氏の親分です。機関のメンバーは殆ど亡くなりました。機関は実態として残っていないと思います。今残っている、機関に属していた人達も私以上にフィリピンにある金塊に関しての情報を持っている方は居ないと思います。


15年間、胸につかえていた物を、吐き出しました。スッキリしました。

Today is the day.


Today is the day.


明日も Today is the day.

体験談1

次のコメントを頂きました。ブログネタにさせて頂きます。この体験談は財宝回収プロジェクトとは関係ありません。ご承知置き下さい。


こんばんは!これは素人では見分けがつきませんね…本物を見分ける方法はありますか?
その売人の前で下手なことすると命が危ないですかねやっぱりf^_^;


フィリピンには特殊な事情があります。先ず、その事を理解してください。フィリピンの北から南まで、上から下まで誰もが日本の財宝の存在を信じています。異常と言っても良いです。地方の市長、知事さんは全てがトレジャーハンターと言っても過言ではありません。政府上層部の方でトレジャーハンティングと無縁の人はいません。


そこで、生まれたのが第三の産業です。トレジャーハンティング、財宝と聞くと日本人を初めとした外国人はお金を出します。フィリピンの何処でも、誰かが、財宝を探す為の穴を掘っています。トレジャーハンティングの為全財産を投げ打った日本人を大勢見てきました。ひとりの外人トレジャーハンターの周りは潤います。


フィリピンの貧富の差は激しいです。8割の富を2割の富裕層が独占し、8割の大衆が残りの2割で暮らしています。


仕事の無い、家族思いのフィリピン人がトレジャーハンターを騙して生活しているうちに、悪いシンジケートが出来上がり、偽物の延べ棒が登場して来たのでしょう。


山下将軍の子供が居る。

日本兵が財宝を隠し持っている。それを売って、日本に返したい。

日本軍が財宝を隠したのを目撃したフィリピンの老人が居る。

宝の地図がある。


欲に目の眩んだ外国人を騙すネタは沢山あります。フィリピン人を潤す一大産業に成長してしまいました。


偽物を作る工場

私は、ミンダナオ島の南部にあるダバオでシンジケートが偽の延べ棒を作る工場に行った事があります。フィリピンのNBI(アメリカのFBIとおなじ)の手入れに連れて行ってもらいました。シンジケートは逃げた後でしたが、鋳型とか坩堝が残されていました。


シンジケート

フィリピン最大のシンジケートは凄いです。このシンジケートのボスには計3回会っています。このシンジケートは外国人、特に日本人を騙して大金持ちです。彼等は偽物を作った鋳型に24金を流し込んで作った延べ棒を持っています。この延べ棒を何と呼べば良いのでしょう。本物の偽物ですか?偽物の本物ですか?


この純金の偽物を渡し、破片、ドリルで粉を取らせ検査させます。検査した外国人は舞い上がります。本物です。現金を持ってシンジケートの元に参じます。彼等の得意技はホールドアップです。時には偽物と摩り替えますが、基本はホールドアップです。


このシンジケートはミンダナオ北部に拠点を持っていましたが、現在はフィリピン中何処にも出没します。


このシンジケートのボスとの最初の出会い

この頃の私はフィリピンの事情も、財宝ビジネスも、日本の財宝の真実も知らない頃でした。ミンダナオでこのシンジケートと接触しました。大量の金を見せると言われ喜んでついて行きました。仲介人は私を金持ちの日本人と誤解したのでしょう。街から車で30分位の距離の山の中に連れて行かれました。私ひとりです。一台のジプニー(フィリピン製の小型乗り合いバス)が山の中で待っていました。運転席には蓬髪を後ろで束ね、髭だらけの男が座っていました。この男がシンジケートのボスでした。このボスは背が低く何処と無く日本人に似ています。ダトウーソノダと名のりました。ダトウーはミンダナオの高貴な部族を意味します。ソノダは園田さんです。彼の父は日本兵で自分はハーフだと言いました。父親から受け継いだ日本軍の財宝を持っていると説明しました。


彼が話している(英語で会話をしました)最中に林の中から武装をした仲間が約20人ぐらい出てきて、私達を取り囲みました。全員がロングガン(多分アーマーライトでしょう)を持っていました。もう、夕暮れです。辺りは暗くなってきました。

