まいけるのおうち -17ページ目

まいけるのおうち

なんとか続けてます。

先日、以前使っていたデスクトップのPCをいじっていたところ、以前のHPのファイルが残っていることに気が付きました。面白いのでブログに載せてみようと思います。



注意点がいくつかあります。

1、この過去ログは2000年~2002年にかけて書かれた物であります。

2、読みやすくするために加筆訂正を加えた部分もあります。

3、HPの時にはリンクが貼ってある箇所がありますが、修正していませんのでリンク先へは行けません。

4、主にJW経験者や現役さんを対象にしたものなので、専門用語のオンパレードです。ご了承ください。



読み返してみると4年以上は経っているのに、自分の考え方がほとんど変わってないのが自分で面白かったです。

東京では春一番も吹いたとのことですが、こちら東北の海側地方も今日は気持ちの良いお天気でした。雲ひとつない晴れの日なんて何ヶ月ぶりだったのかなぁ? 仕事で客先を回るのに130kmほど車で走り回りましたが、快適なドライブ感覚で実によかったです。



と、ここまでが導入部で何かJWネタに持っていこうかと考えること10数分、どんなに考えても出てきません(笑) 今の自分の関心ごとは家族の事と仕事の事がほとんどですからねぇ。確定申告も終わって、これから年度末&年度初めの忙しさに向けて着実に仕事していくだけ、ですね。仕事も4年目に入りましたので去年までみたいに慌てることもそうはないですしね。仕事量もそれなりに増えていくわけですが、なんとかなりそうです。



ネット上などで「JW信者として色々と鍛えられた(布教&演壇で話す事)から、それが今、仕事上で役立っている」という意見を見る事がありますが、そういう人には「役立つ事があって良かったですね」としか思いません(皮肉じゃないですよ、素直な気持ちです) と言うのも、僕は人前で、しかも演壇で話すことなんて絶対に嫌だったんですわ。今でも大勢の人の前で話すのは苦手です。出来なくはないんですけどね。僕としては、JWを辞めてからの2年くらいの間、どん底まで落ちた経験の方が今になってみるとはるかに仕事に役立っている気がします。仕事は営業職なんですけども、仕事がらみの相談を受けることもしばしばあります。そんな時に、自分がどのようにこの人に接すれば相手からの理解や共感を得られるか、そして相手が満足してくれるか、あの時に苦しんだからこそ相手の気持ちが分かるような気がするんです。全然具体的な話じゃないので読んでる人には「お前は何を言ってるんだ?」と思われるかもしれませんが、個人的にそれを実感する出来事が続いたのでふと書きたくなったのでした。



おお、図らずもJWネタにすることが出来たー(笑)

毎日ここをチェックしにきてくださっている40人ほどの方々、本当にありがとうございます。そして更新をほとんどやってなくてごめんなさい。



正直言ってJW系の話ってもうあまり書くネタがないんですよ。そりゃ6年もネットしてれば自分の中のグダグダ考えてることなんて語りつくしているわけでしてね(^^; すべて消化しきっているわけじゃないので、思い出した時に時々書いていければいいかな、っていうスタンスでここをやらせていただいております。



で、タイトルの「立証責任」の話なんですが。



先日より国会をにぎわせている「永田議員の3000万もらっただろ爆弾発言」ですが、皆さんご承知の通りおかしなことを言う議員さんがいるなあと苦笑するばかりなわけです。



A:「おまいさん、3000万もらったでしょ?」

B:「そんなこと知らないよ。実に覚えが無い」

A:「あんたに3000万を送るよう指示してるメールが出てきてるんだよ」

B:「知らんなあ。だいいち、そのメールのヘッダは黒塗りじゃんかよ。それじゃ証拠にならんよ」

A:「じゃあどうやったら信じてもらえるんですか!」



というこんなおバカなやりとりが国会でなされているわけですけども、相手に疑惑を持ちかけている本人に確固たる証拠をみせつけなければゲロするバカはいないわけで、いくらでもシラは切りとおせますよ。状況証拠・物的証拠を完璧に提示していなければ、それは相手に対する誹謗中傷としか言えません。



