私は外出許可を貰い。迎えに来てもらって家に連れて帰りました。
実母、義母二人で来てくれて知らない人から見れば幸せな退院に見えたんだろうな…って。


エレベーターで可愛い子だね、男の子?女の子?聞かれた。
ありがとうございます。この子は男の子なんです。って応えた。

わざわざこの子死んでるんです。って言う必要ないしね。





産まれててもおかしくない週数だったので家でお通夜と葬式とまではいかないけど、夜と翌朝にお坊さん呼んでお経あげてもらった。

お通夜の時は自分ではまだ友人にダメだったなんて言えてなくて誰も来なかったけど、母の友人が来てくれてお花くれたり、棺に入れてあげてとオモチャくれたり、生きていたわけでもないのにお供えやお香典までくれたり と。
ただ、職場には産まれてら教えてね!と言われ退職していたので、即報告しました。
病院だった為、午前診の終わった5分後。
診察時間過ぎたら絶対出なく留守電に切り替わる。
案の定留守電になり、「○○です!」と名前名乗ると出てくれ話した
初めは「あら…そうなのね…残念だったのね…。」と素っ気なく…
まだ診察中?後ろからみんなの話し声聞こえるしな…
なんか寂しいわ…思ってると電話切られてさらに寂しく😭

でもその後すぐに折り返しかかってきた。
状況がうまく飲み込めてなくて、パートさんやらに自分の口で発してからようやく自体が飲み込めた   と。

その電話で職員みんなと話しした。
でもなんの会話したか記憶ない。



そして気が付くと生きていた人みたいにモノで溢れていた。
病院から出る時は普通の服で汚れても構わない新品の服着せて。
日中は棺は来てたもののもう入れちゃうのは可哀相で。
冷房を居間と仏間ガンガンに効かせベビー布団に寝かせ過ごしてた。

朝帰ってきて日中はヒマ。
母親や祖母から寝とらないかんで、血の道が悪くなる、更年期障害重くなる!と言われて居間でずっとゴロゴロ。 

赤ちゃんの隣でゴロゴロ寝てると赤ちゃん寝かしつけしてるみたいとか、一緒に、寝てるみたいとかで、写真をたくさん撮った。
夜夫が帰ってきてから赤ちゃんの爪、髪の毛を一緒に切った。

臍の緒が乾いたら一緒に入れておけるように。
この子がお腹で生きて成長していた証。


自宅通夜で義両親も来てくれて少人数でやり、家族葬ってこんな感じなのね…と寂しくなりました。


お経終わり私は病院に送ってもらう。
あんなに暑かったのに…
夜ってこんなに涼しいんだ…
と余計淋しくなりました。



病院に帰ってからがもう地獄。
私が家にいる間にどうやら赤ちゃんが産まれた様子。
両隣の部屋から泣き声聞こえてくる😭

病院からのイジメ???
ここ最近こんな事なかったから…と配慮の仕方わからんだけ?
ふざけんな!!と思いながら寝る。

夜中自分赤ちゃんは居ないのに両隣の赤ちゃんの泣き声で目覚める→胸張る→胸痛い→服濡れてる→母乳溢れてる

薬飲んでもすぐきくわけじゃないし、ナースコールしたけど、搾乳すると余計母乳止まらないよ!といわれどうすることも出来ずにまた寝ました。
 


朝、ラミナリアを出してバルーンに切り替えた。

バルーンが抜けたら促進剤投与して出産に向けていきます。と
ラミナリアの時からだけど、痛みが出てくる可能性があるからね!
夜中痛くなったらナースコールしてね。
と言われていた


ラミナリアでは全く痛みもなく、翌日の出産へ向けて夜は熟睡

バルーンが抜けそうな頃から痛みが襲ってきた。

バルーンが抜け、入院中の誰も出産の兆候もない、帝王切開の予定もない、破水や陣痛と言う電話もない と言う事で陣痛室すっ飛ばし早目に分娩室へ。

本当は配偶者以外立入禁止だけど、夫は仕事のため母親がずっと付き添ってくれていた。
初産になるからいつ生まれるかわからない、長い人だと丸一日以上陣痛続く人もいると言う事で産まれたら早退するということになっていた。

点滴促進剤を投与し出してから一気に痛みが襲い初めて来た。
痛くても声に出せない顔に出さないタイプだから驚かれた。
こんなに静かな子初めてって 笑

助産師と母親が交互に背中さすってくれたから痛かったけどそんなにい痛く感じなかった?

