こんにちは。
発行者の月読です。
今回は特別企画『出雲大社と美保神社と金持神社』の道中記の前編です。
令和6年6月15日の19時40分、月読を乗せた夜行高速バスは東京都の新宿に御座いますバスタ新宿から、スケベなスケベなスケスケ透明好色道路を…いや(笑)、ごく普通な東名高速道路を出雲に向けて出発したのでありました。
出発地の新宿や途中でトイレ休憩で寄った高速道路のサービスエリアやパーキングエリアでは小雨が降っておりましたがこれはいつもの清めの雨でして、出雲に滞在中は一滴の雨も降りませんでした。(感謝!)
バスは二時間に一度、各15分ずつのトイレ休憩を計五ヶ所のサービスエリアやパーキングエリアでいたしまして、予定通りに米子駅南口に着いたのが6時45分、ここから電車とバスを乗り継いで、最初の目的地の『美保神社』へ向かいます。
でもその前に電車の時間まで45分ほどありますので、米子駅に併設(へいせつ)されている焼き立てのパン屋さんにて朝食です。
あれこれ欲望のままにテキトーにトレーに乗せてレジにて精算をしたら何と『1111円』でした。
この特別企画『出雲大社と美保神社と金持神社』のメインの目的は宝くじの超高額当選のゲットですので『一等』を意味する数字の『1』はウェルカムなのです。
こいつぁー、朝から縁起が良いぜ!…と、機嫌良く朝食を済ませました。
お腹がぽんぽこりん(いっぱいのコトです…笑)になったら、いよいよ美保神社に向けて出発です。
先ずは米子駅から『0(霊)番線』のホームの電車に乗りまして終点の境港駅に向かいます。
この境港は漫画家の水木しげるの生誕地なのです。
なので駅も電車の外装も内装も全てゲゲゲの鬼太郎ワールドでして、水木しげるファンの月読にとってはまさに天国なのでした。
境港駅からはバスを一度乗り継いで美保神社に向かいます。
米子駅から、だいたい1時間30分ほどで到着いたしました。
自宅からですと約12時間30分です。
遠いですねー!
その間は、ほとんど座りっぱなしです。
気がついたら、お尻が二つに割れておりました。(笑)
この美保神社は全国に3385社御座います恵比寿神社の総本宮でして、翌日に参拝します出雲大社と親子の関係にあるんだそうな。
それは大黒様=大国主命様の息子が恵比寿様=事代主神(ことしろぬしのみこと)様だからなのです。
これ、はっきり言ってかなり無理がある考え方なのですが昔の神道界の偉い人がそう決めてしまったので、現代でもそのようにされているのです。
これ、誰かが勇気を持って改善していかないとダメだと思いますよ。
その美保神社ですが海の近くに鎮座ましまして、さすがに御神気に満ち満ちておりました。
それは深い海の中から明るい空を見上げたような深い青色でして、その水圧さえも感じられるような荘厳(そうごん)な御神気でした。
美保神社に参拝したのは、この美保神社と出雲大社の二社を参拝するコトを『(恵比寿・大黒)両参り』と申しまして、とても大きな御利益がいただける参拝法とされているからなのです。
美保神社では一時間ほど参拝時間が取れましたので、かなり時間をかけて代理祈願をさせていただきました。
ちょうどそのタイミングで巫女さんが神様に舞を奉納しておりました。
このようなタイミングで参拝出来るのは、その神社の神様のウェルカムサインの一つなのです。
つまりその神社の神様が歓迎をして下さっている証拠の一つです。
このウェルカムサインは虹が出たり野生の動物や野鳥が姿を見せたり、どこかから音楽が聴こえてきたり、珍しいモノを拾ったり…等の普段ではあまり無い出来事が起こるコトで「ああ、これだな!」と判断出来ます。
これは月読に限って起こるコトでは有りませんので、あなたも神社に詣でた際に気をつけて感じてみて下さい。
これもちろん、お寺の場合でも同じですよ。
話しを戻しますが、その巫女さんの舞のための音楽は美保神社の神職の方が四人で和楽器で生演奏しておりました。
この美保神社は音楽の神様を祀る神社でもありまして、さすがだな…と思いました。
普通の神社ではデープレコーダーやCDで舞のための音楽を流す所が多いですからね。
代理祈願を終えて、お守りを分けていただいたら、またバスと電車を乗り継いで出雲大社の近くの宿に向かいます。
移動時間は4時間ほどでした。
とりあえず宿で休憩のあと、重い荷物を置き身軽になって、徒歩で10分ほどの場所に在る『島根県立古代出雲歴史博物館』にて翌日の出雲大社への参拝ための予習等をいたしまして、その足で『稲佐の浜』へと向かいました。
この稲佐の浜は毎年の旧暦の10月10日に全国から出雲大社へと集まる神々が上陸するといわれている砂浜です。
日本海に面しておりまして、夕日の絶景地としても知られております。
この稲佐の浜の波打ちぎわの御砂を取りまして、出雲大社の境内の『素鵞社』(そがのやしろ)の御砂と交換いたしますと、その御砂は御守りとして持ち帰るコトが出来るのです。
素鵞社の御砂は一年ほど出雲大社に保管されていた御神気に満ちたモノでして魔除けや厄除けの効果があるとされ、自宅の敷地や家の周りに撒くと、邪気を払い幸福を招いてくれるといわれております。
もちろん小瓶等に入れて室内に置いておいても同様の御利益が御座います。
この稲佐の浜へは出雲大社に隣接している島根県立古代出雲歴史博物館から徒歩で20分ほどの距離です。
毎年、神々が稲佐の浜から出雲大社まで移動する道(ルート)は決まっておりまして、それを『神迎の道』と申します。
その道を事前に調べておきましたので、もちろん稲佐の浜までの往復はその神迎の道を通って行きます。
出雲大社より稲佐の浜まで、ほぼ一直線の道なのですが途中に二ヶ所だけ直角に曲がる交差点が御座いまして、それは知らない人だと分からないだろうなと思いました。
その神聖なる御砂を取るために稲佐の浜に着いたのが日の入りの時間のかなり前のコトでした。
稲佐の浜には『弁天島』と呼ばれる岩で出来た小島が御座います。
高さは約20メートルだそうです。
本来は『弁財天様』が祀られていましたが、明治の頃から『豊玉毘古命』(とよたまひこのみこと)様が祀られています。
これは明治時代の悪法『神仏分離令』の影響でして、早く本来の姿に戻して欲しいモノです。
波打ちぎわで神聖な御砂を取ったあとは、近くのベンチに座って綺麗な夕焼けを堪能(たんのう)させていただきました。
その際にたまに「チリン チリン」と綺麗な鈴の音が聞こえてまいりましたがそれは気のせいだったのかも知れません。
その日の日の入りの時間は19時27分、太陽が沈んでからもしばらくの間はその余韻(よいん)にひたって、また神迎の道を通って出雲大社向かい、宿に着いたのが20時をとっくに過ぎていたと思います。
その日は軽く食事を済ませてから入浴し、翌日の早朝の6時からの出雲大社への参拝のために早寝をいたしました。
長文になりましたので、この続きは次号にて!