(ちなみにこの永田議員 ですが、けっこう面白い人で議会中に折り紙をしている様子が全国放送で流れてしまったという経歴の持ち主です。「永田 折り紙 で検索してみてください、動画がありますので。過去に4回懲罰動議が出されている人で今回で5回目ですね。5年ちょっとで5回って多すぎないか?笑)





なぜこの話をここで持ち出したか? それはネット上でもこれと似た状況がしょっちゅう見られるからです。「××と言うHPをやっている管理人の●●氏はその立場を利用して女をたぶらかしている! すぐに反省と謝罪をすべきだ!」と言った具合です。たったこれだけの文章で、この文章を見ている人に「ええー? ●●さんひどーい!」と思わせることができるとでも思っているのでしょうか?



まともな人ならこの程度の話はスルー出来るのですが、ネット初心者や文字であればなんでも信じてしまうタイプの人(裏を取るという習慣の無い人)だと「火の無い所に煙はたたないっていうしなあ」とか思っちゃうわけでしてね。煙なんてのは強制的に吹き込めばいくらでも見せ付けることができるわけで、上記のような書き込みこそまさにそれだと思います。





文章だけで相手を信じさせたいのなら、相当な証拠が必要です。そして、その証拠を提示する義務は言い出した側にあります。そのことを忘れないで欲しいものです。

他所の掲示板のことをここの掲示板でレスするのは基本的にはNG行為だと考えていますが、どせいさんの掲示板が今日で廃止になるとのことなので、こちらでさせていただきます。





(無題) 投稿者:とおりすがり 投稿日: 2月 8日(水)13時43分24秒



>まいける氏は自らが「開拓者」だったというが、JW内で実際に「教える」

>立場としてどれほどの経験があるのか?一口に元JWと言っても、その辺りの経験不足は

>「聞いた話」というレベルや「うちの親が」というレベルでは補い切れないものだ。



意味が分かりません。教える立場になかった人はJW批判は出来ないとでも? そのようなわけがありません。それに、どの立場まで上がってた人ならそれが許されるとでも? 仮に長老クラスだ、とおっしゃったとしてもそれはあなたの考えに過ぎないです。僕は僕の信念を持って発言していますしね。



>それと輸血拒否についてだが、まいける氏は自分の子どもが緊急時に輸血が必要だと医師

>から判断された場合に、輸血するという考えなんだろう。ということは肝炎やHIVに感染

>する危険を冒しても、我が子を救うという考えに違いないが、それもかなり大きなリスク

>を背負うことだと思うがどうか?まいける氏の将来のコメントが、「やっぱり輸血はしな

>いほうがいい」に緩やかに変更されるるかどうか、まぁ適当にネット界を見させていただ

>こうと思う。



適当に見てなくてもここで返事しちゃいますよ(笑)



典型的な現役信者さんの思考パターンですね(もしくは元JWでも現役時の思考パターンが抜け切れてない人)。すべての医療行為は副作用も込みで判断するのが普通なわけです。それが輸血であっても同じことです。輸血して副作用である感染症にかかるリスクより、輸血して命を助けることの方がはるかに考えなければならないことぐらい当然のことです。それをしないのはJW信者だけですわ。



いつものことだけど、この手の人ってJWの輸血拒否問題の矛盾について無知だから、このような発言になっちゃうんだよね。JW信者が使用することのできる血液分画製剤の方が、JWが使用禁止している全血および血液製剤製剤よりも感染症のリスクがはるかに高い、ってことにね。そりゃ当たり前の話で、血液分画製剤は多い場合数万人の供血者がいなければ作り出すことの出来ない微小な分画を集めた物ですからねぇ。供血者の数が数人と数万人ではどっちが「感染症の危険性が高いか?」は小学生でも分かる話ですよ。ま、JW出版物には絶対に出てこない話ですから、考えが及ばないのも無理はないのかもしれませんが。



