なぜ、私が家族、パートナーシップを大切に生きるのかパート3 | Happiness MindカウンセラーMAIの 自分でつかむ 愛し愛される人生へ →女神MindでHappinessMuseLife

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自分を癒して、愛に気づき、キラキラ輝かいて生きよう。ずっと続く豊かな幸せを手に入れる。
そして、自分も周りももっともっと輝き始める。女性が笑えば、世界が笑う。

こんにちは。
HappinessMindカウンセラー.臨床心理士のMAIです。

前回に引き続き、
「なぜ、私が家族、パートナーシップを大切に生きるのか」パート3です。


パート1はこちら→パート1
パート2はこちら→パート2

育ってきた環境の中で、いつも気に揉んでいたかというと全くそんなことはなく、大抵やりたいように、生きたいように生きていました。
楽しいことが大好きで楽しい方に楽しい方に楽しさを優先していた10代。

母は、不遇な人生を歩んできた人で、かつ、ものすごい努力家で大学もどうしてもピアノがしたくてしたくて、自分で働きながら通ったような人です。

わたしが幼い頃は自宅でピアノを教えていて、毎日毎日きっちり一生懸命に4人子育てしながら、精神的に誰に頼るでもなく、必死に生きていました。

今はとても朗らかになりましたが、朗らかさはなく、ヒステリックでよく怒って、否定的な声掛けはたくさんありました。厳しくしないと立派な人間になれない、そんな感じで。

姉なんかは3.4歳で指先が血が滲むくらいピアノのレッスンを何時間もしていたそうです。(今では姉は「努力と我慢は誰にも負けない」という素敵な女性になっていますおねがい)

兄弟姉妹は全員、公文、ピアノ、習字、テニスなどなど、習い事させてもらって、毎日同じようにきっちりと行うことを教えられていました。

ほんとに毎日毎日ピアノのイスに座らされて(←いまは感謝と尊敬しかないですけどチュー)、怒られまくりながら、やっていたにも関わらず、キーキーと怒られ慣れすぎて、ピアノのイスで弾きながら寝たり、チョロチョロ違うことし始めたりしていたのでイスにくくられたこともありました笑笑


末っ子で本当に自由好きな私は、勤勉な母に育ててもらって、ありがたかったと思っています。

が、しかし、

当時は、怒ってばっかり、ダメ出しばっかりで父のことも不満を言う母には、正直、嫌われていると思ってもいました。
お姉ちゃんたちは、「お母さんの子」だから、私はいらない子なんだなって。

これが潜在意識に刷り込まれていたことに本当に気がついて、言語化できるようになったのは30歳超えてからです。


小学生高学年の頃には、
「人の役に立てるひとになりたい」と強烈に思ったことを覚えています。
これは、つまり、
「母や父の役に立って、私を認めて欲しい」
逆に言うと「役に立たないと愛してもらえないかも」という信念を作ったようです。

それを埋めるかのように、私は恋愛に走りました。
自分だけ愛されたかったから、手っ取り早かったんでしょうね、、、。

記憶している幼稚園の時から、今現在まで、好きな人がいなかった期間がなく、しかも精神的に自立していなかったので、べったり一緒にいることで満たされようとしていました。

長くなってきたので、、、
パート4へ。
次こそ、いまの私にどうつながっていったかを書きます✨✨

HappinessMindカウンセラーMAI



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