名古屋ゴルフ倶楽部和合コースの設計は大谷光明氏です。以前もご紹介したことがあると思います。→こちらです

そして、昔書いたのは→こちらです

真宗本願寺派の大谷家の方です。お坊さんの作ったゴルフコースですから「南無・・・」とお祈りしてからスタートとすれば良いのかもしれません。

名古屋ゴルフ倶楽部は戦前の開場ですが、楽々も戦前開場したコースには川奈と大阪の茨木くらいですね。大半の日本のコースは戦後ですから・・・

選手が苦労しているのは微妙なアンジュレーションです。これは良く言われるのですが、建設重機がない時代に手作りで作るとどうしても平坦にはならずにFWにしろグリーンにしろ起伏が残ってしまいます。グリーンなんかは改造していると思うのですが、排水、散水の為に排水管なんかの整備をしていると思いますけれど・・・。

ブルドーザーでガッと押して作ったのではなく、人力で「モッコ」や「しょうけ」で土を運んでいたのですから効率という点では悪いですね。しかし、名古屋ゴルフ倶楽部は1928年5月1日に設立総会をやって1929年9月15日に開場ですから1年半で工事を終えたということになります。1929年9月と言えば翌月10月24日に「暗黒の木曜日」がありニューヨークで株式の大暴落があった年です。日本は関東大震災の影響で苦しんではいましたが、世界恐慌前の良い時代だったのでしょう。

1944年には名古屋陸軍造兵廠より土地を買いたい・・・というよりも強制収用でしょうが・・・という申し出があり、倶楽部を解散してます。そして、戦後はアメリカ軍に接収され、1951年に再度クラブ結成総会をやり、1953年に国から用地を買収して再スタートしています。戦前もそうですが、株式会社組織というのが珍しいです。大半のゴルフ場は1955年くらいに社団法人化して税制の優遇を受けているのですが、戦前の流れとして株式会社なんですね。茨木カンツリー倶楽部なんかは戦前スタートですが、最初から社団法人です。