深淵

「深淵を覗く時、深淵もまたお前を覗き返す。」やったっけ。
これなんやったろうと検索したらニーチェやった。
全然知らなんだ。

むつかしいことを僕がちゃんと理解できている自信はないので勝手な勘違いの可能性も十分あるのだけれど、僕としては「同じ土俵に乗らない」という言葉を連想する。

深淵を覗いてるというほどでもないけれど、自分もそこに入ったらあかんよなあと思うことは多い。

巻き込まれ。
精神保健の世界ではなくとも、気をつけないと。

気を許せば、人の感情はすぐに入ってくる。



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ゲーム関連の大規模なイベントに仕事で行く機会があった。

そこで体験したこと。

想像以上の混雑で、入場できたのは長い長い行列に並び始めてから一時間ほど経ってから。

家族連れが多かったのだが、とにかくゲーム機を手に手元だけを見ながら並んでいる子供の多いこと。

大人も携帯電話を手にしたり、中には新聞を読みながら並んでいる人がたくさんいて、前をろくに見ていないから進むのが遅い。

会場の中は更に混雑していて、人にぶつからずに歩くのが大変だったが、そこでも手元のゲーム機や携帯電話を眺めながら歩く子供や大人の多いこと。
まるで前を見ずガンガンぶつかってくる。

すごいなあと思ったけど、ここに限らず普段よく目にする光景だよね。

ゲーム機はともかく、ケイタイはいつでもどこでもその中だけを眺めている人を目にする。

歩きながら、自転車に乗りながら、車を運転しながら‥‥。

前を見ずまわりを見ず、見ているのは画面の向こう側。

いつでもどこでもケイタイを通してどこかと、あるいは誰かとつながっている?

画面を通して、ここではない何処かにつながっている。

でも、今まさに自分の体がいるその場所とはつながっていないような。

いつでもどこでも世界とつながるユビキタスな状況なのかもしれないけれど、本当に今いるところとの接続は切れてる。

そんな印象。

自分だってそういうことよくあるのだ。

今日、なんか薄気味悪い気持ちになった。




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いま見たニュース。

96歳の夫が91歳の奥さんを殺害したという。

奥さんは二年前から寝たきりで、一日三回の訪問介護を受けていた。

自分が先に死んだら困ると思ってとのこと。

ご近所さんの話では、夫自身も、足腰が弱っていて目もよく見えず耳もよく聞こえなかったそうだ。

こういうニュース、後を絶たない。

同種の事件で「困っていたのはわかるが、社会資源を活用して他に手段はあったはず。
殺害を選ぶのは独りよがり」というような判決をよく見る。

いつもがっくりくる。

最愛の家族を殺すしかないと思い詰めるほど追い詰められた人の気持ち。

なぜそんな人が次々とでるのか。

介護を仕事とする人の資格要件はどんどん厳しくなる。

その一方で、介護報酬は切り詰められていく。

介護業界で働く人の収入は、よくニュースで見かけるサラリーマンの平均年収というようなものに遠く及ぼない。

ベテランの人でも大卒初任給に負ける人、いくらでもいるだろう。

介護福祉士を養成する大学の先生が、入学希望者が減っていて困っていると話されるのを聞いたことがある。

そりゃそうやろ。

一般社会人の半分とか6割とかの収入を得るために誰がわざわざ国家資格を取るのか。

収入が低いということは社会が認める価値が低いということ?
いらん仕事?

そう遠くない将来、障害を持つ人や高齢者を支える職業はこの国から消えるのではないか。

杞憂とは思えない。

このニュースの直後、場面が切り替わったらキャスター?の女性がニコニコしながらお笑い芸人さんに冗談をとばしていた。

この違和感。



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