追記 ⬇︎
明け方の夢
知らない場所で仕事をしていました。
責任者か経営者の私
万引き犯の小学生を追っています。
小学生は少年で
強面のおじさんへのプレゼントが
欲しかったようです。
プレゼントを受け取った
おじさんと何やら交渉する私。
無事に終えて
帰ろうとするのですが…
土地勘が無いので迷子に成り
ウロウロしていると
大勢の人たちが私を目掛けて?
走って来るのです
「逃げろ!」とか
「何やってんだ反対方向だ!」とか
怒鳴られても訳がわからず
ボーゼンと立ち竦む私。
地震か津波だったのでしょうね。
目覚めは、暗く重くて
久しぶりに胃薬を飲みました。
おかげさまで
支援を申し出て下さる方が
少しずつ集まり始めました。
現地のナマの声を聞きながら
迅速に対応し、後にゆっくりと。
2度、3度に分けて
「三方良し」と昔の
近江商人を見習って頑張ります❣️
暗い夢を
明るい現実に変えて
穏やかな日本が1日も早くと
魂を込めて祈ります。
痛み止めを飲み
ロキソニンテープを貼り
常磐線ひたち号に乗って
目的のあんこう鍋を食べに行きました。
娘ちゃんの付き添いと
仲良しさんのお出迎えで 🚙
何とか無事に往復出来ました♡
大鍋ではなく
1人用の小鍋にお刺身付き御膳
氣の合う3人は同じ御膳
あんこうの肝と
ともず和えに角煮
メヒカリの唐揚げが美味しい
別注文のお刺身の盛り合わせ
娘ちゃんと私の為に追加して下さり
私たち母娘は
もう、お腹がパンパン
なのですが…この地に来たら
お決まりのコースのガストに 🚙
仲良しさんは善哉
娘ちゃんは豆乳チーズケーキ
私はプリン(クリームを退けて)
女3人よれば…ハイ!
姦しく、楽しくお喋り
母娘で
すっかりご馳走に成りました。
お土産を上げたり貰ったり
行きも帰りも大荷物でしたけれど
しっかり者で面倒見の良い
娘ちゃんが付き添いでしたから
安心安全で口福&幸福に
ニコニコにっこり帰京しました。
一昨日と比べたら
嘘のように…と言いたいのですが
多少は楽だとしか言えません
昨夜は
娘ちゃんの所に1泊して
今夜9時に帰宅
明日は
孫一君がお見舞いに来るとか♡
なんとなく嬉しくてソワソワ
ただ…
どんな時でも
何をしていても
能登、輪島…被災地方が
氣に成って胸は晴々しません
東日本大震災の際には
暫く、静観してから動き始めました。
被災者のがんばっぺさんが
被災地の避難所から生の声を
届けてくれなかったら、私は
被災地支援をしなかったと思います。
わが家も被災者でしたけれど
家族は何も語らず、私は
ニュースもロクに見聞きしませんので
マスコミに踊らされる事も無く
行方不明の母の無事を祈り続ける
日々の中「ここは福島県いわき市です」
がんばっぺさんの
被災時のブログを見付け
現地の様子を知り、それから
必死で色々と調べ始め
支援活動をしました。
私は東日本大震災の際に
被災地の皆さんが水が…とか
食料が…などのニュースを見る度に
被災者の皆さんが、どのような…と
思うと水も飲めなく成るのです。
娘ちゃんに
諭され水を飲むのですが
夜に成ると
行方不明の母が心配で
眠れない日々が続きました。
母が施設ごと行方不明に
(施設が避難して)
施設からは何の連絡も無く
市役所に連絡しても無駄でした。
母の行方がわかったのは
1ヶ月、前後でしたでしょうか…
東日本大震災を振り返って見ると
本当に、切なく悲しくて悔しいです。
現在の被災地
被災者の皆さんを他人事には思えず
落ち着かない自分に
熱い心と冷静な頭脳を持てと
言い聞かせております。
組織は
即断即決が苦手なようですから
有志を募ってダイレクトに
支援を始めますので
ご協力をお願いいたします。
よろしければ
メッセージにてご連絡下さいませ。
1月13日22時53分・記