初出勤!
2002年5月のとある月曜日、Aは李さんの車に乗せてもらい、工場に向かった。日本人1人なので、少し緊張していた。しかし、工場に着くと保安の劉さんが「ニーハオ!」とびっくりするぐらいの大きな声で挨拶してくれて、緊張は吹き飛んだのであった。中に入ると事務所には前回出張の際に購入した机が片隅に置かれていた。少したって通訳、現場作業者5人がやってきた。みんなにここにしていた。
次に現場にいくと、約1000m2のだだっ広い空間に何もなかった。というのもAが送った設備は一週間前に送ったのだから届いていなくて当たり前である。地面は隙間だらけの工場だけあって黄砂まみれであった。Aはまずは社員に床掃除をしてもらうことにした。それは他にすることが全く思いつかなかったからである。
しかし、この時点では、まさか床掃除が1週間も続くことになるとは知るよしもなかった...
現在日記
2006年4月16日
今日は会社の通訳の結婚式に参加した。私は上司ということで、結婚証明人として、文章を読んだ。これで人生3回目の結婚証明人となった。でも独身の私がするのもどうかと、いつも思う。中国の祝い事でお決まりの白酒(パイチュウ)を飲むこととなり、今目の上が痛い...
一体どうしたんだ?そしてひったくりさんに、有難う?
次の日Aは李さんにデパートに家電製品を買いに連れて行ってもらった。まずテレビ、洗濯機、電子レンジを選んだ。その後李さんと店員の会話がどんどんヒートアップしていった。Aは李さんに、
「どうしたんだ?なにかあったのか?」
と言うと、李さんは、
「ちょっと待って。」
と言ったので、なすすべの無いAは待っていた。すると李さんが、
「次は何を買う?」
と言った。後で聞いたが、さっきの会話はただの値段交渉だったようである。中国に来たばかりのAには、突然口喧嘩が始まったようにしか見えなかったのだが。「さすが中国!」と分けも分からず思うのであった。
その後店員に荷物をデパートの下に運んでもらった、とその時数人の男が寄ってきた。「なんだ一体!」
と思っていると、荷物の運び屋であった。ちょっとびっくりした。
その後荷物をアパートに運びこみ、洗面所で手を洗おうと蛇口をひねった。とその時Aは目を疑った。なんとそこからは透明ではなく、こげ茶色の液体が流れているではないか!李さんが
「長い間使っていなかったから、すぐに良くなる。」
と言った。確かに数分後にきれいになった。
しかしAが、これからこの洗面所で歯を磨いたりするのか、とちょっと嫌になったのは言うまでもない...
現在日記
2006年4月2日
昨日デパートにDVDソフトを買いに行った。そして財布をジャンパーのポケットに入れ、手も入れて歩いていた。ちょうど出口の人込みに差し掛かったところで、突然手に当たっていた財布の感触がなくなった。すぐに振り向いて探そうとすると、見知らぬおじさんが私の財布を持っているではないか。「すみません、有難う。」とホッとして財布を受け取ってその場を立ち去った。しかし、よくよく考えてみると、あの人込みで一瞬で落ちた財布を拾ってちょうど私の後ろで手渡すことができるのか?もしかして彼が...でもほんとにいい人だったらすみません。中国生活も慣れてきたところで、気の緩みを正す、いい機会となったと思う。
おっ!まじか!
Aは荷物を車に載せて、空港から約30分のところにあるホテルに到着した。アパートは借りているのだが、まだベッド以外何もない状態であったため、まずはホテル暮らしとなったのである。
李さんに明日電化製品の買い物に連れて行ってもらう約束をして、その日は別れた。
その後Aは早速デパートに身の回りのものを買いに出かけた。Aは本を買うのがとても好きであったため、本屋に入り、小学生用の中国漢字の本を買った。(ちなみにAの部屋には買っただけで読んでいない本が、山と積まれているのであった。)8元(1元=約15円)と書いてあったので、Aは10元を店員に手渡して、おつりをくれるのを待っていた。とその時である。おつりの2元を店員はAの差し出した手の下に投げ捨てた。Aは、「なんだ、こいつは。」と思った。しかし、言葉の分からない相手に文句を言うすべも無く、ひとまず、「まあ、国が違うから。」と納得し、袋に入れてくれるのを待っていた。とその時である。店員はそこで待つAを
「なにをいつまでもつっ立っているんだ。こいつは。」
という視線でにらんでいるではないか!しかしまたまたAは、「なんだ、こいつは。」と思いながらも、言葉の分からない相手に文句を言うすべも無く、ひとまず、「まあ、国が違うから。」と納得し、本を持って帰っていったのだった。
帰り道でAが「明日の電化製品の買い物が思いやられる...」と感じたのは言うまでも無い...