促進剤でもどすかもしれないと言われたけど昼ご飯も分娩室で食べました。

吐き気が出たら教えてねと言われ、吐きそう…と伝えると洗面器持ってくる+もう産めるからね!頑張って!と言われ…

分娩に向けてバタバタしだし、
会陰切開し3回のいきみで
15時57分 男の子を産んだ。

もちろん産声なんて無い、静かな出産。
赤ちゃん連れて行かれ身長体重胸囲頭囲測ってきれいになって帰ってきた。

まだ暖かくて生きてるみたいで、寝ているような感じ。
信じられなかったよね。

暫く横になってて車椅子で病室戻ると祖母もいた。
私が横になってる間に母は一度帰って連れてきてくれたんだと思う。

生きてれば赤ちゃんの検査やなんやらで生まれてすぐは一緒にいられないけど一緒に病室に帰ってきた。 

「寝てるみたいだね」って

仕事終わりの父、夫、義母も来てくれてみんなで抱っこして…
途中パチン!って音がして鼻から出血したりしたけど生きてるみたいで。



みんなが帰ってからもずっと抱っこしてたな
降ろしては抱っこして…って。
一晩二人つきりで過ごした


病院からは今日は仕方ないけど明日はもう午後には赤ちゃん置いておけないから、家に連れて帰るか、明日朝一で火葬場送りますがどうします?
それとも原因がわかるかもしれません、解剖されますか?と言われた。


朝一で火葬場送りなんてイヤだし。
 小さな身体にメス入れるの?解剖なんてもっとイヤだし!

そのまま火葬場に送る人も居るってことなんだね。
病院からは死産なんて1年に1回あるかないかで、臨月の死産はここ数年無かった。まさかこなことになるなんて…と言われた。

まさかこなことに…はこっちが言いたかったよ!


解剖は絶対イヤ!そう思ったけど死産してる人はまだいる。
今思えば…だけど、解剖に出せば良かったかも?って思うことも出できて。

もし、解剖していて原因が分かったとしたら
同じようになりかけている胎児を緊急帝王切開で救えるかもしれない、私みたいな辛い悲しい思いを死なくて済むかもしれない…
何か使命をもってお腹に宿ると言われているのに…
もしかしたら、この子が解剖するように来たのかもしれないと思ったり…


もう肉体が無い今となってはどうすることも出来ないけど…


ずっと書けてなかった死産前後のことやっと書こうかと



4年前の9月11日、待望の第一子の男の子の子宮内胎児死亡の宣告を受けた日

検診日で明日が予定日だ!
初産だし遅れるかな?
検診で刺激されて予定日丁度に産まれたりして(^^♪
夜めっちゃ元気な胎動あったし(*´∀`)
ん?そういや胎動ないような?気付かないだけだよね。きっと寝てるだけだよね(>ω<)


今でも忘れない…
忘れる事の出来ない日


そんな感じで検診に向かったのを今でも忘れない。


予定日近いのでNST取るのでこちらへ、と個室に誘導されベットに寝転んで…

前回も心音うまく探せなくて、人を変えたら心音てれて…また今回も探せなくて、人を何回か変えても心音取れない…。どんな向きに赤ちゃん向いてるんだろうね〜と話してて…
エコーが空いたから先にエコー取ろうか

で、エコー取ったら心臓が動いていませんでした…


自分の中で「あ…やっぱり」と何故か思った。
朝激しく動いてた胎動が無いのに自分成の異変に気付いていたからだったのかな。


エコーは医師でなく技師がする病院だった為、すぐ担当医が来て、数人の看護師助産師も来て…
(あとからただならぬ雰囲気だったと聞かされた)

ワタシは見世物ですか?
と言うくらいに。
大勢の人が入ってきた。

そのまま診察室に連れられ、そこで初めて一緒に来てくれていた母親も呼ばれ宣告を受けた。

そのまま病室用意しますのでこちらでお待ち下さいとまた違う場所に連れて行かれ…


病室が用意できたのでこちらに…と別館の産婦人科の病棟へ。
本当産科の方でなく婦人科のみの方を用意してあげたいけどマニュアル上無理とのことで産科に連れて行かれた。
赤ちゃんの泣き声がすごく聞こえる…
本当に辛かった


一度出産準備で用意したカバンを取りに行ってもらい、その間は自由にしててと一人ぼっちで病室にいました。



その日の夜には夫、父親、母親、祖母、妹、義母、義父とみんなが駆けつけてくれた。

最後にみんなで心拍止まっていることを確認させられてから子宮口広げる処置が始まった。