実録!中国医学のプロとの協業の過程をバッチリ公開します!! -3ページ目

2回目の中国出張!

 4月中旬、Aは2度目となる中国出張に出かけた。今回の目的は中国社員との顔見せである。李さんと通訳、そして作業者の5人とともに食事をした。

 中国での会食は一般的に、丸テーブル(回転するタイプ)をみんなで囲んで行なう。年齢は李さんが30代前半、他の人は全員10代、20代であった。みんなまじめそうに見えた。とても和やかで楽しい雰囲気で食事は進んだ。Aは挨拶で、

「今世界中で最も注目されている国を見ることができて幸せです。みんなでがんばっていきましょう。」

と、この場では不安な様子は見せられないので、当たり障りのないことを話したのであった。

 次の日これから働く工場の見学に行った。中には何もなかった。本当に大きな箱、という感じである。Aはこの時、

「この真っ白な紙にいろんな絵を書いていくんだな~」と1人でしみじみ感慨深く、そして人に話すとサム~イので、心の中で思っていた。しかし、間違いなくAの中でやる気の芽がでた瞬間でもあった。

 日本に戻り、会議の席で

社長:「A君、5月の連休明けから行ってもらうから。」

A:「はい」

 家に戻り、そのことを母に告げた。

母:「ほんまにいくん、あんた?」

A:「ひとまず行って、やるだけやってあかんかったらかえってくるがな」

母はやはり心配そうであった。

 この頃、Aは不安とやる気の入り混じった、なんとも言えない心境であった...(つづく)

現在日記

2006年3月19日

 今日もダイエットのため、ジムに行った。そこではジムのプログラムで散打(武術)をやっていたので、参加した。参加者4人で、そのうちの1人は60歳をゆうに超えたおじいさんだったが、ワンツーを真剣に練習していた。先生にほめられるとニコニコしていた。それを見てなんだかいいな~と思った。

孤独な日々...

 2002年3月、Aは立上げ準備に追われていた。それもそのはず、本来ならば4人でやるはずの仕事を2人でやることになったのだから。 しかも最近一緒にいく後輩(以後Bという)は現場の仕事が忙しく、準備を手伝うどころではなかった。設備購入、通関資料作成、レイアウト作成等なにからなにまで、やったことない仕事ばかりだ。

 ある日Aは重さ数十キロの購入設備を会社入り口から、2階に運び梱包していた。後でまた入り口に降ろすのにだ。理由はなんと入り口で梱包すると、邪魔だからであった。(ってそれだけかよ!)その時ふと、「なんでこんなことやっとんやろ」という言葉が頭をよぎった。おそらく1,2ヶ月後に迫った異国での生活&仕事に対する不安が原因で、精神的にも疲れていたためであろう。そんなこんなで毎日帰宅が夜10時をすぎていたので、中国語の勉強が進んでいるわけがなかったとさ。

 こんな日々が数週間続き、週末友人と会っている時も、愚痴をこぼす回数が増えていった。

A:「こんなもん不可能やで!どう思うよ!」

友人:「確かにそうやな。ほんまに大丈夫か、A」

 Aはこの頃友人たちに自分の置かれた状況を話し、賛同を得ることで、立上げに失敗した時の保険(言い訳)を持ちたかったのだ。それで心が多少なりとも癒される心理は、分かる人と分からない人に分かれると思う。

 Aはまだこれまでに仕事の上での成功体験がない、未熟な社会人だったことは言うまでもない...(続く)

現在日記

2006年3月18日

 今日は朝10時から中国語の教室に行った。先生には毎回発音を注意される。やはり4年間苦手を後回しにしてきたツケが回ってきたのだなあ~(感無量)。

 3時からダイエットのためジムに行った。今は中国でもジムで汗を流す人がかなりいる。ほんとに日本にいたときの中国のイメージはふっとんでいる。

 でもベンツの横をロバが普通にあるいている風景をみると、やはり中国っていいな~と思う今日この頃であった。













中国語勉強開始!

 Aは中国に行くなら中国語、と思い地域情報誌、雑誌を片っ端から調査した。そして家から車で十分のところに中国語教室があることが分かった。早速電話をかけて、教室に見学に行くことにした。

 そこには年の頃にして30半ばの小奇麗な中国人女性がいた。どうやらこの人が先生のようだ。流暢な日本語で丁寧に教室の説明をしてくれた。教室では4人が真剣な顔で勉強をしていた。この時点でAのやる気は100%以上になっていた。そして最後にAは尋ねた。

