変わらないことと
変わっていくこと
変えられないものを受け入れながら
変化し続けていく力強さ
自分らしくいれる余裕を持って
当たり前のことを大切にする。
そういう姿勢で生きていたら
何がどうであっても
全てが喜び
何がどうであっても
幸せにしかならない
人生になるなんて当たり前。
今まで私はいくつかの自己啓発や精神世界また〝スピリチュアル〟と言われる世界について、学んできました。
そこで尊敬してやまないメンターや大切な仲間との出会いももちろんあったのけれど、、、。
「自分を愛する」と言いながら迷惑甚だしい行動してる人を見てビックリしたり
本人は「ユルフワ」してるつもりかもしれないけれど、ただだらし無く大事な人に迷惑かけている人を見て「あなた一体何がしたいの?」と嫌悪感を抱いたり。
〝触るな危険〟みたいな人を見るたびに
〝真理を学ぶこと〟は恥ずべきことじゃないけど、正直「一緒にされたくない。」みたいな気持ちが芽生えたりすること、良くあったなって思います。(笑)
触るな危険。。。
自分を愛する
自分を知る
まずは自分から
そりゃそうだけど
凛とした聡明さが美しいのにわざわざ「汚い言葉」を使って好き勝手している様子を自己開示してみたり。
黙ってたら色っぽいのにドヤ顔で色気を語って逆に色々を無くしてみたり。
素朴で、控えめな人柄が魅力なのに〝わがままは善〟といわんばかりの自己主張を繰り広げたり。
「ズバッと」「ビシッと」一本筋が通った女前なとこがきゅんきゅんするほど魅力なのに、〝何もできない女こそが愛される〟言わんばかりの発信してみたり。。。
「なんかこの人(本当の魅力から)ズレてる。」そういう違和感を感じる人には一つの共通点があったんです。
それは
なるべく他人に関心を向けないよう意識しているということ。
(全く人に関心がない人というのも確かに居て、でもそういう人はそういう人としての魅力を感じるのですが。。。)
周りを見渡したら人と比べちゃうから真っ直ぐ周りを見渡せない。
自分と人との違いを見たら自分の資質が
取るに足らない
なんの面白みもない
つまらないもの
みたく思えるから。
やっとわかった。
これが私の好きなこと。
これが私の本当のお役目。
確かにあったと感じたかった本当の輝きとはまた別の偽物感と違和感を武器のように振り回して。
私は私。
常識には囚われない。
とかなんとか言って結局本当の自分からは目をそらし続ける。
人を真っ直ぐ見つめると確かに
自分と人との違いがはっきりとわかる。
(優劣ではなくただの違い。)
「無い物ねだり」という言葉があるように、自分にはない資質を持った人を見ると「いいな👀」って思いますよね。
たくさんの魅力を見るたび「私はそうなれない。」そう思うこともあるかもしれない。
事実そうなれないものだし。。。
でも
だからいいんじゃない♡
自分にとっては
取るに足らない
なんの面白みもない
つまらないもの
と思えるあなたの資質は
人と人との関係の中で、驚きと喜びに満ちた奇跡を経験する時美しさの本質として輝きだすのだから。
他者との関わりの中で
感じることが出来る唯一無二の財産
美しさの本質。
手にすることも、この目で確かめることも出来ないその財産は、使わなければ(使って確かにあったと実感する経験をしなければ)無いも同じ。
使ってはじめて「ここにあったね♡」って自分が認識できるんです。
そして分かち合えるのです。
だから
もっと解き放とう♡
人の気持ちを気にしてしまう。
それならまずは自分の気持ちを優先させましょう。
それはある意味そうだけれど、人のことばかり気にしている自分を劣として、気にしないように克服することを優とする基準があるから自分のことしか考えないというのならば、それはただの〝比べない教弊害〟だと思う。
※比べない教弊害という言葉ははmadame luciaの生みの親
ネーミングの巨匠さやかさんからいただきました。
人と比べなくていいという言葉は単純に人と自分を比べて優劣の判断をすることに振り回されなくてもいいということ。
人との違いはあるけれど、ただの〝違い〟を受け入れて、もっと自分に集中しよう♡
直接のお返事は致しかねますが、質問、メッセージがありましたら当ブログで回答も行いますので、ペンネームと合わせて是非メッセージください♡
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