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あまり意味のない日常のこまごましたこと。

 昨日、一度トイレに起きてからまた寝たのだが、二十数年前から会ってない同級生がかなりリアルに夢に出てきた。そこそこ仲が良かったのだが、どうも行ったことのないそいつの実家に行き、その周囲の親戚らしき人もかなり多数出てくる。自分の夢にしては珍しく、ものすごい数のエキストラで、それぞれセリフがあった。当の本人はなぜかよそよそしくて、まるてふだんの自分のようであった。しかも、情景がありまりにリアルカラーで、夢とは思わなかった。起きるとものすごく疲れがとれていた。先週、仕事で説明文ではなく、珍しく情緒的な文書を書き、ふだん使わない頭の使い方をして疲れたのだろうと思う。ちょい、不気味だった。

 最近、日常生活で些細なへんなことが起こる。ふだん使わないほうの車で、母親を墓参り、その他雑用のために乗せた。それも突然、乗せてくれと言われ、しぶしぶ従ったのだが、その車が国道で停止。交通量が多い交差点付近でJAFの救援が到着するまでひやひやした。あまり故障しない部分がいたんでいて、緊急にディーラーさんまで運んでもらった。そのJAFの担当の方が、こちらディーラーと私用で同じ販売店で、担当の方までを同じでよく知っているるとのこと。なので、連絡をとってもらった。なんなんだ。たしかに、せまい地方の社会とはいえ、偶然過ぎて気味悪すぎるわ。しかも、停車した場所は、ここしかないというような、ぎりぎり安全な場所。いずれはすぐにどこかで止まってましたね、ということで、いろんな意味で不幸中の幸い感が強い。何かに守られてるような気もするし、奇妙な小さな渦の中にいるような気にもなる。車中、車検やいろいろ情報交換をさせていただく。また再度家を出たのだが、こちらの車も不具合を発見。来月、車検だしまあいいかと。いいのかわるいのかわからないような、不思議な最近の運勢である。

先週、知らない電話番号から携帯に着信が4件あった。また、めぐりあわせが悪く、勤務時間だったが、疲れから頭痛とめまいでふらふらの時で、またうっかり着信音を最小にしていたためそれに出られなかった。気づいたのは次の日の朝である。とりあえず、番号をハイフンなしで検索してみたら、実在するまっとうな大阪の飲食店だった。こころあたりがない。電話してみたが留守電だったし、まあ、番号通知もしたからこれでいいかと思った。まあ、いろいろ面倒なパターン、例えば予約をこの番号でほかの人が入れたりとか無駄なありえないを想像したが、とりあえず、これはこれで終わったことにしようと思った。が、また電話がかかってきた。「○○さまですか、予約の件で」。自分ではない苗字である。よくある苗字だが、こころあたりがない。人違いであること、また、ここ数か月大阪には行っておらず、間違いであることを伝えた。電話番号の一部がまちがっていただけだろう。そのあと、店と○○さんとのことを考えてみたが、まあ、余計なことなので考えるのをやめた。

 以前、土曜の朝に01からはじまる電話番号からの着信で起こされた。北海道である。何事かと思ったら、「速く起きておりてらっしゃい、今日、でかけるんでしょう?」と怒ったような年配女性の声である。しばらく意味が分からなかった。ドラマか夢か?「間違い電話だと思います」と答えたら、「えーっ、えーっ?」と答えられた。すいませんと言って電話が切れた。お母さんがまだ寝ている、出かける予定のある息子に携帯を家庭内の内線のように使い電話をしたのだろう。番号の一部を間違えたのだろうが、電話代もたいへん無駄である。

 携帯をはじめて契約した15~6年前、数日して知らない着信があった。「○○さんの電話ですか?」と中学生くらいの少年とおぼしき声で電話があった。京都府北部くらいの電話番号だった。「違います。」とだけこたえるとすいませんと言って切れた。

 数日後、想像するにその中学生のお母さん世代くらいの女性の声で電話があった。局番がやはり前の電話と同じであった。違う旨を伝えて電話切った。駅に迎えに行くから何時につくかといった打ち合わせをいきなりされた。

 相手がいつも電話している相手だと相手を確かめずいきなり本論にはいるのだろうか。また、固定電話とはいえ短縮登録をしてなかったか、短縮機能を使うのがきらいなのか。まあ、それはあるかもしれない。

 その局番からは2年おきくらいににまちがい電話があり、主にお母さんで、記憶にあるかぎりらでは、一度はその友達らしき人だったように思う。どうも同一人物で自分の電話番号が似ているようであった。こちからしゃべると「えー?えー?」ととまどったような感じがあるから、声が違って混乱しているようだから、その番号の主は女の子ではないかと思う。手書きか入力からしらないが、まちがったまま電話番号のメモか何かが出回っていたのかもしれない。

 中学生が大学生になり働き始めたのかなあと、ときどきの一方的な通話内容から勝っ手に考えたりしていた。その間違い電話もここ8年ほどはない。ないように思う、記憶にあるかぎりは。

