夫の生き様 闘病の姿は
ほんとうに人として尊敬できました
胃がんの末期で
痛みに耐え 一度も泣き言も文句も言わず
家族にも当たらず
最後の数ヶ月は胃腸もガンが転移し詰まって
便として出せなくなっていたので
食事も固形物をまったくとれず
飲み物は飲めたけど
飲んだものは 鼻から胃に通したチューブから
外に排出されるようになっていたので
口から飲んだものが
鼻のチューブから出てくる という生活をしていました
見ているだけでも 悲しくなるし
そのチューブから出てたまった
胃から出血している血の混ざった液体を
捨てに行くたび
鮮血が混ざったものをみるたび
心が痛み
夫の体内が悲鳴を上げているのがわかりました
この状態でも 夫は周りの人達に
明るく接していて
本当に尊敬していました
痛みと悪化していく症状にもかかわらず
看護師さんとも 明るく接し
みなさんに好かれていました
そんな生き様、苦しみをなくなる日まで
近くで見ていた私
夫が亡くなってからは
夫の分まで一生懸命生きなくてはいけない
楽をしてはいけない
生きたくても生きられなかった無念な夫の分も
頑張らなくては
ずっと そう思って生きていた
今思い出しても
20代で死別し
若いながらもひとりで頑張っていた
ずっと 気が張っていた
夫のおかげで遺族年金をいただいている
無駄な出費はしてはいけない
残してくれたものも
大切に使わないといけない
と質素に 節約生活を心がけていた
夫は壮絶な闘病をして亡くなったんだから
私は 楽をしてはいけない
幸せになってはいけない
いつも何かに頑張っていないといけない
と いつの間にか 私の中にすり込まれていった
自分というものを押し殺していたのです
何年も そんな生活をしていると
息苦しくなり
私は いったい何なんだろう
何のためにこれから生きていくのだろう
一生 苦労していないといけないのだろうか
そんなことを思うようになってきた
人生 という意義を模索しまくりました
すると だんだん
今の生活スタイルがあまりにもストイックで
もっと気楽に 楽しんでいいのではないか
と思えるようになってきたのです
夫の実家をみてみても
何事もなかったかのように
今までと何ら変わらない
優雅な生活をしています
1歳の子供をかかえながら
まだ 完全看護でない時代
義母と交代で病院に泊まって夫を看病し
最後まで看取った私
一生 縛られているのは私だけ?
うち以外は 日常に戻って楽しんでいる
だんだんと
残された家族にも
幸せに生きる権利はあるんじゃないの?
と思うようになってきた
亡き夫も 私たち親子が幸せに暮らして欲しいと思っているはずだ
だから 幸せになってはいけない という思い込みは
無くしてもいいのではないか
と思うようになってきた
今 生きてる
その時間をどう過ごすかは
誰にも縛られてはならないのではないか
そうやって
幸せになってはいけない
という呪縛から解放されていったのです
10年くらい経って
やっと子供と旅行にいくようにもなりました
楽しむことに お金を使ってもいい
という許可を自分に出してあげたのです
今思えば ずっと仕事と子育てを両立していた
十分 それだけでも頑張っていたのに
自分を律して生き過ぎていた
誰も もっと楽にしてもいいんだよ
とは教えてくれなかった
母子家庭は苦労していなければいけないという
まわりの目もあるのかもしれない
ご主人が亡くなってしばらくは
残された家族が どう 生きていくのか
いろんな思いが錯綜することと思います
それも 自分と向き合うため必要な時間
しばらくして 落ち着いてきたら
何かの選択に迷ったとき
ぜひ 自分の幸せ を優先してください
自己犠牲をするために生まれてきたのではないのです
亡きご主人のための人生ではありません
これからは残された家族の人生の再出発なんです
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