「月謝はいくらですか?」

すると先生は

「1時間4000円です」

と答えた。

「少し考えて連絡します」

と行って教室を後にした。帰りの車でAは、いくらなんでも高すぎるやろ!と思わず絶叫しそうになった。

この時点でAのやる気は10%以下になっていた。

 そして次の日Aは本屋で「やさしい中国語」定価1500円CD付を買ったのであった。

この後Aの中国語勉強が、車の中で通勤時間にCDを聞き流すだけで、全く身につかなかったのは、言うまでもなかった...(続く)

現在日記

2006年3月17日

 今日は午後6:30から、この前結婚した社員に誘われて食事に行った。いつになっても中国の乾杯、すなわち一気飲みは楽しい、でも次の日二日酔い。

 ダイエット中のAは最近仕事の休み時間にお菓子を食べようとすると、それを見付けた李さんに、「やめとき」と怒られるのであった。そしてしぶしぶ李さんがむこうを向いた隙をうかがってこっそり食べるという、肩身のせまい日々を過ごすのであった。(←やっぱり食べるんかい!)

 とはいえ1週間前からちゃんと食生活の見直しは始めたのだった。知人から教えてもらった方法、名付けて、「おなかがすいたら、果物を食えダイエット」である。2キロやせた。でも今日酒を飲んで元通り。

 今日はこのブログを始めてから初めてトラックバックというのが1になっていた。トラックバックの使い方が分からないのだが、なんとなくうれしい気分だ。ここでお礼を言います、有難う。

 

 

 

初めての中国出張

 Aは数週間後、社長と中国に出張することとなった。もちろん初めてである。Aはこれまで全く中国のことを意識していなかったので、昔学校で習ったように、みんな自転車に乗っていると思っていた。

 空港に降り立って、そこには地元より遥かに栄えた大都会が広がっていることを目の当たりにして、自分の無知さを恥ずかしく思ったのであった。

 空港から車で30分走ったところのホテルのロビーで、採用した李さん(仮名:後の総務課長)、と王さん(仮名:後にカラオケのママと分かる←見るからに一般人ではなかった)と会った。

 夕方6時に4人で食事に行った。王さんは簡単な日本語が話せる人であった。2時間ほどして食事が終わった。ここで李さんが一言も日本語を話さなかった(話せなかった?)ことに気付いた。

 Aは今後の中国での仕事に一抹の不安を覚えたのであった。

 そして2日後出張から戻った、がその不安は消えることはなかった...(続く)

 このブログを始めて約1週間が経過した。訪問者がたとえ1人でも楽しい。そしてランキングが下位争いでも上がるとうれしいし、下がるとくやしい、という人間心理を再発見した。

 そしてさらに気付いたのは、4年前の回想日記だけを書いていると、なんと現在起こっていることは記録しないので、忘れてしまうのである。当たり前やろ!と思うかもしれないが、本当に当たり前である。そのため、対策として、今日からは回想日記+現在日記を書くこととした。


現在日記

2006年3月16日

 今日はAの武術の先生の兄弟分劉さん(仮名)とその娘、甥3人と李さんで食事に行った。甥の1人が公安局の役人で、

どうも李さんの知り合いで刑務所に入っている人を何とか助けられないか、という内容を話していた。詳しくは分からないが。いや分からないほうがいいのかも知れない、と思った。

 その後みんなでカラオケに行った。Aと李さん以外は全員プロかと思うほどの歌唱力の持ち主たちであった。

 ちなみにこの劉さんは約1ヶ月前、突然些細なことから命を狙われる羽目となったAと李さんの命の恩人でもある。この話は回想日記が進んでいくと明らかになる。


中国工場立上げ延期!どっち?!

次の日私(以後Aという)は気持ちを切り替えて、立上げの仕事を進めた。 

すると社長室に呼ばれた。入っていくとそこには疲れきった顔で座る社長がいた。

「A君、立上げ時期を遅らせようか。」

元気なく発せられた言葉を聞いて、Aはこの状況では止むを得まい、と思った。

私は発注予定であった配管材の手配を延期した。  

 それから数週間後、社長が中国に出張に行き、戻ってきた。

そして社長室に呼ばれた。入っていくとそこにはなぜか元気いっぱいの社長がいた。

「A君、とてもいい人が2人採用できたよ。1人(後に総務課長)は以前自分で小さな会社を経営していて、もう1人(後に通訳)は 日本語がとてもうまいんだよ。予定通り工場は立ち上げるから。」

Aはとっても驚いた。この前あきらかに立上げ延期の方向であったではないか!

Aはすぐに

「社長、この前延期と言われていたので、配管材は注文していません。」

というと、間髪いれずに社長は

「止めたとはいってないだろ!」

と怒鳴った。 Aはこのとき、世の中の厳しさと世の中いろんな人がいるなあ、としみじみ思った。

そして急ピッチで準備を進めた。自分の責任?で生じた仕事の遅れを取り戻すために...

 家に帰り、家族にたらふく愚痴をこぼしたのは、いうまでもない...