毒親育ちの

アダルトチルドレンを卒業して

自分未来を作るサポーター

カウンセラー💖苺花-Maika-です。

 

暑くなりましたね。

 

すっかりアイスの季節です。爆  笑

 

今日のアイスは

毎年食べてしまう

ティラミスクッキークランチ

 

ティラミス好きですので

この見た目だけで買ってしまいます。

 

食べると意外とティラミス感

ないかもびっくり

中はこんな感じ
クランチがたくさん
 
これ、食べるとき
クランチがこぼれないように
慌てず食べるのがコツ
 
冷凍庫から出してスグは
下のアイスがカチコチ
でも、クランチは意外と
凍ってないから
ザクっといけるかと思い
スプーンを勢いよくいれると
クランチがバラけます
あーーーもったいないびっくり
 
と、アイスの話はこれくらいで

 

 

私のことシリーズ①~⑥書きました。
今日は⑦をサクっと書きますね

 

 

 

 

中学時代のことをさくっと

書きましたけど

 

恋愛のこと書いてなかった

ですね爆  笑

恋愛系はまた今度書きますね

 

とりあえず

親とのことを中心に書いて

いってます

 

では、高校の話

 

お金持ちのお嬢さんばかりで

そして賢い方たちの

女子校に

 

まぐれ で入りました

 

そう、中3は

毎日、週6または7で

塾へ行ってましたからね

 

受験勉強してきていない

両親だから

 

勉強しろとは言いませんが

 

嬉しかったんでしょうね

 

私が「いい学校」に

入ったから

浮かれて、言いまわって

いました。

 

何より私は

その高校に行きたいとも

特に思ってなくて

 

家にいたくないから

塾に行っていたし

 

勉強しないと

あんな不良になってしまう

こんな家庭環境だから

私は、きっと

落ちぶれてしまうと

 

大人の中で育った

大人の顔色を見て育った

一人っ子の私は

 

そう思って

少しでも勉強したほうが

普通の人と一緒に

いれるのかも

普通の人と友達になれるかも

 

そんな考えでした

 

勉強ができたではなく

詰め込んでいくだけの

塾生活

 

そしたら塾の先生が

ココなら行けるだろうと

 

そして

何を隠そう

私も「ヤッター」でした

 

どんな学校か知らんけど

合格したというたら

みんなに

スゴイすごいと言われて

 

私は

これで、上にいける

普通より上にいける

 

って思っていました

 

上ってなんやねん!ですがびっくり

 

そして、父から言われたことは

両親が別居してることは

絶対に言ってはいけない

 

いい家の子のフリを

して、余計なことは

言わないように

言うと、仲間はずれに

されるで!と

 

父がお金を出してくれるし

 

父の言うことも

確かに・・・と思ったので

そうしました

 

父は小さい会社をやっていたので

「経営者」「社長」という

点では嘘ではないしね(笑)

 

社交性はある私だったので

友達を作ることには

困りませんでした

 

仲良くなって

8人グループができあがり

 

でもね

 

まず

勉強についていけないびっくり

 

勉強の仕方がわからない

 

今まで中2中3と塾三昧で

塾の先生にたたきこまれて

やってきた

 

いわゆる

言われるようにやってきただけ

 

さ、自分で勉強しなさい→できない

 

高1の3学期には

赤点ばかりで追試でした

 

みんなが帰ったあと

みんなが春休みに入ったあと

追試で呼ばれる

 

なんとか2年にあげてもらえました

 

父は

学校が募集している寄付に

100万とか寄付をしていました

 

寄付していたら、私を優遇して

もらえると、卒業させてくれると

思ったみたいでした

 

逆にお金持ちの友達ん家は

そんな寄付はしていないらしい

 

母は

学校の行事

いわゆる参観日的なものには

だんだん参加しなくなりました

 

1年のときに2回くらいきて

萎縮してしまったみたいです

 

2年に1回きて

あとは来ませんでした

 

友達の家に泊まりにいったことも

あったのですが

 

大きな家で大きな庭もあって

ご両親そろっていて

 

なんでもかんでも

うらやましかったあの頃です

 

