実録!中国医学のプロとの協業の過程をバッチリ公開します!! -4ページ目
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中国行きを決心!準備開始、するとなんと...

 その後私は、「このままずっとここにおっても世間セマなるわ。あかんかったら帰ってくるがな。」と母を説得した。母も半ばあきらめながら、息子の言葉に納得したようである。 

 

次の日私は2週間前に買い換えたばかりの車に乗り、心の中で、もっとはよゆてくれたら、買わんかったのに... と思いながら、会社に向かった。

 

 そして会社で、その他メンバーを知らされた。(2001年10月末)

中国語ペラペラの女性1人(総経理←中国で社長の意味)、私(製造課長)、男2人(技術指導者)の計4人。

 4人は協力して立ち上げ準備にかかり、数ヶ月がたった。


 2002年1月、女性がある事情で中国に行けなくなった。

 2002年2月某日、私は指導者の1人を仕事のことでしかった。

 2002年2月某日の次の日、前日しかられた指導者が会社を辞めた。

あっとゆうまに4人が2人になった!!

私はその日の帰りし、部長に

「お先に、でもこれは無理ですよ」

と言った。すると部長は苦笑いをしながら、返す言葉は見付からなかったようである。(続く)


突然の中国行き決定

 2001年10月下旬午後4:00頃、私は会社でいつもどおり仕事をしていた。すると社長に隣の会議室にくるように言われた。するとそこには中国工場立ち上げにかかわっている女性と、部長がいた。

 社長が口を開いた。

「A(私)君、来年4月ぐらいから中国に行ってもらうから。」

突然のことであり、思わず考えなしに

「はい」

と言ってしまった。

というのも私は中国語が話せるわけでもなし、ましてこの会社に入社して、まだ3年足らずの、言わば新人

だったからである。

 その後職場に戻り、仕事を終わらせ、家に戻った。

私は母に

「来年4月ぐらいから中国行くわ。」

と言った。母は

「なにゆうとんよ。ほかの会社さがし、なんであんたやの。」

と大反対であった。というのも私は生まれてからその時まで、一度も地元を離れたことがなかったのだ。

そのため、母も息子の話に理解不能であったのだ。

 

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