孝謙天皇ゆかりの大内神社 1正しいアクセス情報  (栃木県鹿沼市) | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

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栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまい です


道鏡と孝謙(称徳)天皇ゆかり(所縁)の地

大内神社(おおうち じんじゃ)


私の地元
栃木県の伝承には、
道鏡左遷後、
実は孝謙(称徳)天皇は
亡くなってなどおらず、
女帝の地位をかなぐり捨て、
下野国(栃木県)に左遷された
愛しい道鏡を追ってやってきて、
一緒に暮らしていたというお話があります 

また、道鏡は下野薬師寺を逃げ出て、
那須(現・那珂川町)の辺りに
ひっそりと暮らしていたお話もあります


さらにはお隣、茨城県にも
二人が暮らしていた伝説から
「皇都(こうと)」と呼ばれた地域があります


正史とは違う、そんなロマンチックな伝説の地を
訪ねてみました



孝謙天皇に関する神社が栃木県鹿沼市にも
あるとのこと・・・・


大内神社(おおうち じんじゃ)です



別な用事を済ますついでに、さらっとよってみようと
考えたのが、あまかった



インターネットで公開されているアクセス情報に
誤りがあり、なかなかたどり着けなかった


同じように間違った住所をのせているサイトが
いくつもありました


鹿沼市塩山町1886番 は間違いです×


正しくは 鹿沼市塩山町119番 付近です○(まる)

明確な住所は無いのかな・・・

間違っている住所は実際の現場とは
全く違うエリアです

とてもじゃないけど、樅山駅からすぐの場所などではありません

ちなみにネットの地図には「大内神社」は載っていません



間違っている地域で大内神社を地元の方々にたずねると
皆さんご存じない

しかたなくネット検索・・・・
たまたま正しい情報を拝見し、
現場付近に到着できたが、神社が見あたらない

「大内神社」の表記も見あたらない

そんな神社って、どんなだろう


農作業中のおかーさんに、怪しまれないよう
とびっきりの笑顔で神社をたずねると

「もう目の前よ。」

(えっ、どこ?)

ご丁寧に教えてくださいました



そんなわけで、今回は大内神社までの道のりを紹介します

ここへ行きます






まず鹿沼市塩山町119番 に行きます




真正面に東武線の踏切がある橋を渡ります

私が撮っている側に渡ってください

ここまでは車で入れます





この橋から見た様子



樅山駅から来た場合、この画像の奥からやってくることになります



周辺の様子







橋の目の前です


はい!

ここが神社前です


車は入れない道なので、ここに駐めて
徒歩で行きます

この山の中に入っていきます






道沿いに歩くと、1分もしないくらいで神社の入り口





そういえば、どこにも「大内神社」って書いてなかった・・・

本当に地域の人のための聖域なんでしょうね・・・




見えてきました・・・・

鳥居から1,2分?で到着です


つづく・・・・





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古の御代・・・
許されざる間柄に禁断の花が生まれたという・・・

驚きのお話


「道鏡事件」の渦中の女帝と高僧、
孝謙天皇と道鏡は
男女の関係だったと噂が現代でも
面白おかしく囁かれますよね

男女の関係どころか、子どもがいます
栃木県に伝わる伝承です

女帝が栃木に来てから産んだわけではありません

皇子が栃木県にやってきたお話


日時までもが事細かでリアルな、歴史の闇に葬られた
禁断の少年皇子の伝説です


衝撃
1 孝謙天皇は道鏡の子を産んでいた! その名は英親王!
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