アフガニスタンで銃撃され亡くなった中村哲医師

元々医療関係の支援でアフガンに行っておられたのに、飲料水がなく、かんばつで農業用水もないと知り、自ら重機を動かし、故郷の福岡・朝倉に伝わる伝統的な堰の技術を学び、アフガンに用水路や井戸を掘ってきました。多くの農地が復活していました。

アフガン政府も中村さん襲撃の情報を得て、ガードマンを付けてたようですが、クルマを止められ銃撃され、止めも刺されました。

長年のご尽力が、こんな形で終わるのは残念です。
たった1人の日本人が、全く状況が違う国で、多大な功績を遺したんですね


今日の産経の「産経抄」によれば、中村さんは、火野葦平の甥だったそうです。
お婆さん・・・火野葦平の母親になるんでしょうが、「花と龍」の中でモデルの1人になった人です。

荒々しい沖仲士たちを率いていた火野葦平の父ですが、それを支えていたのは産経の記事では

偉業の原動力はなんだったのか。「弱い者を守れ」。中村さんは母方の祖母から受けた説教が、自分の倫理観の根底にある、と著書に記している。伯父にあたる作家、火野葦平の代表作『花と龍』のモデルにもなった。剛毅(ごうき)な女性だったらしい。


と紹介されています。中村さん自身は、福岡高校・九大医学部のご出身ですが、生き方の根底には、北九州の心意気があったんですね。暴力を怖がらず、弱者を守る・・・中々できることではありません。