アダルトチルドレンにとって、やりたいことを見つけるのは、至難の技。
矛盾することのように感じるかもしれないけれど、手につかんだものなら何でも好きになってしまう。
この二つは、切っても切り離せない。
機能している家族に育った人は、愛情を正しい形でほどよく注がれ、「自分はこうしたいんだ」という感情を育むことができる。
なぜなら、多少自分の思いを通しても、「見捨てられない」(自己肯定感)が作られているから。
ある意味、やりたいことをやるのと、見捨てられない感覚も連動している。
見捨てられるかな?と少しの不安をもちながら、やりたいことをやっても見捨てられなかった。
見捨てられなかったから、「自分は大丈夫!」の経験が一つ増えて、またなにかやってみようと思う。
その積み重ねで、大人になる。
身体じゃなくて、心が大人になる。
大人になるとは、自立できるということ。
ところが、機能不全家族に育ったアダルトチルドレンは、ものすごく困難を抱えている。目には見えないけれど。
親から見捨てられるかな?の不安があった時に、本当に見捨てられたら、どんな恐怖を植え付けられるか。
人を信用なんてできなくなる。
やりたいことをやってみた時に、頭から否定され、罵られたら、どうなるか。
もう、やってみようという気持ちがなくなる。
いつもいつも、親の顔色をうかがっていたらどうなるか。
自分の気持ちなんて、気づくことも、育むこともできずに、相手に合わせるだけになる。
外見には分からない。心の問題だから。
身体はみんな、大人になる。
食べ物を与えられれば、育つ。
心は違う。食べ物では育たない。
適切な愛情を与えられ、自己肯定感を育まれなければ、いつまでも子供のまま。
どんなに外見はしっかりして見えても、とてつもない不安と恐怖の中で生きてる人はたくさんいる。
心はまだ子どもなのに、社会に放り出されて。心が子どもというのは、精神的な幼さとか、そういうんじゃない。
自分のやりたいこと、欲求を感じ、自分で満たすことができるのが、大人。
大人になるまでには、時間がかかる。
見捨てられない人間関係、受け入れられる感覚を少しずつ積み重ねていくこと。
ひとっ飛びに成長できるものではないから。時間はかかるけど、必ず大人になる日が来る。
焦らずに行こう。