毒親育ちの

アダルトチルドレンを卒業して

自分未来を作るサポーター

カウンセラー💖苺花-Maika-です。

 

昨夜、急に思い立って

彼さんに

久しぶりに遠出ドライブ行こうと

提案

 

6:30に迎えに来てもらいました

 

遠出の時は

おにぎり、卵焼き、焼鮭又は何かおかずの

定番のお弁当を作るのですが

 

急に思い立ったから

お弁当はナシね!ってことにしてたので

高速のSAのいつもの場所で

朝定食を食べました

 

まずは

彼さんの趣味のパラを兼ねて

まずは山へ

 

それから、日本海へまわりました

 

途中、道の駅を3件ほどまわり

お米を買ったり

新鮮な野菜を買ったり

 

手作りのお握りとサンドイッチを

購入して、海を見ながら食べました

とってもきれいな海に癒されました

 
気温は32度とかいってたけど、自然が多いところでは
そんなに暑く感じず、
今日はまるでハワイのような暑さでカラっとしてたかな

本当は週末の土日のどちらかで行く予定にしていたのですが

 

天気予報が雨なので、急遽昨夜に思いついての提案

 

これに彼さんは喜んで

自分の趣味の事を考えてくれたのが嬉しかったようで

 

帰ってからも、「今日はありがとうね、付き合ってくれて」と

何度もいってくれてました

 

こういうこと言われると嬉しいですよねラブラブ

 

 

では、私のことシリーズ

 

 

 

 

前回の続きです。

 

私が28歳の時に

母と父が離婚し、母は出ていきました

 

離婚する前に母が

離婚しようかなと私に言ってきてて

その時母が

「アンタが結婚するまで我慢してたけど

両親そろってた方がいいと思ってたけど

結婚する気配ないから・・・」と

 

いうので

 

私は

「別にええよ、離婚したかったら

したらいいやん、いまどき

親が離婚してるからアカンって

いう人とは結婚しないと思うし」

 

と、言うと

 

いつの間にか

母は父の会社へ行き

いきなり離婚届にサインしろと

言ったそうです

 

今更、なんでやって

父は思ったそうですが

 

母としての気持ちは

その時はわからなかったんですが

今となってはわかります

 

父と母のそれぞれのことは

また書きますね

 

母が一人で家を出ていく日

引っ越しを手伝ってと

言われました

 

母は寮のあるところへ

引っ越ししました

 

私としては

小さい時に父に出ていかれ

28歳になって母に出ていかれる

 

母が出ていくとなったとき

 

めちゃくちゃ複雑でした

 

引っ越しを手伝ってと

言われて

 

うん とは言ったけど

 

友達と遊びにいって

引っ越しが終わる頃に

帰宅しました

 

母が最後の荷物をもって

階段をおりていくとき

帰宅した私に向かって

大きな声で

 

「手伝ってくれるって

いうたんちゃうんか」と

どなってました

 

私は、何も答えず

部屋に入りました

 

泣きました

 

残された

猫と抱き合って

泣きました

 

家には

父と猫と私だけ

 

しばらく父と

二人の生活

 

今まで通り

ご飯は別で

 

お互い自由

 

猫のトイレの掃除に

毎週母が帰ってきて

くれました

 

私も働いていて

帰宅も遅くなっていたので

 

週に一回母が

家の掃除や風呂トイレの掃除

猫のトイレの掃除を

しにきてくれていました

 

私は、門限をいう

母もいなくなったので

 

当時の彼氏の家に

とまりに行き

朝に帰宅するという

ことを繰り返していました

 

父はもちろん何もいいません

 

私としては

あまり父と二人で

いたくなかった

 

父とはすれ違いの生活を

 

約6か月くらいしたかな

 

阪神大震災の日

1人で部屋で寝ていて

 

飛び起きました

 

猫は怖くて隠れちゃって

 

父が私の部屋に大丈夫かと

様子を見にきてくれました

 

落ち着いてから

父は会社の様子を見にいくと

出ていき

 

私は午後から車で会社へ行きました

 

母にも公衆電話から電話して

やっとつながりましたが

母も大変な様子でしたが

 

