今日で心遥を死産して1か月が経ちました。
まだ1か月しか経っていなんだなというのが正直な気持ちです。
妊娠していた時のことが、遠い昔のような感覚になっています。
キッチンの近くに心遥のスペースがあります。
毎日お線香をあげて、お花を飾っています。
時々お兄ちゃんたちがお菓子をお供えしてくれます。
心遥の代わりとして買ったくまさんのぬいぐるみを兄弟で取り合うほど可愛がっています。
夫と私は遺骨が入れられるネックレスを購入し、いつでも心遥と一緒です。
ここまでくるのには色々な感情がありました。
はじめの2週間は悲しみ・苦しみの波が大きく、時には感情の波に飲み込まれ、胸が苦しくなったり、どうやっても抜け出せないような絶望感・罪悪感を感じました。
けれど、最近は確実に悲しみの感情の波が小さくなっています。
決して無くなったわけでも、無理しているわけでもありません。
やはり時の力なのでしょうか。
時々悲しみの波はくるけれど、飲み込まれることはなく、その波に静かに身をゆだねる(悲しいときは悲しむ)ような感じで過ごしています。
「あぁ、今自分は悲しい気持ちなんだな。」とか、「悩んだ日々を思い出して苦しくなっているんだな。」「心遥に会いたいと思って涙が出るんだな。」とか客観的に自分の感情を受け止めるような感じです。
感情と付き合うことが少しだけうまくできるようになってきたのかもしれません。
それも全部心遥のおかげです。
今回のことがなかったら、自分の気持ちとここまで深く向き合うことはなかったと思います。
そして最近強く思うこと。
人生何が起こるかわかりません。
今生きていること自体が奇跡であり、生かされているんだと思います。
その中で自分に何ができるだろうかと考えます。
精一杯後悔しないように生きること、それが心遥への供養になると信じています。