 しかし、そういう電話が来るときは、たいていなにか運気が落ちるというか充電時期みたいな時期に重なるように思う。理由もなく体調が悪く、些細なことがうまくいかない、それも、そんなに偶然にぼたんのかけちがいが発生し、うまくいかないことが?というようなことが連発しているような時期に多い。文明化しても超自然的なことはあるなあと思ってしまう。すべて、偶然をそう思いたい人間の考えのくせに過ぎない。悪くとらえずおもしろいこともあるものだととらえようと思う。事実にいい悪いもない、とらえ方しだい。

 

 

 

今、スカパーで1984年のアメリカ映画「ストリートオブファイヤー」を見ているというか、かけているだけなのだが、いや、なんとも心地よい感じである。

珍しく仕事が忙しくて、心地よい疲れがあります。

話はかわるが、自分はあまり人の気持ちがわからない、というかわかっても痛みがもう一つ実感できない人でなしだということを再認識し、珍しく反省する気分になっている。

わからないのではないが、わかったうえで、それくらいなんともないと思わないとだめだろうと思うのである。まあ、試しているような面もあり健全ではないのかなと思うようになってきている。

どうでよいことを考えながら、いろんな考えが同時にいくつも進行しながら今日も㏠が終わる。

さて、もう寝よう。

日本経済新聞2016年10月9日(日)の書評欄で気になった本

 

寝る前5分の外国語

語学の参考書を本自体の魅力から評価する書評集。

文法書や問題集、辞典など約100冊を取り上げている。

 

同時通訳はやめられない

広島訪問をしたオバマ米大統領の17分の演説を通訳した著者は、「言葉の迷路に引き込まれる」ようだったと振り返る。実用的な英語の「ワンポイントレッスン」もあり。

 

以上、新聞記事のほぼそのままです。

タイトルにリンクあり。

気がつけば、二か月近くブログ更新もしていず。

日記というのはほんとうに続かない。

三連休なのだが、昨日ハープの演奏を聴きに行き、今日はびわこビエンナーレに行った。

明日はアメフトの試合を見に行く予定である。

美術鑑賞と音楽のイベント、スポーツ観戦を月一ノルマにしょうと夏くらいから思い立って、いろいろ外出はしているのだが、ブログにまで書く気力がなくなっている。

つぎからつぎから日常のたいしたことない些細なトラブルや気になることが現れる。

まあ、そう思うと日々の平凡な毎日もゲームのようなものだと思う。

1つのステージをこなすと、次にまたなんらかのプレッシャーや妨害、ミッションが現れる。

ゲームがそういう現実をなぞっているのだが、ならばなんで数億人の一人である個人にまで、そのようなしかけがされているのか?いや、まあ、人間の脳がそう錯覚するだけであろう。

すべては偶然、それをどう思うかは人の解釈にすぎないのであろう。

何かをやろうとすれば、トラブルが起こり、やり遂げるとまた新たな課題が与えられるような気がする。そう気がするだけなのだろう。

 

 



盆暮れはここ数年家の用事に対応しなくてはならなくなったため、出向くことのできなかったコミックマーケットにひさしぶりに行く。

1日だけならなんとかなりそうなので、本日8月14日、日帰り東京を敢行。無事帰宅。

暑さもたいしたことなく、体力的には問題なかったのですが、帰りの時間が気になりゆっくりした感じになれりきれなかったが、まあ、楽しかった。満足。

朝5時に家を出て9時に到着、夕方4時まで現地にいて、8時に帰宅。

遠くに日帰りというのはなんかへんな感じだな。


  急に大音量で音楽が聴きたくなった。

   ここしばらくは月一くらいでいろんなジャンルの音楽イベントに行くことにしようと決め、今週末くらい何かないかとネットで検索するきことに。

 ウォーカープラス というサイトが便利である。

 今はないですが、「びあ」とか「京阪神Lマガジン」とかいう雑誌が昔あってそれのネット版のような感じである。

 便利な世の中になったものだ。

 近畿・東海あたりで何かないかとさがしたらこれがありました

 名古屋GROOVING SUMMER

 名古屋は一時期、よく行ったが久しぶりである。

 まず、HМV栄にてLUIS VALLE & Afro Q-bamigos というジャズのグルーブを見る。メインのトランぺッターの方はキューバの人らしいが、日本語がただうまいだけでなく、しゃべりもなれていてプロの芸人のような司会をされておもしろかったです。

 


 音楽的なことには詳しくないのですが、ふつうに聞こえて、何かわからないがいろんなジャンルの曲が混ぜられて、それが一つのものにミックスされてくせのない感じにされているように感じました。ただ、一番テンションがあがったのはラストに演奏された、明らかなラテンのダンス調の音楽。「祭り」という感じでした。

マリンバがやさしくてここちよかった。すぐ帰ったが、記念にCD買ったかえればよかった。


そののち、地下街のドコモショップ内のステージにて、伊藤寛哲 feat. 宮坂俊行 というアーチストのライブを見る。

Fly me to theMoonやOver the Rainbowなど定番の曲を静かなアレンジでギターとボーカルで演奏されました。べたな選曲というのが、くわしくないものにはありがたい。そのへん、イベントのことを考えて曲の構成をされていのか?

