タティングレースのユーチュバー♪
maimaiです。
こんにちは☀️
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□ はYouTubeについてです
「刷り込み」には抗うべきか否か。
ラーメン屋の親父になった人の話を聞いて
うむむ?ってなった話。
例えば
「男とはこういうもの」みたいな話って
女バージョンもだけど、よくありますよね。
でも、それって「1人」の男の人生なわけで
「超個人的」な話なはずなんだけど
男って「みんな」こういうものだよね
ってなっちゃうんです。
これは映画の話ね。
刑事が犯罪者を追うんだけれども
「ヒート」をも一回見たらしい🫣
2人は、互いの生き方が似ていることを
顔を合わせる前から(←ポイント)感じとり
共感を抱きあって友情が生まれる。
んだけど、追うものと追われるものである。
というはなし。
2人が顔を合わせたのは一回だけで
ポツポツと言葉を交わして終わり。
ホントは意思疎通なんて出来てないw
コイツは俺に似てるっていう
互いの想いだけで燃え上がる友情。
ねぇ。落ち着いて。
もっと2人の時間を過ごしてみたら?
自分と似てる人を好きになる
ってことは「自分が好き」ってことで
つまり男のナルシシズムを描いた作品で
その美学についての映画なんだけど
超絶カッコいい。
ってのは罪だよねと思ってしまったです🫣
「こういうものだ」を通り越して
「こうあるべきだ!」という方向性が
完全に刷り込まれるアピール力の凄さ。
こうした共通認識が流行を作り
経済に過大な影響力をもたらし
社会は活性化する。
ってことは良いことだから?
刷り込みに抗う必要はないんです?
それが正解かどうかを
追求する必要はないんだけど
ただ、子供の時には感じなかった
「うむむ?」が大人になった自分を
強調するのが楽しくて😁
自分と似ている人は
自分の人生を「肯定」してくれる対象で
それを求めることは他者に対する愛情ではなく
自分を慰めるための「自己愛」であって
それは1人で生きるナルシストであり
寄り添う女性には孤独がつきまとう。
はい。女性目線を理解している私アピール。
なぜ寄り添うかというと、カッコいいから。
ナルシストを受け入れる女性は
男性からの見返りを求めない
つまり、一方的に尽くす自分を肯定できる
同じく自己満足のナルシストである。
愛ってなぁに?
物語だけではなく
何事にも「視点」があって
その点を据え置がなければ
「方向性」が生まれないので
思考や会話は進まなくなってしまう。
ということは、物事は多面的であるのに
意見するためには「一点」を作らなければ
他者に対してのアピール力は
なくなるということ。
最近の若者の気苦労を慮る私(←余計なお世話)
「自分の意見」としたところで
一点であることを理由に
攻撃対象になる可能性が常にある
難しい現代に生きる子供たち🥲
きっとね、私たちの若い時より
脳みそ発達してると思うw
けど、それは一部の子達だけで
絶対安全な狭い友達関係の中だけで
生きちゃう選択もあるから
情報も刺激もない、大人もいない
平和で優しい時間の中で生きていける?
ずっとそのままってあるのかな。
何もない人生なんてないんだけど。
どんどん話がそれていく。
私がブログを書く時に気を付けていることは
「一点」を作ること。
でも、必ずしもその点が自分の心情と
と合致しているかといえば
そんなことは少なくて、必ず
違う方面からの思考が存在しています。
書くことによって矛盾や抜けを発見できる。
けど、発見したところで詰めないw
いまだ、話が逸れまくってアッチこっち
色んなことを考えすぎて
アタシの「点」ってどこ?
になるのは、話が下手だっていうことの
言い訳でしかなくって本当はあるんだよね。
でも、ボカさないと危険だから
ぼかして楽しんでるところもあるのはヒミツ🫢
話戻って「刷り込み」について。
私には、どんな刷り込みがあるのかなって
チラッと思うだけで膨大な量だったので
書こうとは思わないんだけど🫢
「動かされている」部分は
別にいいじゃんと改めて強く思って
人間ってそういうもんだしって
安心したんです。
だって、それがなくなったら動ける?
人間って、既にあるものの中で生きてるから
これもアレもって、みんなが「違う」を
求めてジタバタするけど
既にある社会の中で
「生かされてる」だけって。
それを受け入れると、気合いが抜けて
リラックス出来るってハナシ。
わたしは、だけどね😉
私は習ったこともないし
有名な本も持ってない超自己流です。
このブログを通じて私を知ってください。
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久しぶりの撮影日和かな〜☀️