あなたは小鳥ちゃんだとしましょう。
親鳥が、巣から蹴り落として、私を樹の下に叩きつけ、それでも助けに来てくれません。
私は辛うじて生き残りました。
またあの凶暴な親のいる巣に戻っていきますか?
本当は巣で育ちたいけれど、また行けば今度は本当に死ぬかもしれない。巣が無くて生きていくのは、ものすごく寒くて寂しくてつらいことだけど、死ぬよりはマシ。
自分で、今できる精一杯の巣を作って、温かい場所を確保しよう。それでなんとか食料を調達して、生き延びよう。
そうやってなんとか生き延びている小鳥ちゃんが、今のあなたです。今の私です。
そんな小鳥ちゃんがいたら、ものすごく頑張って生きてるねと、褒められる価値のあることをしています。
親不孝だと責められる筋合いはない。
他の鳥から助けられたり、エサを分けてもらったり、支援してもらうことがあったっていい。そうじゃなきゃ生き延びられないんだから。
死ぬより、なんとかして生きていることを、まず褒めましょう。ものすごく頑張ってることを、認めましょう。
親鳥にもう二度と会いに行かなかったとしても、それで当然。自分を殺すような奴に、ノコノコ会いに行ったら危険に決まってる。
会おうよと言ってきたって、向こうから会いにきたって、断る権利がある。自分を守る権利がある。
親孝行するのは、親が丹念に心を込めて育ててくれたからこそ、恩があり、少しでもお返ししたいと思うから。
ただ産んだだけで蹴り落として殺しかけるような親鳥に、孝行する必要なし。
それで親不孝じゃないかと、的外れな罪悪感を持つ必要もなければ、事情を知らない周りから非難される筋合いもなし。