The Long And Winding Roadが、個人的には思い入れのある曲なので聞けて良かった。


ジャズなのだろうか?何かヒーリング音楽に近いものを感じた。





 テレビ塔の下あたりの野外ステージでもアマチュアのロック系バンドの方が演奏されていた。なにかアイドルグループらしきものも交流イベントをやっていてにぎやかな感じであった。いつも何かしらやっているようなとろこではあるが。

日ざしはきつかったが、夏の暑さが例年ほどではないような気がする。

 年々暑気に弱くなってるので外出しなくなっており。かなり疲れた。

 今年の夏晴れた日の初めての長時間外出である。

 高速で片道90分ほどかかるのだが、それだけで皮膚が痛くなった。


 まあ、それはそうと、途中のサービスエリアに立ち寄ったら自販機に怪しい缶ジュースが。






真ん中のお嬢様なんとか

さすがに話のタネだけに210円を出す気になれかなったが、ええかげんにせーよとつっこみたくなりました。さばけすぎだろう。
リンクを見るとわかるが女性用の栄養ドリンクらしいです。



夏なので花火。
スイカ、アイスコーヒー、お中元、うなぎ、サイダーと本日は日本の夏でした。   今年の夏は暑さがましなような気がする。
酷暑予想が外れてよかった。

 イギリスがEUを離脱する国民投票がされている。

 それに対して、他のEU諸国はものすごく離脱に批判的である。

というのは、人の流入などの問題はあるものの、経済圏が広がり景気はおおむねよい方向に進んでいるかららしい。

 しかし、イギリスが抜けると現在のバランスが崩れ、EUそのものの存続が危うい可能性も出でくる。

 昔はよかった、自分だけがよければよいというのが最悪の思想、とフランスの学者が新聞で語っていたが、正論であるが、しかし、それだけ恐怖感を感じて怒りが爆発しているような感じがする。

 国民投票までして、しかも意見が拮抗しているというところを見ると本当に離脱したい人も多いということだろう。

 思うに、ローマ帝国にしてもソビエト連邦にしても崩壊したが、それはそれでその環境の中でベストな国境・状態の選択であったのだろう。永遠に続くことのない境界線であるなら、今、そこそこうまくいっている状態をあえてこわすことはないのではないかと思う。

 いずれはまた、小さなイギリス、中くらいの規模のイギリスに戻ることもあるだろうと思う。

 連合体というのは特に分離しやすい。

 今でも、イングランドだけなのか、ブリテン島とアイルランドの一部なのか、あいまいだし、かつては大英帝国だった。日本と同じように島国なので、ちょっと特殊で排他的である。大陸の国とは住んでいる人の感覚がちよっと違う。

 大英帝国終焉後、斜陽の国と子供のころ教わったが、EC加盟後の70年代中盤から今に至ってそこそこ経済がまわっているらしいではないか。


 

 自己啓発系の本が好きなのだが、今とある著者の本を読みだしている。


 自己啓発の著者は医師だったり弁護士だったり、ある特定の専門の人が持論と過去の体験を語って、生き方を示唆するものが多い。基本的に主張も一つだが、当たり前だが過去の思い出も一人分しかない。


 なので、時間管理・メモから、学習法、コミニケーション法、生き方・人生論というパターンで切り口を変えて、同じことを書かれる。


 そのパターンは固定化していて、たくさんの方が似たようなひな形を踏襲される。たぶん、編集者がそう導いているのであろう。


ウルトラマンやガンダム、スーパー戦隊、仮面ライダー、プリキュアが同じだが違うものをえんえんシリーズとして続けるのと同じである。飽きられるまで出るのである。


 しかし、売れ筋を続けるというのは間違いではない。


 洋楽邦楽のアーチストでも、ファン以外はみんな同じにしか聞こえない大物がいて、人にどう思われようと冒険はしない方たちがいる。たいへん賢いと思う。購買者目線に徹する、本当のプロだ。


 その凝っている著者の本を取り寄せ、到着の連絡が来たので、大きめの書店に行った。ついでにその分野の本棚を見たら、「一流の人は~」というパターンも最近流行りらしい。このタイトルをつけても語ることは同じである。このような著述をされるのはたいてい、いろんな職種において一線で活躍されているので、まちがいではない。しかし、この場合、時間管理などと違って、自分に何か取り入れるために読むというより、子どもが少年ジャンプの主人公を見るような、あこがれの感覚で読むのかもしれない。そういう意味で、自己啓発本もファンタジーの要素がある。


「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』という、小説があったが、これもある意味自己啓発本である。フィクションにしている分、ある意味、潔い。


このパターンで、「もしも高校野球の女子マネージャーがカーマ スートラを読んだら」というのがあれば、どうかと思った。ある意味アウトなのだが、思いついたので書いてみました。下ネタで締めます。すいません。