うちはそんな広くないし

とかなんとか言って

高校3年間友達を呼ぶことは

なかったです

 

母は

友達の家に遊びに行くなと

なぜなら

行ったら呼ばないといけない

からと

 

友達関係や高校生活は

楽しかったですよ

辛いこととか

なかったです

 

いじめることも

いじめられることも

なかった

 

ただ、いつも私の心の中が

なんだか物足りなかった

 

自分の心の内を

家の親との関係の事を

口に出すことは

できなかったから

 

なんとか

ごまかしながら

すごしていました

 

私が生きづらいと

感じたのは

この高校生時代が

はじまりだったかも

しれません

 

だからね

高3になって

またクラス替えで

 

みんな基本は受験

 

短大就職コースと

4年生大学目指すコースと

理系の大学目指すコースと

 

希望でわかれて

 

私は4年生大学コースを

選びました

 

ついていけてないのにね

「浪人するし」って

ずっと言ってたしね

 

みんなと同じように

大学に入れないのは

自分でもわかっていた

 

高3になって

そんな斜めに構えている

私は

余計にしんどくなって

学校を休んだりしました

 

もちろん

ちゃんと卒業できるまでは

ギリギリクリアしてますけど

 

仲良かった友達とも

同じクラスにはなったけど

 

私が浪人するつもりで

勉強の体制にもなっていないので

 

ちょっと距離とられたりと

 

それが、寂しいけど

ホッとしたり

 

高3になって

大人に近づいていけばいくほど

 

大学とか就職とか

社会に近づいていけばいくほど

 

とってもしんどかったのを

覚えています

 

自分が浮いていたのも

わかってました

 

仲間外れというわけではないけど

 

教室移動の時

いつの間にか私は一人だったり

 

もちろん、たまたま一人で

移動になってしまったって

事もあるだろうけど

 

自分でもわかってました

「私と付き合いにくいんだろうな」って

 

うん、よくわかってました

 

自分の育ちはみんなより劣っている

イコール

私は劣っている

 

って、わかってるけど

それを隠すために

 

いいかっこしてたのかもしれない

 

みんな、そんなの

わかってるだろうにね

 

正直でいたほうが

もっとみんなと仲良くなれたかも

しれないです

 

高校卒業して

浪人して

希望の大学全部落ちて

短大に入りました

 

高校時代の友達は

私が浪人している時も

ご飯や遊びに

誘ってくれましたけど

 

私はあえて避けてました

 

勉強せなあかんから

やめとくわ と

 

自分から距離をとっていましたね

 

でも、短大に合格したとき

 

1人だけ一番仲良かった

友達が

喜んでお祝いしてくれました

 

その時、はじめて

家に呼びました

 

Mちゃんです

 

母が手料理を作って

もてなしてくれました

 

Mちゃんの家には行った事

なかったけど(かなり遠いので)

Mちゃんとは大の仲良しで

お世話になったし

 

当時、我が家は

またまた引っ越ししまして

少し大きめのお庭つきの

賃貸に引っ越しました

 

だから、私は呼びたくなったのです

 

母は嫌がりましたけど

Mちゃんの事はいつも話していたので

しぶしぶOKしてくれました

 

OKしてくれたのも

少し大きな家に越したことは

大きいと思います。

 

Mちゃんは、超金持ちのお嬢さん

だけど、変な欲も我もないので

私はホッとできました

 

その後、私が短大に入ってからは

電話で話すくらいになってしまったけど

Mちゃんには感謝しています。

 

短大に入ってからは

一つ下の子たちと同級生になりました

 

でも、たまたま病気療養で1年入学が

遅れた女の子がクラスにいて

彼女と仲良くなりました

Kちゃん

 

Kちゃんも私も明るい方だったので

他にもすぐ友達ができて

 

それなりの

楽しい短大生活

高校も短大も

恋愛もして

彼氏もそこそこいて

 

それなりに楽しかったですよ

 

でもね

高校も短大も

今でもお付き合いしている

友達はほぼゼロです

 

わたしから避けていると

いう感じです

 

これは

私のコンプレックス

自己肯定感が低かったから

 

そんな関係を作ってしまいました

 

このあたりの

心のお話は

また書きますね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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