なので、必要とあらば積極的に輸血療法を取り入れるし、そうでなければ出来るだけ他の方法で治療してもらう。というのが僕の答えです。シンプルな答えだから将来も変わることは無いと思うよ。



>ここはあえてネット常習者まいける氏に苦言を呈したい。



苦言ならここでいくらでも待ってるから、反論があればどうぞ(^-^) その時はHNは適当なのをつけてくださいね。じゃないと分かんないから。



追伸:以前の日記でも輸血問題には触れていますので、ごらんあれ。
もうすぐ僕がJWを辞めて丸10年になります。



ようやく辞めた頃の記憶が時系列ごとに呼び戻せるようになってきました。人間の記憶はとてもショックなことや凄く思い出したくない記憶があると精神を保つためにわざと記憶を曖昧にすると聞いたことがありますが、まさか自分にそんなことが起こるなんてね。



辞めてから2年はまだハルマゲ思想が残ってたみたいで、何もする気になれずただ毎日が過ぎていくのを待つだけの日々でした。就職しても長続きせず、アルバイトしたり無職だったりバイトしたりしてましたね。実家を出たり戻ったりの日々でもありました。



25歳で前の会社に就職してからは精神的にもだいぶ落ち着き、一人暮らしを始めたことやネットをするようになったことがかなり自分に変化をもたらすのに役立ったなあと思います。



JW以外の生活をしても今のように幸せな生活をすることが出来ると知っていれば、小学生のうちにでも辞めれたのになあと思うとそれだけが後悔です。





10年、か。



どん底に落ちきっただけに、上っている今の生活は毎日が幸せでいっぱいです。でも、子供時代に本当に幸せな状態を知らないので、今が本当に「幸せいっぱい」な状態なのか良く分かりません。客観的にはそうだと思うし、自分もそうだと思うのですけども・・・。この感情はなかなか他人には分かりづらいでしょうね、きっと。



10年も経つと正直JWのこととか聖書のこととか忘れちゃいますよ。基本的なことや印象に残ってることは思い出せますけども。会衆の人の顔は思い出せても名前が出てこなかったりとか(^^; それでいいんですよ、今の生活に必要な人間関係の情報がそこに上書きされているはずだから。



あと6年経てば子供時代から過ごしたJW歴の16年を越すことになります。その時にはまた違った感慨深さがあるのかな?(^-^)
本年もよろしくお願いいたします。



正月は見事に寝正月を達成しました。しかも、正月らしいことは雑煮を作ったくらいでそれ以外は何もしていません。なんだか毎日が日曜日だったような感じでした。ま、そんな過ごし方も悪くないですけどね。僕ってけっこうインドア派なんですよ。外で遊んでいるイメージが強いみたいですけどね。



年末の29日に子供が39度を越える熱を出し、ちょっとだけおろおろしましたが、翌日には治ってました。生後半年を過ぎるとこういう熱がでることを聞いていたのでさほど慌てずに済みました。年が明けて、子供は相変わらず元気です(^^) 



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人にはコンプレックスは多かれ少なかれあるものですが、自分の場合は「こらえ性がない・打たれ弱い」と思うことが多々あります。なんと言いますか、精神的にもろいというか踏ん張りが効かないと言いますか。多分、子供時代に何かの目標に向かって頑張るということをしなかったからではないかと思っています。普通の人は受験だったり部活動などをすることで普段から競争に晒され目標を達成しようと努力するわけですが、自分にはそういう経験が殆ど無いと言っても過言ではありません。部活はさせてもらえなかったし、高校受験なんて3ランクくらい落とした高校を受験しましたから・・・。



