新装版 洗脳の楽園 | 誇りを失った豚は、喰われるしかない。

誇りを失った豚は、喰われるしかない。

イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書2章17節)

本書は自らが体を張って取材を重ねて

 

書かれた大宅賞候補作の新装版です。

 

「対立や争いごとのない、金の要らない

 

幸福な農村―」

 

を目指して創設された「ヤマギシ会」はいかにして

 

カルト化し、崩壊への道を辿ったのか。

 

 

 

 

 

僕が本書を読むそもそものきっかけとなったのは

 

僕と同年代である高田かやさんの

 

『カルト村で生まれました。』

 

とその続編である

 

『さよなら、カルト村』(共に文藝春秋)

 

を読んだことでありました

 

(評者注:99.9%ここで指す「村」とは「ヤマギシ会」の

 

ことであろうと推察せられるが、あくまでも作中では

 

具体名は示されていない)。

「自分と同年代の人間(性格には高田かやさんの

 

方が1,2歳年上)がこんな半生を送っていたなんて…。」

あまりにショックを受けた僕は常日頃からお世話に

 

なっている「知人」(彼との交流は拙著

 

『生産性は無くても本は出せる』(KDP他)を参照のこと)

 

に高田かやさんの本を読んでもらったところ


「読んだよ、非常に興味深いね。だったら有坂君には

 

この本を読んでみるといい。彼女の身に起こったことの

 

『背景』がこれでよくわかると思うから。」


といって薦められたのでした。

一読した結果はまさに知人のおっしゃっていた

 

とおりであり、


「あー、あの時のことの裏にあったのはこういうこと

 

だったのか…。」


とページをめくるたびに何度も唸ったものでした。

「対立や争いごとのない、金の要らない幸福な農村ー」

のスローガンを掲げて設立されたある種のユートピア社会

 

であるはずがなぜ、カルト化し、いかにして崩壊へと

 

至ったのか。

 

本書では関係者(後に非協力的になっていく)は

 

もちろんのこと、「村」を去ってい言った元村人。

 

さらにはヤマギシ会によって崩壊してしまった家族…。

 

そして、自らが体を張って

 

「特講」

 

の異名でよく知られている

 

「ヤマギシズム特別講習研鑽会」

 

へと参加するのです。

本書読む前に知人が


「書いた人も(特講に)潜入後に少しおかしくなって

 

戻るのに苦労したと書いてあったような記憶があります。」


とアドバイスしてくれていたのですが、まさに正解で、

 

筆者が経験した7泊8日間の経験のタイトルは

 

そのものズバリ『脳を洗う』であり、ヤマギシ会の

 

理想とする「ユートピア社会」を脳内に「ビジョン」

 

として浮かび上がらせ、既成の価値観をいちど

 

「ゼロ」にし、新たな価値観を植え付ける様子が

 

克明に描かれ、ここで得た感覚が抜け出せなく

 

なった人はやがて、全財産を捧げて村の活動に

 

「参画」するようになっていく…。

 

その様子は(自分自身も含めた)人間の弱さ・脆さ

 

そのものであり、書くも壊れやすいのか…。

 

と自分に問いかけたのでした。

本書にも登場し、のちに高田かやさんの『カルト村』を

 

読んだ精神科医の斉藤環氏がツイッターでおっしゃった

 

ことがまとめサイトの「togetter」にまとめられて

 

いたので一部を引用させていただきますと、

「ところで、僕自身はカルトを次のように定義している。

 

それは「カネのかかる信仰」であり、言い換えるなら、

 

奉仕活動と集金システムによって幹部クラス以上に

 

富や利権が集中するような信仰のこと。」

「ヤマギシはカルト。なぜなら「参画」時に全財産

 

没収が条件で、脱会時に返還されないから。

 

「特講」はあきらかに洗脳。所有欲の否定は立派な

 

教義でしょう。

 

ニワトリの社会を理想とするから、あれは

 

「ニワトリ憑き」集団だと断じたひとがいておかしかった。

 

憑依も解離だからあながちデタラメではない。」

「ヤマギシの取材から学んだこと。我執や自己愛の

 

性急な“切除”は人間を壊す。解離状態は時に

 

「覚醒」と感じられ、周囲の人を「いとおしい」とすら

 

感じさせる。カルトは子どもを人間扱いしないので

 

必然的に虐待が起きる。その他いろいろ。」

『斎藤環氏 ヤマギシ会について語る』より

https://togetter.com/li/797983

これを読んでいてまさにそうであり、さらに高田かや

 

さんの『さよなら、カルト村』も描かれていた

 

「1998年、ヤマギシ学園の計画書が提出され、

 

三重県は異例の実態調査に乗り出した。」


話はまさに「当事者」であった高田かやさんの証言と

 

本書で事件の背景を両方の側面から突き合わせる

 

ことによって深い理解を得るこちが出来たとともに、


「これが僕と同じ時代を生きていた人間の話なのか…。」


と改めて思ってしまいました。

現在のヤマギシ会の様子は彼らの側から発信している

 

ウェブサイトやブログ。ツイッターやFBページ、

 

YoutubeなどのSNSから知ることができ、そして本書で

 

紹介されているような野菜や肉の移動販売が激減した

 

代わりにヤマギシ会のネットストアがあったりと、

 

その「変化」が21世紀を象徴されるわけですが、

 

それらを見ていると「裏側」のあるものを「つい」

 

想像してPCディスプレイやスマホ・タブレットの画面の

 

前で考え込んでいる自分がいるのです。

目を背けたくなるような話が全編にわたって展開

 

されておりますが、一読をおすすめします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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