毒親育ちの

アダルトチルドレンを卒業して

自分未来を作るサポーター

カウンセラー💖苺花-Maika-です。

 

 
ううう
ダイエットせねば・・・と
思ってるのですが
 
人気のラーメン店の前を
自転車で通りすぎたのですが
引き返して思わず
入っちゃいました。
 
魚介と鶏とのコラボのラーメンで
美味しかったです~ニコニコ

 

はい、どんどん続く

私のことシリーズ

 

続きです。

 

31歳からの母との再同居のスタート

 

最初は新築のマンションだし

私も母も機嫌がいい

 

新しい家具や配置などで

日々、話したりね

 

毎週のように

車で買い物に出かけていました。

 

家のローンと光熱費の支払い等

家の支払いはすべて私

 

母は失業保険をもらったり

していたので

生活費はいらないということだったので

母のお金で食費とかの生活費

 

母は2年くらい

働かず、家でのんびりと

過ごしていました。

 

私も友達と毎週のように

遊びにいったり

彼氏と海外旅行へいったりと

 

ある程度

好きなように過ごしていたのを

今、書きながら思い出しています。

 

ただね、もちろん

母の毒親は急にはじまったって

いうものでもなく

 

ずっとあったんですよ

毒親の毒吐きはね

 

ただね、母もきっと

新しい家に住んで幸せ

だったからなのか?

 

少ないし、キツさがなかったのかも

 

って今思います。

 

それと、私がもう

慣れちゃってたから

軽めの毒吐きなんて

受け流せたんですよね

 

例えば母が

機嫌が悪い時に

いきなり怒り出して

 

テレビを見て笑いながら

食事をしている私に向かって

 

「ゲラゲラ笑いやがって!

風呂の洗面器が汚れているから

きれいにしろ!」と

 

いきなり言ってくる

 

黙っていると

そばまできて、私の横で

ギャンギャン言い出す

 

あとでお風呂入ったときに

やっとくから と

 

答える私

 

楽しくテレビを見てる

リラックスモードは

一気になくなってしまいますよね

 

こうやって

文字だけで見ると

 

なんてことない

親子のやりとりと思うのか

 

食事してる時に言わなくても

 

と思うのか

 

ひとそれぞれだけど

 

 

なんていうか

 

小さい時からずっとこうだった

ことを

31歳で一緒に住んでから

思い起こされるように

なってきたんですよね

 

少しずつね

 

私が成人してから

両親と3人で住んでた時は

母のヒステリックは

どちらかというと

父に向いていたから

 

私としては

高校生時代ぶりな

母との2人との生活

 

それも週末に父が帰ってこない

 

たった二人だけの生活は

 

小学1年生までの生活

以来かな

 

電気がつきっぱなしなら

「あちこち電気つけて!」

 

電気がついてなかったら

「暗いやないか!」と

 

目の前の自分が気に入らない事を

いちいち口に出して

私のせいにした言い方をする母

 

玄関の靴の脱ぎ方が

悪ければ、私の部屋まで来て

怒鳴りちらす

「なんや、この脱ぎ方は」と

 

黙って行って治す私

 

ある日は

母の靴の脱ぎ方も

脱ぎ散らしたような脱ぎ方の

日もあったけど

言わないし

 

帰宅してトイレに

行きたくて急いだんだろう

みたいな

帰宅して電話が鳴ってたから

急いだんだろう

 

的な、つまらないこと

 

いつもいつも

そんな脱ぎ方をしている

わけでもなく

 

自分もそんな時もあるだろうに

 

私のを見つけると

目の敵にするように言ってくる

それも、機嫌が悪いときは

 

じゃ、どんな時に機嫌が

悪くなるのか?は

 

わからない

 

母の脳の中は

誰にもわからない

 

きっと母にもわからないんだろう

 

こういう風に

機嫌でギャンギャン言ってくるところ

 

単なる口うるさいというのでなく

 

私を貶して、けなして、

けなしまくってくることが

時々あり

 

なんていうのかな

 

小さい子が怖いお母さんに

雷落とされて

下を向いてじっとしている

 

マンガに出てくるような構図

 

そんな感じです

 

 

 

かといえば

一緒にテレビを見て

笑ったり、泣いたりすることも

あったりして

 

そういういい時間が

私は好きだったけど

 

そんな時間になると

安心できて

本当に心からホッとするから

 

そういう時間にしたくて

そういう母との笑顔の時間を

増やしたくて

 

ついつい

機嫌をとってしまう

 

今思えば

ほんと機嫌をとってました

 

あの時は自然とやっていたこと

 

でも、明らかに心の奥底に

母の機嫌をとらねば という

意識があったのは

しっかり覚えています。

 

だから、今こうやって

書いているんだと思います。

一緒に韓流ドラマを見るのに

母が好きなお菓子があれば

より機嫌がいいかなと

買って帰宅する

 

これね

母が喜ぶから買って帰る

 

ではないんですよ

 

機嫌がよくなるから なんです

 

私の中で

ずっとずっと母の機嫌をとる

 

という生活が当たり前に

なってるんですよね

 

仕事から帰宅して

いきなり

怒られることもありました

 

私が昨夜に洗った

食器に落ちきれない汚れが

ついていて

 

「なんや、これ!

ほんま、なんもできひんなー

いい加減に洗いくさりやがって

お前はええ加減な女や

遊び歩いて家の事は何もせんと」と

 

帰宅した私に向かって

お皿を持って玄関まで走ってくる

 

なんかね

大人になって

二人きりで住んでから

 

過干渉がひどくて

 

色々としんどく

感じることが

増えてきたんですよ

 

今、書いたのなんて

序の口ですからね

 

そしてね

 

少しずつ

私の幼少期からの

母の過干渉

過保護 と

 

今の自分とがリンクしてきて

 

少しずつ少しずつ

 

家での生きづらさを

感じるようになってきました

 

そのまま

会社にいくから

 

会社でも

いちばんひどかったときは

 

私が母のように

なってしまったこと

部下に対してね

 

ほんと

たくさんありすぎて

 

・・・というか

 

当たり前のように

起こってたことで

言われてたことなので

 

改めて書きだすと

 

こんなつまらないこと?って

笑ってしまいそうになる

 

でも、そんなつまらない事が

ほんと

辛かった

きつかったです。

 

 

 

 

 

また、書きますね

 

読んでくれてありがとう

 

 

 

 

 

 

 

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