なんでこんなことを思ったのかと言うと、年末からいろんなスポーツが始まってるからなんですよね。高校サッカーなんかを見てると特に、ね。一つの勝利のために厳しいトレーニングをこなし、試合でその成果を発揮するという行為には、後々の人間の精神力の強さに必ずつながると思います。就職活動で会社の人事担当者が部活はどんなことをやっていたかを聞くのは多分そのためじゃないのかな。仕事上で辛いことや嫌なことがあっても、「あの時の辛さに比べれば頑張れる」って言う思いが出てくると思いますし。



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仕事、で思い出しました。たまにネット上で「元JWは伝道活動で知らない家に入る訓練を受けてるし、神権戦況学校などで話す訓練をされたから、飛び込み営業でもプレゼンテーションも上手にこなせる」という話がでてるのを見ることがあります。そのような傾向があるのは認めますが、自分に限って言わせて貰えば飛び込み営業も嫌いですし、プレゼンはおろか人前に出て話すのも大嫌いです。あのような活動で得られたものよりも失ったものの大きさのほうが強いことを身を持って知っているからでしょうね。(誤解の無いように言っておきますが、嫌いなだけで営業だろうがプレゼンだろうがきちんとこなす事はこなせますよ。嫌いなだけで。苦笑)



子供時代をJWとしてすごしてきた代償の大きさは計り知れないほど大きいです。僕などはまだマシな状況だったほうで、ネットをするようになってから、もっと悲惨なケースも多く耳にしました。そういうことを聞くと本当に心が痛みますし、辛いです。どんなに親が良かれと思ってることでも、大人になった時にそれが役立たないどころかハンディを背負わせることにもなりかねないことを知ってほしいと思います。



その当時、親としては精一杯のことをやったというでしょうね。でもね、取り返しの付かないことってあると思うんですよ。JWの子供に対する宗教教育はまさにそれだと思うのです。0.1%ほどは良い面もあるかもしれませんが、99.9%が悪影響なことである手法を僕は認めるわけにはいきません。ここを見ているJW現役さんでお子さんがいらっしゃる方がいらっしゃれば、すぐに子供への宗教教育をやめてください。子供は親を選べないのです。親であるあなたが親のやっていた宗教を捨てJWと言う宗教に入ったように、お子さんにも宗教を選ぶ自由があるんです。その自由には「宗教をしない自由」があることも含まれます。世の中には絶対なんてことはないのです。子供には子供の人生があります。子供が大人になってから宗教を選ばせても遅くないと思いますよ。



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世の中には絶対などないと言いましたが、実は一つだけ「絶対」があります。それは「人間の死亡率は100%である」ということです。長い人間の歴史上でこれまで死ななかった人間は一人もいません、そう一人も、です。100数十年の歴史があるJWという宗教はずっと「ハルマゲドンが来る!」と主張していますが、そのように言いながらハルマゲドンを見た人は一人もいません。これからもないでしょう。誤解を恐れずに言わせて貰えば、「JWと言う宗教の正しさなんてハルマゲドンが来ない限り立証されない」とさえ思います。



何が言いたいか、要は「自分たちの宗教が絶対に正しい」は立証不可能な命題である、ということです。それを信仰と言うのは勝手ですけどね。一般人にも理解できるような主張であればそんなに批判を受けることもないかと思うのですが・・・。逆に言うとその宗教のもつ教義を少数の人間にしか理解されず、信仰するのはさらにもっと少ない宗教はカルトなんじゃないでしょうかね? それだけ突飛なことを主張しているわけですから。そういう自覚は持ってたほうがいいですよ。



注:理解することと信仰することは別物です。理解=信仰であるのなら、いろんな宗教を学問として理解している宗教学者はその全部の信奉者ということになってしまいますから。



終末思想論を主張する宗教や団体はカルトだと言っていいと思います。これまで僕はJWのことを「カルト色の強い宗教」だと表記してきましたが、今年からそれは止める事にしました。どう考えてもカルトです。それに加えて「輸血拒否」の問題もありますからね。マージャンのことは良くわかりませんが、多分「ダブル役満」ってやつじゃないでしょうか?(笑)





