二猿物語・地すべり資料館(謙信公祭の旅20終) | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

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栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまい です


最後の観光になりました



上越市の観光ガイドマップをながめて、どうしても
気になった地へやってきました





人柱(ひとばしら)供養堂に続いて・・・・





二猿物語
二猿物語





またしても衝撃

二猿物語

なんでこんなことになってるのか・・・・




昔話を簡単に・・・・

むかしむかし・・・・

あるときから、二匹の猿がお坊さんのところヘ
お経を聞きによくやって来るようになりました

お坊さんが、熱心な二匹のために「お経を書いてあげるよ」と
言うと、猿はたいへん喜び一旦帰りました

そして、猿はたくさんの仲間と共に大量の
木の皮をさしだし、お坊さんにいっぱい書いてもらう事に
しました

それから二匹はお礼に、いろいろな山の幸を持って
来るようになりました

お経を書き終えるころ、二匹が姿を見せなくなったので、
探してみると、なんと二匹は地滑りにあい、地に頭を
突っ込んだ状態で亡くなっていました

山芋を掘っているとき、生き埋めになってしまったようで、
山芋が辺りに散らばっていました

哀れんだお坊さんは寺を建て、手厚く供養しました・・・・・とさ







このお話は奈良時代にさかのぼれるそうです

「猿」とは実際は人間で、自分たちより劣っているとする人を
バカにした比喩表現

この物語は「今昔物語」や「法華経験記」などに
載っているそうです






悲惨な話ですが、ただ死んでしまったとゆう内容で
これだけの長い時間、伝えられてきたことがちょっと
不思議、不可解です

なんでわざわざ、文面で残すの

話を読み解いていくと、もっと重大な真実が見えてきそう

・・・「二匹の猿」の二人は、実は殺されたのでは

サスペンス劇場



奈良時代の出来事ということは・・・






ここ新潟県は都の管理が及ぶぎりぎりの地で、ここよりすぐ
北は、「蝦夷(えみし)」※と呼ばれた、人たちのエリアです

「猿」が蝦夷なら・・・・

異人の生活、宗教に興味を持ち、仲間の支持をも
集め出す「二匹の猿」は、身内の中で脅威的存在とされ
身内に殺されたのでは・・・


※蝦夷(えみし)
天皇を中心とする世界(律令国家)で生活する人たちに
差別的意味を込めて「蝦夷(えみし)」と
勝手に総称して呼ばれた、異文化の立派な文明を
開化させていた人たち






殺人でなく本当に事故だったなら・・・・

蝦夷ごときが(あえて差別的表記)、仏教に興味を持ったり
自分たちのまねをしたところで、間抜けな結果になる、と
蝦夷をこの話でますますバカにする材料にして、
律令体制の自分たちの仲間にすり込んだのでは・・・・

それでいて自分たちの宗教、仏教は正当化する必要
があるので、この話の中で、お坊さんはそんな猿をあわれみ
供養し、「いいひと」でいます

この説なら、教訓にさせるため、文章であちこちに残す
意味も解るような・・・・





「猿」は蝦夷ではなく、ただ単に、兵役、納税などの、
都が作ったルール(律令制度)に従わず、
山に住みついていた、やからが いたのかもしれない・・・・
彼らを「猿」と呼んだのか・・・

ルールを守らないと、天罰が下るという教訓?


↑この説は専門家の方も挙げてました


だけど・・・
ルールを守れない人が仏教に興味を持つかしら?





・・・・・ざっと、思いついたのはこの程度




またも、妄想全開です




地すべり資料館
地すべり資料館 (無料)

人柱供養堂、人柱伝説人形、二猿物語人形は
地すべり資料館の敷地内

ここは上越市板倉区



車で15分ほどの所に「ゑしん の里 記念館」が
ありましたよ  (無料)


ゑ(え)しん は恵信尼、親鸞聖人の妻です

なかなか言うことを聞こうとしない息子、善鸞を再三、
いさめる親鸞の手紙があった?ような・・・
違ったかな文書がたくさん展示されてましたよ






謙信公祭の旅、おしまい です
ご覧いただきありがとうございました







※専門家ではありません
めちゃくちゃなこと言っているかもわかりません
丸写しなんて恐ろしいこと厳禁ですよ





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