だいぶ前に観て、話題になってたのも
それなりに前ですが
「コーダ 愛の歌」良いですよ🥹
という話ではなくて
違う映画を見ようと思って、そのレビューを
みていた時に引き合いに出されていたんです。
「コーダの親は毒親で、この映画も。。。」
その映画は母娘の話で、観ようか悩んでるウチに
配信終了になって結局観なかったです。
おおん?
そっか、たしかにそうね?
でも、なんとなくしっくりこない
というか、言い過ぎじゃね?
みたいな気持ちになりました。
そんなふうに受け取る人がいるんだなぁ。
いい映画だったと思います。
しゃくり上げて号泣する
ウルサイ人がいましたよ(←)
理想の親ではなかったけど
私は素敵な話しだと思いました。
最近できた「毒親」という言葉
「毒」っていう字を当てがってるんだから
毒々しい意味合いになっていて
具体的に何かを書かなくても
「親を責める意味」に使えます。
ネガティブワードに過敏な現代では
「便利」なんですよね。
何も書かずに「共感」が得られるから。
すると、毒親という「環境のせい」にするな
っていう反応が起きる。。。
みんな、それぞれ事情が違うはずなのに
「少しの情報」で自分と同じだと
共感することで安心し
自分の情報が正しいという自信が芽生え
違う意見に対する「批判的な心」を育てます。
毒親の捉え方も人それぞれなはずですが
このsnsというツールは
やっぱり便利すぎるんですよね
些細な一言に違いを見つけてしまい
傷ついたり、何かを感じて
「親ガチャ」論争を始めるのです。
それが人間っていうもの?
みんな「自分が正しい」って思いたいから
そうだよね?って確認し合う
それが「共感」で、共感がないと
立っていられないほどの不安に襲われる
それがsns中毒っていうのかな。
誰もが、不安や寂しさを抱えてるし
自信満々の人なんていない。いるのかな?🤔
その心は、ある意味での「文学的」な
人間の性を表す感情表現として
様々な作品に落とし込まれている
と、私は思っているので、映画やドラマが
大好きなんです。
一方的でいい、一方的だからいい。
作者の中で、完結しているからこそ
もしくは完結しないでいるからこそ
他人である「自分の目」を感じられる
自分が「完全な外野」であることによって
自分の心を知ることができるんです。
でも、snsでは、みんなウチワだよね。
距離が近すぎて、私は参加できないです。
親子の距離感も無理だったのに
ワタシには刺激が強すぎるw
というよりも、いつでも視点が「外野」
なんでしょうね。
あなたと私は違う。
というところを「具体的」に見るから
なかなか共感ってないんです。
でも「子無し専業」の女性を見つけると
観察してしまいます👀
それでも、なかなか同じなんて事はなくて
子供を持たない選択にどんな事情があったか
もう、書いてなくても人それぞれw
どんな気持ちであるかもそれぞれ過ぎて
数が少ない分「私もそうです!」
ってことはありません。。。(←)
あれ?探してる?
うん。探してるかも🫣
私だって、自信満々で生きてないから。