体験談1 | 一攫千金⇒埋蔵金・山下財宝の情報

体験談1

次のコメントを頂きました。ブログネタにさせて頂きます。この体験談は財宝回収プロジェクトとは関係ありません。ご承知置き下さい。


こんばんは!これは素人では見分けがつきませんね…本物を見分ける方法はありますか?
その売人の前で下手なことすると命が危ないですかねやっぱりf^_^;


フィリピンには特殊な事情があります。先ず、その事を理解してください。フィリピンの北から南まで、上から下まで誰もが日本の財宝の存在を信じています。異常と言っても良いです。地方の市長、知事さんは全てがトレジャーハンターと言っても過言ではありません。政府上層部の方でトレジャーハンティングと無縁の人はいません。


そこで、生まれたのが第三の産業です。トレジャーハンティング、財宝と聞くと日本人を初めとした外国人はお金を出します。フィリピンの何処でも、誰かが、財宝を探す為の穴を掘っています。トレジャーハンティングの為全財産を投げ打った日本人を大勢見てきました。ひとりの外人トレジャーハンターの周りは潤います。


フィリピンの貧富の差は激しいです。8割の富を2割の富裕層が独占し、8割の大衆が残りの2割で暮らしています。


仕事の無い、家族思いのフィリピン人がトレジャーハンターを騙して生活しているうちに、悪いシンジケートが出来上がり、偽物の延べ棒が登場して来たのでしょう。


山下将軍の子供が居る。

日本兵が財宝を隠し持っている。それを売って、日本に返したい。

日本軍が財宝を隠したのを目撃したフィリピンの老人が居る。

宝の地図がある。


欲に目の眩んだ外国人を騙すネタは沢山あります。フィリピン人を潤す一大産業に成長してしまいました。


偽物を作る工場

私は、ミンダナオ島の南部にあるダバオでシンジケートが偽の延べ棒を作る工場に行った事があります。フィリピンのNBI(アメリカのFBIとおなじ)の手入れに連れて行ってもらいました。シンジケートは逃げた後でしたが、鋳型とか坩堝が残されていました。


シンジケート

フィリピン最大のシンジケートは凄いです。このシンジケートのボスには計3回会っています。このシンジケートは外国人、特に日本人を騙して大金持ちです。彼等は偽物を作った鋳型に24金を流し込んで作った延べ棒を持っています。この延べ棒を何と呼べば良いのでしょう。本物の偽物ですか?偽物の本物ですか?


この純金の偽物を渡し、破片、ドリルで粉を取らせ検査させます。検査した外国人は舞い上がります。本物です。現金を持ってシンジケートの元に参じます。彼等の得意技はホールドアップです。時には偽物と摩り替えますが、基本はホールドアップです。


このシンジケートはミンダナオ北部に拠点を持っていましたが、現在はフィリピン中何処にも出没します。


このシンジケートのボスとの最初の出会い

この頃の私はフィリピンの事情も、財宝ビジネスも、日本の財宝の真実も知らない頃でした。ミンダナオでこのシンジケートと接触しました。大量の金を見せると言われ喜んでついて行きました。仲介人は私を金持ちの日本人と誤解したのでしょう。街から車で30分位の距離の山の中に連れて行かれました。私ひとりです。一台のジプニー(フィリピン製の小型乗り合いバス)が山の中で待っていました。運転席には蓬髪を後ろで束ね、髭だらけの男が座っていました。この男がシンジケートのボスでした。このボスは背が低く何処と無く日本人に似ています。ダトウーソノダと名のりました。ダトウーはミンダナオの高貴な部族を意味します。ソノダは園田さんです。彼の父は日本兵で自分はハーフだと言いました。父親から受け継いだ日本軍の財宝を持っていると説明しました。


彼が話している(英語で会話をしました)最中に林の中から武装をした仲間が約20人ぐらい出てきて、私達を取り囲みました。全員がロングガン(多分アーマーライトでしょう)を持っていました。もう、夕暮れです。辺りは暗くなってきました。

ボスが私をジプニーの後部に連れて行き、カバーを取り去ると金の延べ棒がぎっしり詰まれていました。恐怖と好奇心でメロメロニなりました。不思議な事に私の直感は偽物だと言っていました。その頃は経験が余りありませんでしたから確かの根拠を持っていたわけではありません。


ボスは私にそれ等を買えと詰め寄ってきました。ボス自信は銃を持っていませんが、威圧は凄い物がありました。金は無いと右ポケットに入っていた5千ペソ(約1万円)余りを出しました。仲間の誰かが引ったくりました。実は右ポケットにもっと多額が入っていましたが彼等は詮索はしませんでした。


見本として1本預けろ、金を取ってくる。サンプルを渡す・・・・・・との交渉をしている内に、私の中で何かが弾けてしまいました。もうどうなっても良いと考えていました。私は延べ棒を掴み、私を取り囲んでいるやつらに投げつけました。2本、3本と投げつけました。ひとりの頭にゴチンと当たったのを覚えています。複数の連中に取り押さえられボコボコにされました。撃たれなかったのが幸いでした。


彼等は私を残して立ち去りました。周りに数台の車が隠されていました。私は痛む体で山道を2時間かけて街まで歩きました。良い想い出です。


以後、セキュリティー無しに危ない所には行かないようになりましたが、私の行動はより積極的になりました。今ではフィリピン最強のセキュリティーを持つ事が出来ます。


無知はいけません。無知は無鉄砲になります。知れば知るほど安全になります。フィリピンでのトレジャーハンティングでは多少の危険は伴いますが、ハイリスクハイリターンです。


フィリピンでトレジャーハンティングで死んだ人はまだ聞いていません。金の取引とかの詐欺話での事故は何件か聞いています。トレジャーハンティングとは無関係です。


私の書いた使い冒険小説「南洋桜」には私の体験が幾つか挿入されています。上記の体験も脚色して紹介しています。是非、一読下さい。


これからも私の体験をアップして行きます。