毒親育ちの
アダルトチルドレンを卒業して
自分未来を作るサポーター
カウンセラー💖苺花-Maika-です。
暑くなりましたね。
すっかりアイスの季節です。
今日のアイスは
毎年食べてしまう
ティラミスクッキークランチ
ティラミス好きですので
この見た目だけで買ってしまいます。
食べると意外とティラミス感
ないかも
![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
私のことシリーズ①~⑥書きました。
今日は⑦をサクっと書きますね
中学時代のことをさくっと
書きましたけど
恋愛のこと書いてなかった
ですね
恋愛系はまた今度書きますね
とりあえず
親とのことを中心に書いて
いってます
では、高校の話
お金持ちのお嬢さんばかりで
そして賢い方たちの
女子校に
まぐれ で入りました
そう、中3は
毎日、週6または7で
塾へ行ってましたからね
受験勉強してきていない
両親だから
勉強しろとは言いませんが
嬉しかったんでしょうね
私が「いい学校」に
入ったから
浮かれて、言いまわって
いました。
何より私は
その高校に行きたいとも
特に思ってなくて
家にいたくないから
塾に行っていたし
勉強しないと
あんな不良になってしまう
こんな家庭環境だから
私は、きっと
落ちぶれてしまうと
大人の中で育った
大人の顔色を見て育った
一人っ子の私は
そう思って
少しでも勉強したほうが
普通の人と一緒に
いれるのかも
普通の人と友達になれるかも
そんな考えでした
勉強ができたではなく
詰め込んでいくだけの
塾生活
そしたら塾の先生が
ココなら行けるだろうと
そして
何を隠そう
私も「ヤッター」でした
どんな学校か知らんけど
合格したというたら
みんなに
スゴイすごいと言われて
私は
これで、上にいける
普通より上にいける
って思っていました
上ってなんやねん!ですが
そして、父から言われたことは
両親が別居してることは
絶対に言ってはいけない
いい家の子のフリを
して、余計なことは
言わないように
言うと、仲間はずれに
されるで!と
父がお金を出してくれるし
父の言うことも
確かに・・・と思ったので
そうしました
父は小さい会社をやっていたので
「経営者」「社長」という
点では嘘ではないしね(笑)
社交性はある私だったので
友達を作ることには
困りませんでした
仲良くなって
8人グループができあがり
でもね
まず
勉強についていけない
勉強の仕方がわからない
今まで中2中3と塾三昧で
塾の先生にたたきこまれて
やってきた
いわゆる
言われるようにやってきただけ
さ、自分で勉強しなさい→できない
高1の3学期には
赤点ばかりで追試でした
みんなが帰ったあと
みんなが春休みに入ったあと
追試で呼ばれる
なんとか2年にあげてもらえました
父は
学校が募集している寄付に
100万とか寄付をしていました
寄付していたら、私を優遇して
もらえると、卒業させてくれると
思ったみたいでした
逆にお金持ちの友達ん家は
そんな寄付はしていないらしい
母は
学校の行事
いわゆる参観日的なものには
だんだん参加しなくなりました
1年のときに2回くらいきて
萎縮してしまったみたいです
2年に1回きて
あとは来ませんでした
友達の家に泊まりにいったことも
あったのですが
大きな家で大きな庭もあって
ご両親そろっていて
なんでもかんでも
うらやましかったあの頃です
うちはそんな広くないし
とかなんとか言って
高校3年間友達を呼ぶことは
なかったです
母は
友達の家に遊びに行くなと
なぜなら
行ったら呼ばないといけない
からと
友達関係や高校生活は
楽しかったですよ
辛いこととか
なかったです
いじめることも
いじめられることも
なかった
ただ、いつも私の心の中が
なんだか物足りなかった
自分の心の内を
家の親との関係の事を
口に出すことは
できなかったから
なんとか
ごまかしながら
すごしていました
私が生きづらいと
感じたのは
この高校生時代が
はじまりだったかも
しれません
だからね
高3になって
またクラス替えで
みんな基本は受験
短大就職コースと
4年生大学目指すコースと
理系の大学目指すコースと
希望でわかれて
私は4年生大学コースを
選びました
ついていけてないのにね
「浪人するし」って
ずっと言ってたしね
みんなと同じように
大学に入れないのは
自分でもわかっていた
高3になって
そんな斜めに構えている
私は
余計にしんどくなって
学校を休んだりしました
もちろん
ちゃんと卒業できるまでは
ギリギリクリアしてますけど
仲良かった友達とも
同じクラスにはなったけど
私が浪人するつもりで
勉強の体制にもなっていないので
ちょっと距離とられたりと
それが、寂しいけど
ホッとしたり
高3になって
大人に近づいていけばいくほど
大学とか就職とか
社会に近づいていけばいくほど
とってもしんどかったのを
覚えています
自分が浮いていたのも
わかってました
仲間外れというわけではないけど
教室移動の時
いつの間にか私は一人だったり
もちろん、たまたま一人で
移動になってしまったって
事もあるだろうけど
自分でもわかってました
「私と付き合いにくいんだろうな」って
うん、よくわかってました
自分の育ちはみんなより劣っている
イコール
私は劣っている
って、わかってるけど
それを隠すために
いいかっこしてたのかもしれない
みんな、そんなの
わかってるだろうにね
正直でいたほうが
もっとみんなと仲良くなれたかも
しれないです
高校卒業して
浪人して
希望の大学全部落ちて
短大に入りました
高校時代の友達は
私が浪人している時も
ご飯や遊びに
誘ってくれましたけど
私はあえて避けてました
勉強せなあかんから
やめとくわ と
自分から距離をとっていましたね
でも、短大に合格したとき
1人だけ一番仲良かった
友達が
喜んでお祝いしてくれました
その時、はじめて
家に呼びました
Mちゃんです
母が手料理を作って
もてなしてくれました
Mちゃんの家には行った事
なかったけど(かなり遠いので)
Mちゃんとは大の仲良しで
お世話になったし
当時、我が家は
またまた引っ越ししまして
少し大きめのお庭つきの
賃貸に引っ越しました
だから、私は呼びたくなったのです
母は嫌がりましたけど
Mちゃんの事はいつも話していたので
しぶしぶOKしてくれました
OKしてくれたのも
少し大きな家に越したことは
大きいと思います。
Mちゃんは、超金持ちのお嬢さん
だけど、変な欲も我もないので
私はホッとできました
その後、私が短大に入ってからは
電話で話すくらいになってしまったけど
Mちゃんには感謝しています。
短大に入ってからは
一つ下の子たちと同級生になりました
でも、たまたま病気療養で1年入学が
遅れた女の子がクラスにいて
彼女と仲良くなりました
Kちゃん
Kちゃんも私も明るい方だったので
他にもすぐ友達ができて
それなりの
楽しい短大生活
高校も短大も
恋愛もして
彼氏もそこそこいて
それなりに楽しかったですよ
でもね
高校も短大も
今でもお付き合いしている
友達はほぼゼロです
わたしから避けていると
いう感じです
これは
私のコンプレックス
自己肯定感が低かったから
そんな関係を作ってしまいました
このあたりの
心のお話は
また書きますね
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企画しています。
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