お互い無事を確認できたのは

良かったと思います

 

それから、

2カ月くらいしてから

 

母が

「私が出て行って

アンタが残ってるのは

よくない、私に原因があって

離婚したと思われるから

早く出て一人暮らしして!」と

 

言われました

 

ま、そうかなーとも思うのと

 

父と二人も嫌だし

 

阪神大震災から

一カ月くらいして

猫が亡くなってしまったんです

 

それで、ここにいる必要も

なくなったっていうのもある

 

そして、一人暮らしをはじめました

 

部屋を決めてから

1人で運べるものは車で運んで

当時の彼氏に少し手伝ってもらって

 

いわゆる

家具は一切持ち出さずに

 

もっていきたいものだけを

持ち出して

 

父に

今日、出ていくからとだけいい

 

出ていきました

 

残った家具や家電は

父が一人でいろいろと処分したようで

 

父も高い家賃の3LDKのマンションに

1人で住んでいることもなく

 

自分の会社の近くに部屋を借りて

ほどなくして引っ越したようです

 

また家族バラバラだなーと

 

冷静に、今の状況を

受けとめていて

 

引っ越しの手伝いをしてくれた

彼氏とも別れ

 

1人で生きていこうと

せいせいした と

寂しいけど前向きに

思ったのを覚えています。

 

1人暮らしをしたのは

約1年10カ月くらいです

 

2LDKのファミリーが住む

マンションを借りて

駐車場代を入れて11万円の家賃の

郊外の部屋に住んでいました

 

お正月に帰省するところがない

母が、私のところに

泊まりにきたのが1回くらい

 

私はワーカホリックのように

仕事中心の生活を

送っていたので

給料もよく

こんな高い家賃の部屋に

住めたんです

 

ステイタスが欲しかったとかではなく

 

ワンルームには住みたくなかった

 

ワンルームって一人暮らしって

感じがするでしょ?

 

それがすごく嫌だったんですよね

 

1人暮らしだけど

1人暮らしっぽくしたくなかった

 

2回目の一人暮らし生活では

週末は料理を作って

1人でおいしいもんを食べて

借りてきた映画をみて過ごし

 

日曜日は車で一人で

ブラブラして過ごしてました

 

また彼氏ができたけど

部屋には絶対にいれませんでした(笑)

 

1人暮らしの部屋に入れて

入り浸りになるのを避けたかったから

 

入り浸りにならないようにすればいいけど

断れなくなる自分の事がわかっていたから

なんだかんだと理由をつけて

部屋にはいれませんでした(笑)

 

自分の弱いところを認識していたのかもね

 

あんなに家族がほしいからと

男に尽くしてきたのに

 

いざ、そんなことが出来る

場面になると

しなかった、できなかった

 

私の悪い思考癖

自分から幸せから逃げようとする

避けている

 

幸せになろうという

行動も思考もせず

 

幸せになりたいなんて口ではいうけど

 

幸せになれないと思っていた

あの頃

 

 

幸か不幸か

両親と3人で

20才過ぎて暮らす事ができたのに

 

親が離婚して

結局バラバラになる

 

無理なもんは無理やし

ズルズル続けるのもいやだし

 

ってことで

 

離婚したくないから

離婚しない人としか結婚しない という

思考になっていったんです

 

幸せになりたい とか幸せになる とかでなく

 

離婚すること前提みたいな思考で

離婚はしたくないから

離婚しても男に頼って生きていくのは

嫌だから

 

1人でも生きていける力を

作ってからでないと

結婚したくない、できないって

 

思うようになったんですよね

 

だから、付き合った男性に

プロポーズされても

「アンタには私の人生を

背負えないでしょ?」みたいに

なって

 

いいよ、後で彼に嫌われる前に

私からバイバイみたいなね

 

そんなことをしていたから

そうなるとわかってたから

 

深入りしないように

家にいれず、楽しい部分だけで

お付き合いを繰り返していたんです

 

ね、なんか寂しい思考をしていましたね

 

アラサーなんて

一番いい時なのにね

 

バカだったね私(笑)

 

今日も読んでくれてありがとう

 

 

 

 

 

 

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