ボスが私をジプニーの後部に連れて行き、カバーを取り去ると金の延べ棒がぎっしり詰まれていました。恐怖と好奇心でメロメロニなりました。不思議な事に私の直感は偽物だと言っていました。その頃は経験が余りありませんでしたから確かの根拠を持っていたわけではありません。


ボスは私にそれ等を買えと詰め寄ってきました。ボス自信は銃を持っていませんが、威圧は凄い物がありました。金は無いと右ポケットに入っていた5千ペソ(約1万円)余りを出しました。仲間の誰かが引ったくりました。実は右ポケットにもっと多額が入っていましたが彼等は詮索はしませんでした。


見本として1本預けろ、金を取ってくる。サンプルを渡す・・・・・・との交渉をしている内に、私の中で何かが弾けてしまいました。もうどうなっても良いと考えていました。私は延べ棒を掴み、私を取り囲んでいるやつらに投げつけました。2本、3本と投げつけました。ひとりの頭にゴチンと当たったのを覚えています。複数の連中に取り押さえられボコボコにされました。撃たれなかったのが幸いでした。


彼等は私を残して立ち去りました。周りに数台の車が隠されていました。私は痛む体で山道を2時間かけて街まで歩きました。良い想い出です。


以後、セキュリティー無しに危ない所には行かないようになりましたが、私の行動はより積極的になりました。今ではフィリピン最強のセキュリティーを持つ事が出来ます。


無知はいけません。無知は無鉄砲になります。知れば知るほど安全になります。フィリピンでのトレジャーハンティングでは多少の危険は伴いますが、ハイリスクハイリターンです。


フィリピンでトレジャーハンティングで死んだ人はまだ聞いていません。金の取引とかの詐欺話での事故は何件か聞いています。トレジャーハンティングとは無関係です。


私の書いた使い冒険小説「南洋桜」には私の体験が幾つか挿入されています。上記の体験も脚色して紹介しています。是非、一読下さい。


これからも私の体験をアップして行きます。


偽物の金の延べ棒

フィリピンでは偽物の金の延べ棒が出回っています。多くの日本人、アメリカ人、オーストラリア人、韓国人が騙されています。フィリピン人も騙されています。


6,25kg、12.5kg、75kgの物があります。刻印はスマトラ、カンボジア、ビルマ、星、太陽等です。日本の財宝を見つけた。日本の老兵が隠し持っているの物だと理由をつけています。



一攫千金⇒埋蔵金・山下財宝の情報左の写真は75kgの偽物です。カンボジアの刻印があります。真鍮でできています、

私はこの偽物とは3回会っています。時と場所、売り手が違いますが、同じ物でした。




一攫千金⇒埋蔵金・山下財宝の情報フィリピンで最も危険なシンジケートが持っている偽物です。ジプニー(フィリピンの乗り合い小型バス)に2台分持っています。6.5kg、刻印はビルマ、カンボジアと複数あります。星が5っあります。真鍮です。


このシンジケートのボスは日本人2千人を騙したとうそぶいています。


偽物は正式に計れば75kg、6.5kgもありません。でも、1グラム3千円として計算すると、6.5kgで2千万円弱、12.5kgでその倍、75kgでは2億2千万円します。それらが数百万円で買えるとしたら・・・・・騙されそうですね。


フィリピンに出回る偽物にはある秘密が隠されています。


何故、刻印がスマトラ、カンボジア、ビルマなのでしょうか?本物を見た人からの情報だと思います。マルコス時代の回収時に多くに兵隊が現物を見ています。その人達からの情報でしょう。でも正確な情報は伝わっていません。星が刻印されていたり、多くが刻印は凸状態です。延べ棒を作り、品質が合格した物に刻印しますから、刻印は凹状態でなければおかしいです。


もう一つ、75kgです。これは日本の単位で20貫目です。人一人の重さです。日本軍は輸送手段としてトラックだけではなく馬での輸送も考えていました。日本軍のドラム缶はアメリカのそれと比べたら小ぶりです。弾薬箱も小さいです。馬の背に振り分けて積める大きさになっています。金の延べ棒の重さの限界が75kgだったのです。


この様な偽物が出回っている事実はフィリピンで大量の金塊の回収が行われた証拠です。