3王子の森 孝謙天皇の御廟がある? | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまい です



3王子の森
孝謙天皇の御廟がある?

道鏡と孝謙(称徳)天皇ゆかり(所縁)の地



私の地元
栃木県の伝承には、
道鏡左遷後、
実は孝謙(称徳)天皇は
亡くなってなどおらず、
女帝の地位をかなぐり捨て、
下野国(栃木県)に左遷された
愛しい道鏡を追ってやってきて、
一緒に暮らしていたというお話があります

また、道鏡は下野薬師寺を逃げ出て、
那須(現・那珂川町)の辺りに
ひっそりと暮らしていたお話もあります


さらにはお隣、茨城県にも
二人が暮らしていた伝説から
「皇都(こうと)」と呼ばれた地域があります


正史とは違う、そんなロマンチックな伝説の地を
訪ねてみました


正史は道鏡が没したのは772年としています

ですが、私は、772年は没した年ではなく
本当は下野薬師寺を辞めた年だと考えます







「王子の森」と呼ばれた地域にやって来ました

ひばり幼稚園と東洋エレメント工業を
直線で結んだ中間地点付近です



この地の伝承・・・

武茂の里は孝謙天皇と道鏡が一緒に
暮らし、天皇が亡くなった所でもあり、
里人がここに御廟をつくり、
これを王子の宮と呼びました・・・

おしまい


私は王子の森の明確な所在地が知りたくて、
郷土資料館に問い合わせました

この辺り一帯を王子の森と言いましたが
このように現状は森は無く、
道路と田畑になっており、
いわれにまつわるモノも無いそうです・・・

王子の森はマニアックすぎるのか、現場で
「王子の森」の表記ひとつも見あたらず・・・




孝謙天皇の御廟はどこへいったのか・・・
道路の下だったりして・・・



田んぼの底



とんでもないところから伝説の人物が
見つかるってこと、よくある


シェイクスピア劇の悪役でお馴染み
リチャード三世もそう

最近、イギリスの駐車場の下から見つかりましたね

さらに驚くことに、殺害された遺体は
伝承と全く同じように損傷を受けていたそうです




新潟県の人柱伝説の主人公のお坊さんは
昭和の時代になってから田畑の中から
ひょっこり出てきましたよ

詳しくはこちらをどうぞ
人柱供養堂・二猿物語・地すべり資料館(謙信公祭の旅19)





高野姫(本名)ーーーーっ、
どこ





孝謙天皇は、いろんな場所で亡くなって
ますね・・・

ふと、ひらめいた

確かに各地で女性が亡くなったのは
事実かもしれない・・・

全て孝謙天皇ではなく、
なかには別の女性の出来事が
女帝の伝説として語り継がれたものも
あるのではないか・・・

なぜなら・・・

道鏡が下野(栃木県)に左遷されたとき、
孝謙天皇の女官、篠姫・笹姫
(民間伝承に登場する・末裔が現在も存在する)も
一緒にやって来ました

道鏡を頼って都からやってくる一族も
いたようですから、道鏡にお仕えする女性は
篠姫・笹姫以外にもいたことでしょう


女性が道鏡と一緒に道を歩いていたり、
仲良くお話しているところを目撃されれば
その女性たちは皆、「孝謙天皇」にされて
しまったのでは

この時代、実際の孝謙天皇の顔を
知らないわけだし・・・

週刊誌みたいに
「ついに撮った!女帝と密会」
みたいな

「いやいや・・ この子、女官だから
うちのスタッフです 」って
どん引きの道鏡さま





なんにもなくて つまんないな~



これは
秘話!高僧と女帝の間に生まれた子
の続編です

1 孝謙天皇は道鏡の子を産んでいた! その名は英親王!
もどうぞ



当ブログの内容、テキスト、画像等の
無断転載・無断使用を禁止いたします。



ペタしてね読者登録してね