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2006年一発目の投稿なのに辛口ですんません(^^; 
不定期更新にも関わらず、毎日見に来てくださっていた30~40名の方々、本当にありがとうございます。ネットをするようになって6年目に入り、自分としてはJW系のネタも尽きてきたかなあと思っていましたが、それなりに書くことがあるところを見ると子供時代の出来事と言うものは根強く自分に残っているものだなと感じております。来年もぼちぼちと更新していきますので、たまに見に来てくだされば幸いです。



今年は子供が生まれたので親の立場になったわけですが、より一層、子供へのJWの宗教教育が間違ってると言う思いが強くなった次第です。こんなにかわいい子供に集会中に2時間もじっとしていろなんて無理な話です。ひと時たりともじっとしてないです、寝てる時以外は(^^; 子供は子供らしく育てるのは一番です。布教活動に連れまわすなんてもってのほかだと思います。子供は遊ばなきゃ、ね。





オフ会中毒だと思っていましたが、結局今年はまともなオフには2回しか出席できなかったです。というわけで、「オフ会中毒者」の名称は返上いたします(誰にだ?笑)でも、来年は自分が主催者になってオフしたいですね。GWに九州に帰省する時に1回と、後は仙台あたりで時期を見てやれたらいいなあと思います。





今年はJWという宗教団体と語るにはネタが少ない1年でした。国連NGO問題クラスの出来事があれば、ネット界も盛り上がるんですけどね。個人的には数年以内に「解釈の変更」によって輸血や血液製剤の使用が「個人の良心の判断になる」と思っていますので、願わくば来年当たりにそうあってほしいなと思っています。





これだけで終わると紙面が物足りないので、年末と言うことでそれっぽいネタを。



なぜ年末に大掃除を行う習慣が出来たか知ってます? 江戸時代、江戸城で年末(っていうか正式には12月13日だそうですが)に「すす払い」をして掃除する習慣が始まったのが本来の説だと言われていますが、一般庶民に限った話になると、町民や農民のほとんどは毎日の生活に追われ、大掛かりな掃除をしようと思っても出来ず、気付いた時には今年も残り少なくなったとふと気付くわけです。このままの汚い家の状態では神様を迎え入れるには失礼だ、掃除しなきゃ!ということで、あわてて大掛かりなおうちの掃除をするようになったのが年末の大掃除の由来だと言われています。誕生日の起源などにこだわるのなら、JWは年末の大掃除も禁止にしなきゃいけないんじゃないの?とこれを聞いて思ったです。



基本的に日本人って、目出度い行事は神道行事なんですよね。門松立てたり、初詣に行ったりするのもそうですが、その他にも生活に密着した習慣にはほとんどなんらかの宗教的な由来があるってことなんですよね。それをすべて排除するのは無理だろうとは思いますが、「世から離れている」と主張するのならそれなりの気骨のあるところを見せるべきじゃないかなとか思いました。こうやって考えると、JWを辞めた方が「本当の意味での行動の自由」があるような気がします。





今年も残り数時間となりました。今年は個人的にすごく良い年でした。良いことがあった人もそうでなかった人も、来年は良い年になりますように! 



