以前、道幅6mほどの道路の左側歩道を長年の友人のiさんの乗る車椅子と一緒に歩いていた時のこと。

前方車道の真ん中に、浴衣を着流したおじいさんがちょっと不思議な姿勢でたっていた。
見たことがある人だ。

近づいていくと、彼はカメラを構えて道路の右側を向いていた。

そちらを見ると、道路右側、僕らと反対側の、おじいさんの家の前に鉢植えの綺麗な花があり、その前におばあさんが座ってポーズをとっていた。

おじいさんは、花とおばあさんを撮影しようと頑張っていたのだ。

そのあまりの愛らしく微笑ましい光景に思わずニコニコしてしまって眺めていると、お二人は僕たちに気づいて、はずかしそうに「こんにちは」と言った。
僕たちも「こんにちは」と笑顔で返した。

とても素敵な可愛らしいお二人だった。

僕らはすごく幸せな、なんか得した気分で帰宅した。

この人たちを僕らは知っている。

以前iさんからきいた。

ずいぶん以前、お二人はこちらに引っ越してきた。

彼らは車椅子に乗るiさんを見かけるとなぜかいつも手を合わせて拝むような姿勢をとっていたそうだ。

知らない人だし、声をかけられたこともない。

何度も続くので不思議に思ったiさんは、ある日、なぜ自分を拝むのか尋ねたという。

その老夫婦は、以前は神戸に住んでいた。

そして、あの阪神淡路大震災で大切な息子さんを亡くされたという。

その息子さんが、iさんのように体に障害を持ち車椅子を使われていた。

だから車椅子に乗る人を見ると息子さんを思い出して思わず手を合わせてしまうということだった。

僕には想像もできない絶望的な体験だ。
どれほどの悲しみと苦しみだろう。

命を断ちたいと思ったとしても、誰も責めることはできないくらいの不幸な出来事だろうと思う。

震災は1995年1月17日。

僕たちにはまるでわからない、おそらく筆舌に尽くし難い苦しみを背負った18年ほどの年月が経って、お二人はとても幸せそうに笑顔で写真を撮る。

最愛の息子を凄まじい事故で亡くす以上の悲しみが世の中にどれだけあるか僕は知らない。

それでも、生きてさえいれば、こうやって素敵な時間を過ごすことが出来るのだ。

どんなに絶望的な体験をしても、明日が見えなくても、とにかく生き続けていれば、夜は明けるんやな。

本当に素敵なものを見せてもらったねと話しながら、僕たちおっさん二人は眼を真っ赤にしていた。



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