現在日記
2006年3月27日
2004年から少しずつ中国株を買い始めた。売っていないので、利益は無いが、配当は入っているようである。はっきり言って、はやりものに弱い性格を少し反省しているが、やめられない。最近また銘柄を選んでいるが、インターネットで買わずに、日本にいる母に頼んで、証券会社に電話をかけてもらい注文をしているので、少々面倒くさい。しかし、息子の勝手に付き合ってくれている母に感謝している。今度日本に帰るときは、土産を30kgばかり買って帰ろうと思う。
驚き、そして感動!
飛行機は威勢良く飛び立った。隣に座った中国人男性と会話を交わした。彼は今日日本滞在3年が終了し、その日帰国するコックさんだった。「あ~、国を出るものあれば、国に帰るものありだな~。」としみじみ思うのであった。
中国の空港に到着した。はっきり言ってまだまだ不安であった。Aは入国手続きが遅かったため、同乗者の中でかなり最後の方になった。そして手続きを済ませ、人込みの後ろから50kgの荷物を持って出口に向かった。すると出口の外では、後ろの方だったため顔は見えないが、花束が振られているのが見えた。Aは、
「誰やろ、偉い人でもきたんかな~。」
と思い、周りをキョロキョロしながら、出口を出て行った。
「Aさ~ん」
するとなんと、その花束を持った人は、李さんだったのだ。そして元気いっぱいに迎えてくれたのだ。Aはもちろんこれまでにこんな経験をしたことは無かったので、驚きと、恥ずかしさと、うれしい気持ちでいっぱいになった。この時Aは決心した。
「自分のできる限り、精一杯の力で、工場を立ち上げよう。」と。
この時これから始まる中国での数々の出来事を到底想像するよしもなかった...(続く)
現在日記
2006年3月23日
仕事の後の中国語勉強は、しんど!でもGANBARO!
いい日旅立ち...
2002年5月のゴールデンウィーク、Aは友人達と食事に行き、中国行きを伝えた。Aは不安を振り払うように、元気に振る舞ったのだった。
連休明け、とうとう出発の日が来た。朝早くAは母の車で、タクシー乗り場に向かった。この時の荷物は、旅行カバンとスポーツバッグでトータル50kgであった。タクシーに乗り込むときの母の心配そうな顔が印象的であった。
空港までの車窓からの風景を眺めながら、次はいつ見るんだろう、と寂しげに思ったのであった。
空港に到着し、Aはエスカレーターで降りようと、荷物を先に置いた瞬間、バランスを崩し転げ落ちそうになった。「中国着く前に死ぬとこやった。」と本気で思うのであった。
その後、手続きをし荷物を預けて、やっと身軽になれると思った瞬間、係員が「超過料金3万円です。」といった。最初何のことか分からなかったが、話を聞くうちに理解した。そう、Aは重量制限があることを知らなかったのである。そしてあわててスポーツバッグを手荷物で持つことにしたのであった。
「中国行きには、いろんなハードルがあるんだな~、は~あ。」と思ったのであった...(続く)
現在日記
2006年3月21日
昨日知人の武術館の館長と隣町に食事に行った。そこには日本語情報誌のカメラマンと日本人、とその娘がいた。話を聞いていると武術学校をつくるようである。夢があっていいな~と思った。負けずに楽しい人生を送ろう、と決心した今日この頃である。
インターネットのニュースでWBC日本優勝を知った。特に応援していたわけではないが、やっぱりいい気分がした。