奥泉光 『石の来歴』 1994年 文芸春秋 | まひるの読書日記。

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まひるの読書日記。-石の来歴

  (第110回芥川賞受賞作です。)


 はっきりと、真犯人が断定できるようには、書かれていないと思います。

 この小説を、推理小説として読むとすれば…。


 主人公の真名瀬剛は、太平洋戦争のときフィリピンから生き残って生還した元兵士。彼が後年、岩石蒐集に夢中になるのは、このフィリピンでの体験、天然洞窟の中で、ある上等兵から聞かされた話がきっかけ、という設定になっています。

 その話、「変哲もない石ひとつにも宇宙の歴史が刻印されている」という、タイトルの由来ともなる話は、小説の中で繰り返し語られ、時間と空間が入り混じり、循環するような小説の構造とリンクしています。


 ネタバレは最小限にしたいと思いますが、死ぬのは真名瀬の息子、長男です。

 真名瀬は戦後復員して、古書の販売で生計を立て、結婚します。その頃から、フィリピンの洞窟で男に聞かされた石の話の影響で、岩石の蒐集に没頭するようになり、妻とのあいだに生まれたひとりめの息子が父親の趣味に関心を抱くうち、…とストーリーは展開していきます。


 ここで最初に問題になるのは、フィリピンの洞窟の中での、ある出来事についての「記憶の欠落」でしょう。真名瀬は、そのとき部隊(といっても行き場を失い、死を待つのみの傷病兵が多くを占めている)を指揮していた大尉の顔ははっきりと思い出すことができるのに、自分に石について語った上等兵の顔を思い出すことができないのです。

 さらに、ある晩そこで起きたできごとについても、やはり真名瀬は思い出すことができません。

 これが、ひとつ。


 それから、わたしがいちばん問題にしたいのは、「夢の境界」についてです。


 問題とすべき夢の場面は、2回、出てきます。中盤と、いちばん最後の場面。ともに、息子が殺害された採石場跡に真名瀬が足を踏み入れたときに、それは起きます。

 問題は、作者が、どの文とどの文のあいだを、夢と現実の境界としているのか、にあります。洞窟の奥に、ちらちらと灯が見えるところあたりが、くさい、ようにも思いますが、わたしの最後の結論としては、その場面が始まったところから、すでに夢である、ということになりますね。(本当かな。)


 まあ、あまり詳しく書いてしまうと、読む楽しみがなくなりますから、これくらいにしたいと思いますが…。

 そうだとするとですね。だいたい、息子を殺したのは誰で、フィリピンの洞窟で、大尉と上等兵と真名瀬のあいだに起きたこと、あるいはその三者の関係について、こうじゃないのかな、というおぼろげな推定ができる、…ような気がしてきます。


 小説としては読んでおもしろさがあるのですけど、それでは、作者はこれで何が書きたかったのか。


 戦争体験のこと? 循環する世界? 人間にとっての現実、そしてそれを覆うかのような存在としての、夢?


 真名瀬が、2番目の息子から、何十年かけてやってきた石の蒐集に対して「何百円で手に入れられる知識でしかない」と、その価値を否定されるところで、真名瀬はそれに答えようとして、必死で考えます。結局は答えることができないんですけど、そのあたりが、実はこの小説のいちばんのミソと関わりあっているのかもしれません。


 まあ、わたしにとっては、夢の境界がどこで、それが犯人探しとどうリンクするのか、という興味が、この小説の中でいちばん、そそられる部分、ではあります。


 みなさんは、犯人、誰だと思いますか?





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こっちでもいいですね。

「浪漫的な行軍の記録」おもしろそう。

(「石の来歴」の書き直し版?)

まだ読んでません。。

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