来年も当ブログをよろしくお願いいたします
HNラプソディーさんからコメントを頂戴しました。



「好きな人いるんですが、どこへ誘っていいのか判らない。JWだったので、遊んだ事がないからです。どう言ったらいいんでしょうか。」





不器用な恋愛しかしたことがない私がお返事差し上げるのもなんですが、同じ元JWの立場からお答えしたいと思います。JW時代に異性とまともに遊んだことがないのは私も同じでしたね。だからJWをやめた後もずっと独りでした。





相手の人との親密度がどれくらいなものかにもよりますが、王道は「食事に誘う」でしょうね。あの電車男さんも最初は「めしどこかたのむ」でしたから。相手の人が好みそうなお洒落なレストランや喫茶店になどに誘うのも良いかと思います。



車を所有してらっしゃるようなら「ドライブ」と言うのも良いかと思います。二人だけで邪魔が入らない時間を過ごすとお互いのことを良く知ることが出来ます。



ネズミーランドなどの遊園地という手もありますが、お互いが親しくない間柄だったり、話題が途絶えてしまうとアトラクションの長い待ち時間がとても気まずいものとなりかねません。しかし、絶叫コースターなどが好きな人ならば一緒に乗ると好感度がUPしたりしますから、いわゆる「諸刃の剣」だと思います。この場合は行き先は慎重に選んでください。



個人的には「水族館」が好きです。私は妻と付き合ってる頃に福岡の「マリンワールド海の中道」に行ったのが良い思い出です。なぜなのかは詳しく語れません(苦笑)  





どこへ誘うにしても、「行動しなきゃ始まらない」ですよ。誘う言葉はストレートに「●●へ一緒に行きませんか?」で良いと思います。(もちろん相手の都合の付く時間や日にちにすることは言うまでもありません) 思い切って誘ってみなきゃ道は開けません。当たってくだけたとしても次がありますよ。応援しています。がんばってくださいね。





常連の皆様へ。

ラプソディーさんへの応援メッセージやコメントも受け付けています。共に応援しましょう!
特に思い出はありません。しいて言うとすれば、小学校の時にクラスでやる行司の名前が「クリスマス会」だったのが「お楽しみ会」に変わったことでしょうか? 担任の先生の配慮だったわけですが、今となってはただただ感謝するばかりです。



で、子供を持つ親の立場になった今、子供にどうやってクリスマスをやっていいか分からない自分がいることに気がつきました。今はまだちっちゃいからいいんですけど、数年後にはツリーを飾ったりサンタさん役をやらなきゃいけないのかと思うと、うーむと考え込んでしまうんですよね。ま、何も考えないでやれるようになって初めて「普通の人」なんでしょうけど(^^;





こうやって考えると、いかに子供時代を普通に過ごすことが重要なのかが分かりますね。悩まないで良いことを悩まなきゃいけないわけですから。





話は変わって。



今年はまだ年賀状を作っていません。というより年賀状を買っていません。さすがにやばくなってきたので明日にでも買ってきて作らなきゃいけないですね。僕が出すのは10数枚なので、やり始めればすぐに終わる作業なんですけども・・・(^^; Wordで画像を張って文章を入れるだけの簡単な年賀状ですけどね。今年は子供の写真を使うかな(^^)
夕方の6時半頃のこと、嫁が子供に食事をさせていたので、僕が夕食を作ってたところに、ピンポーンと呼び鈴が鳴りました。僕は手が離せなかったので、嫁に出てもらうと何分たってもこちらに戻ってきません。お義父さんが来たのかな?と思って玄関に出てみると、



ねずみ色っぽい暗い色の服を来た男女が・・・



0.01秒後にはJWの人たちキターーーーーーと脳みそが判断しました。忙しいときにやって来るとネット上でよく見かけていましたが、自分がそういう目に遭うとやはり思いますね。「忙しい時に来るなー」と(^^;



もっとも昔は自分も同じ事をやってたわけで、その当時を思い出すと恥ずかしい気持ちと迷惑をかけた方々に謝罪したい気持ちでいっぱいになります。ありゃどう見ても迷惑行為以外何者でもないかと。



嫁と訪問者は顔見知りだったようで、それで話が長引いていたらしい。うちらがここに住んでいることを知らなかったようです。来ないで欲しいから前に来た人には言ってあったんだけどなあ。正式な訪問拒否リストに載ってない限りは来るってことなんだろうな、やっぱり。ああ、面倒くさ。