奥さんのN-ONE契約時に同時に注文していた無限のエアロパーツ。

やっと納品されたと先ほどディーラーから電話があった。

ただ、残念ながら車を預けるのにいま代車が用意できないとのこと。

通勤で毎日乗るのでそれでは困る。

ということで、しばらくおあずけです。

ノーマルエクステリアとももうすぐお別れ。

派手すぎないか僕はちょっと心配なんですけど。


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湾岸ミッドナイトのポルシェ911「ブラックバード」ではなく、ホンダCBR1100XX SuperBlackbirdでもなくて、映画「ブラック スワン」を見た。
友人が1000円で買ったDVD。

主役のナタリー ポートマンの名前はいつもなかなか出て来なくて、すぐに頭に「マチルダ」が浮かんでしまう。もちろんレオンのね。
古い。

観ている間、ずっと既視感があった。

観おわってから思い出した。

心に変調をきたしていく主人公ニナ目線の映像が、昔観たものによく似ていた。

もう10年近く前になるが、あるイベンドで体験した、ヤンセンファーマという会社が開発した統合失調症の人の症状を擬似体験する装置「バーチャル ハルシネーション(たしかそんな名前だったと思う)」で味わったザワザワした感じに似ていた。

ゴーグル型のヘッドマウントディスプレイと密閉型ヘッドフォンを装着して体験するこれは、確かBARか何かのお店に入ってマスターと会話するものだった。映像はアニメーション。

普通の会話をするのだけれど、耳にはどこからともなく、相手の悪意をもった心の声が聞こえてくる。
視界の端で、壁から虫がわく。
そんな感じだったと思う。

統合失調症の陽性症状である幻聴や幻視を擬似体験する装置で、かなり気持ち悪かった。

それがリアルなものかはわからなかったけれど、本で読んだり当事者の方達の話を聞いても今ひとつピンときていなかった当時の僕にはとても参考になった。

その体験を思い出した。

精神病や精神障害というものは、自分とは関係がない世界のものだと考えるのが一般的な「健常者」の意識だと思うけれど、その間の壁は案外薄いと僕は思う。

向こう側、こちら側というほどの隔たりなんてないように思う。

徹夜で車を走らせていて睡魔に襲われたまま夜中の高速道路で運転を続けていたら、トンネルに入った途端天井が上から落ちてくる映像が見えた。

これ、幻視だと思った。
何かの条件が揃えば、そういうことは起きる。

心がいたんでいる時に、さらに一押しあればそこから先に進んでしまう。

精神障害を持つ人たちと共に過ごす数年間を経て僕はそう思うようになった。

境界線なんて曖昧だ。
あるかないかもわからない。

痛い母親と暮らしながらすべてをバレエに捧げるニナは、壮絶な戦いの中で心が変調してゆくが、バレエでなくても、ギリギリの戦いをしている人たちは世の中にたくさんいるのだ。

敗れた人を誰も責められない。
でも、心が壊れる前に逃げ出して欲しいな。

そんなことを観おわってからぼーっと考えた。

映画の感想とは言えませんね。






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以前、道幅6mほどの道路の左側歩道を長年の友人のiさんの乗る車椅子と一緒に歩いていた時のこと。

前方車道の真ん中に、浴衣を着流したおじいさんがちょっと不思議な姿勢でたっていた。
見たことがある人だ。

近づいていくと、彼はカメラを構えて道路の右側を向いていた。

そちらを見ると、道路右側、僕らと反対側の、おじいさんの家の前に鉢植えの綺麗な花があり、その前におばあさんが座ってポーズをとっていた。

おじいさんは、花とおばあさんを撮影しようと頑張っていたのだ。

そのあまりの愛らしく微笑ましい光景に思わずニコニコしてしまって眺めていると、お二人は僕たちに気づいて、はずかしそうに「こんにちは」と言った。
僕たちも「こんにちは」と笑顔で返した。

とても素敵な可愛らしいお二人だった。

僕らはすごく幸せな、なんか得した気分で帰宅した。

この人たちを僕らは知っている。

以前iさんからきいた。

ずいぶん以前、お二人はこちらに引っ越してきた。

彼らは車椅子に乗るiさんを見かけるとなぜかいつも手を合わせて拝むような姿勢をとっていたそうだ。

知らない人だし、声をかけられたこともない。

何度も続くので不思議に思ったiさんは、ある日、なぜ自分を拝むのか尋ねたという。

その老夫婦は、以前は神戸に住んでいた。

そして、あの阪神淡路大震災で大切な息子さんを亡くされたという。

その息子さんが、iさんのように体に障害を持ち車椅子を使われていた。

だから車椅子に乗る人を見ると息子さんを思い出して思わず手を合わせてしまうということだった。

僕には想像もできない絶望的な体験だ。
どれほどの悲しみと苦しみだろう。

命を断ちたいと思ったとしても、誰も責めることはできないくらいの不幸な出来事だろうと思う。

震災は1995年1月17日。

僕たちにはまるでわからない、おそらく筆舌に尽くし難い苦しみを背負った18年ほどの年月が経って、お二人はとても幸せそうに笑顔で写真を撮る。

最愛の息子を凄まじい事故で亡くす以上の悲しみが世の中にどれだけあるか僕は知らない。

それでも、生きてさえいれば、こうやって素敵な時間を過ごすことが出来るのだ。

どんなに絶望的な体験をしても、明日が見えなくても、とにかく生き続けていれば、夜は明けるんやな。

本当に素敵なものを見せてもらったねと話しながら、僕たちおっさん二人は眼を真っ赤にしていた。



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