前のブログでお亡くなり
なった中村哲さんが火野葦平の甥だったと書きました こちらです

火野葦平と言っても若い方はご存知ないでしょう。
兵隊3部作で有名な方ですが、その代表的な作品に「花と龍」があります。
洞海湾で働く沖仲士たちの話です。火野葦平の父は、若松の玉井組の親分で、当時沖仲士を仕切っていた吉田磯吉と対立した実話です。

戦前の若松は、石炭の積み出し港で、小型船で筑豊から遠賀川水系で運ばれた石炭を大型船に積み替える港でした。関西方面に運んだと思いますし、若松の対岸の八幡には製鐵所もありましたからね。

ヤクザの抗争事件とも言えますが、港湾荷役が機械化されていない時には、人力で荷役作業をしていたのですから、当然労働者の確保が重要でした。大変な賑わいだった若松港で、現在の若戸大橋の若松側には、大きなお寺がいくつも立っています。毎度楽々もお寺の集まりで行ったことがありますが、空襲で焼けたようなお寺と違い、木造の巨大なお寺です。宵越しの金は持たないという沖仲士たちが、お寺に随分寄付したようです。

ところで、若松の「花と龍」は実話が基になってるんですが、小倉の「無法松の一生」(富島松五郎伝)は、全くの創作です。岩下俊作氏が創作したものです。

無法松というあだ名のある人力車夫が主人公ですが、無法という言葉が「無法地帯」とか「無法者」というヤクザな語感を連想していますが、こちらは、創作とはいえカタギの人です。ここでは、乱暴者という事でしょう。創作ですが、「小倉祇園太鼓」は今年400年を迎えました。こちらは、創作ではなく、歴史を踏まえてます。でも「暴れ打ち」なんていう打法はありません。これは、映画での創作です・

実話と創作ですが、「花と龍」 「無法松の一生」はともに北九州のイメージを作りました。

若松の沖仲士は「ごんぞう」と呼ばれてました。川筋気質と言われる命を賭けての生き様であり、
お亡くなりになった中村哲さんも継いでいるのではと思います。

因みに伯父さんの火野葦平は、自殺でしたが、中村さんも「死」は覚悟したのではないでしょうか?


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村