❀ 共感を得ないことの意味 | 私のノート

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タティングレースのユーチューバーですが、ちょっとお休み中です

タティングレースのユーチュバー♪

AIに嫌われたアーティストmaimaiです。

こんにちは☀️ 



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やっぱり。彼女が好きだなぁ。






新婚ラブラブな様子が可愛いかったんだけど

なにより、バリバリのバリキャリで


グイグイ仕事をこなしていく


底無しのエネルギーがあって

とってもカッコいいと思っていたんです。

そこが好き、から始まりました。










私にも似たようなエネルギーがあるかも?

っていうほんのちょっぴりの共感。。。


ウソウソ。私とは違うんだなという


どう頑張っても重ならない世界観に

たまに切なくなってもいましたw










ただ、勝手に自分でコンプレックスを

拗らせるのはバカみたいなので


そんなに熱心に見ないでいたんだけど(笑)


私と全く違う人間なんだという

とても強い「現実感」に触れていました。










今風ワードを使うと「共感」しないってこと。










共感は、自己愛から求めるもので

そもそもで自分を肯定している前提を


他者からの肯定によって強めるという


自分を鼓舞し、奮い立たせる働きがある

もしくは、自分は正しい、そのまで良いという

リラックスモードをもたらしてくれるもの。










共感を得ずに私は何をしてるの?









「自己肯定感」だとか「自己否定」だとか

どこを見ても出てくる時代になったけど


アタシ、パイオニアだからw


思春期の頃からの私の前提は自己否定

を通り越した無価値感でしたから。









「機能不全家庭」とはそういうものなんです。










自分の無価値感を修正しなければ

普通の女の子として生きていけない


という気づきが私の自我の芽生え。


その修正を「しなければ」が私の行動力の源。

彼女のパワーとは別次元の闇w










今はいいなぁと思います。

色んな人が、色んな言葉を発信していて


あなたは存在するだけで価値がある、的な?


私は、それを自分で見つけるしか

方法がなかったんだから。











私が共感を感じるのは、そもそもで

自分を肯定していない人ってことになる。

そもそも病んでるってことかしらw










もちろんね?私は私を肯定しています。

みんな生きていて、違いなんかないんだもの。


好きなことに心を弾ませて

ご飯を食べて、寝て、起きて

嫌なことを嫌と感じることに

何もいけないことなんてない。


当たり前だもの。











自分をダメだと思わなくちゃいけない

理由なんて見当たらない。ただ、それは、

大人になった私が理解したことで


子供の頃はそう思う以外なかったよね


思うよりも感じながら思春期を迎えたのは

紛れも無い私の「経験」であって

消し去ることは不可能。










子供らしい子供でいられなかった自分

それは「普通の女の子」との違いを意識する

というコンプレックスを育てました。


なかなか分かってもらいないヤツよ。


あ、そこ?みたいなところだから。

私が痛みを感じるのは、さてどこでしょう🫣










違いなんかあって当たり前なの。

楽しい家庭に育った子だって

何かあるに違いないんだから。


と、常に思考を巡らせて修正を行っていた


それは、私の感情を殺して鋼鉄のメンタルを

作り上げました。










私は、苦しみや悲しみを理屈で片付けられる

そう、それが「大人になる」ってことだと

思っていました。


はやく大人になりたかった。


大人になれば苦しいこともなくなると

信じていたから。










大人はなんでも出来ると思っていました。
だから、友達がどんどん大人になって行く
ように感じて、それが恐怖でした。


自分が苦しみに捕らわれてウジウジしていると


普通の女の子に置いてけぼりにされちゃう

私だけ、何も出来ない子になってしまう。










まわりの子は、なんでも出来るの。

夢中で自分の道を進んでいく。


私の悩みに気を払う人なんていない


私の暗い経験に意味がないことを

痛感していました。











たぶん、私のトラウマに価値がない

という視点を持っただけで


自分自身に価値がないとは


思ってなかったのでしょうね。

周りにそんなにすごい人がいなかった?

べつに、自分が特別劣っているとは

感じなかったから?









だから、自分の辛い経験を無視して過ごすこと

に懸命だったと思います。


でも、やり過ぎたみたい


身体の痛みまで感じることを禁止したのね。

たぶん、心の痛みの方が痛いから

何も気が付きませんでした。










病院に行ったらお薬もらえそう🫠

たぶん、私の鋼鉄のメンタルは

母を亡くした頃の環境の中で


完全に壊れたんだと思い返す(←過去形だよ)


食事も取れなくなって

普通ならお薬もらいに行く状態よ。

でも、自分の苦しみには価値が無いというのが

ハタチ前からのデフォだったからね。











これ、過去形にしなくちゃダメよ。

ある日、突然死ぬとかだったよね。

うんうん。










私には、まだまだ修正が必要。

やり方を変えるために、自分と違う人から

色んな価値観をみつけるの。


とても癒しを感じる😌


自分が間違っていたという自己否定を感じない

のは、間違っていたなりに鋼鉄メンタルを

感じることができた経験があるから。


 






おかけで、自分が面白い人間になったと思う🤩









これからは、自分のメンタルが

鋼鉄ではないことを受け止め

自分に禁止していたことを許し

変化を楽しみながら過ごしましょう。


人間観察は、今後も続きます🤭






私は習ったこともないし

有名な本も持ってない超自己流です。

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