まじくるブログ【釧路】 -144ページ目

困りごとワークショップ

だいすけ。

20日、困りごとワークショップ拡大バージョンをやりました。

困りごとワークショップが始まる前にフィルードワークで住人の一人として、僕が大川ホームを案内すると言う事になっていたのですが、寝坊してしまい、最近まで住んでいた、ちえちゃんに案内してもらう事に

改めて大川ホームを紹介すると僕にとってはハウスでもありホームでもあります。
(九州から研修に来ていた、ぐんちゃんの言葉をぱくりましたわら)

ひょい

そして困りごとワークショップが開催されるホテルに、僕が案内するはずだった北芝の面々に連れていってもらいなんとか無事に間に合う事が出来き、各地、各方面から様々な方が入り混じっての自己紹介となりました。


慶応義塾大学の大江先生による弱い専門性のレクチャーでは
社会構造の変化と共に地域や家庭で補ってきた人々の暮らしの質が補やなくなってきて、弱い専門性システムは新たな相互扶助の関係性をつくる仕組み


厚生労働省の佐藤さんによる生活支援戦略のレクチャーでは、生活支援戦略について、湯沢市の実践についての話などがありました。

その後のフリーディスカッションでは各々自由に動いて各々自由な活動やおしゃべりが展開され自作の名刺を作って交換したり、釧路の取り組みを学生と話していたり、ザンギを食べていたり、FMくしろのラジオ収録もありました。

フリーディスカッションの中で
僕が高校一年生の時に、あまりに単位がなくなるスピードが速すぎると言う事で、関わって頂いた若者サポートステーションの松田さんに「昔からこゆう事に興味あったの?」と聞かれ「あっすこしは…」と答え、心の中では、授業出なくていいとかラッキーと思っていたら、松田さんの話が面白かった(関心があったのかもしれません)と生意気にもつぶやいておりました。

つながりや場のセッティングや会場づくりやテープ起こしやザンギや記録をとったり色々な人が関わって、関わり方があって、出来ていくんだとなんだか実感した一日でした。

ありがとうございました。




偶然を必然に変える。

たーさんです。
現在の釧路は、一気に冬と言うか、前の季節がのんびりしてて 慌てて冬にしました的な印象です。

11月だというのに 万人にわかる様に、朝起きるとビックリするぐらい雪が積もってたりで、ちょっとあせりますよね!

今日のブログのテーマは「ひとり言」にしました。

今日は床屋に行こうと思いまじくるの前を車で通った時に まじくるに寄ったのです。 僕は自分のパソコンを基本職場に置きっぱなしでして、今月勤務表を全くをつけてない事が気になり自分のパソコンを持って出ようとした時に てるが来たのです。

まぁ何でもない日常の一コマではありますが、てるも理由があってメールを確認する為にまじくるに寄ったらしいのですが、(他に都合があったかもしれないけど、)いずれにせよ 約束していた訳では無いのですが、せっかく会ったのだから、何か話すべかと思いました。

チョつと頭の中でネタを探してそう言えば、21日にまじくるで社会福祉推進事業の仮説検討会を開催してた事や、その夜に行われた、北芝の人たちなんかと交流会どうだった? など話題を振ったのです。

まぁそんな事から世間話になり、寒いね~なんかいいながら、僕は最近「偶然は単に偶然ではなく必然があるのでは?」が ちょつと気になっていた事があり、必然を探ったのですが、何もありませんでした。 そうですよね(苦笑)
せっかくなので、自分が抱えている不安事の話を聴いてもらいました。(^^;;


ここからは、独り言です。
最近 人との出会いや、自分の周りであまり親身になって、話す事の出来る人が少ないのと、人と向き合い関係性を作ることを無意識的に避けていたのでは?と言うことが頭をよぎるので、なぜだろう?と思ってました。

昨日札幌に行った時に、昔の職場の設計チームで中の良かった複数人とお茶をしたのです。
今でも深くはないけど、時々思い出してメールをくれたり、会ってくれる人の存在を考えると嬉しくなります。

しかし、少なからず 人との関わりで成長できているのだと思います。 いや 少なからずでは無く、ほぼ 人との関わりで成長できたんだと強く思ってます。

僕も半世紀生きてきた人間ですので、人生なんてことを時々考え、感じるのですが、人生は人との出会いによって導びかれ、支えられてきたと捉えると、なぜこんな出会いに恵まれたのか? そんなことを思います。
そして考えてみました。

出会いは偶然によるところも大きいですから、ラッキーな部分もありますが、でもたぶん誰の人生においても偶然の出会いはあると思います。
それを必然に変える心の持ちようというのが大切なのかもしれない。
と思ったのです。

人を好きになる秘訣というのは難しいかもしれないけど、その人の悪いところではなく、よいところに目をやるようにすればその人のことを好きになるし、その人との出会いを大切にしたいと思うんじゃないでしょうかね。という話しなんです。

ひとを好きになること、いろいろな人を受け入れる心の広さを持つことが大切なのかなと感じます。 ここは、かなりアバウトな表現でもう少し自分で納得の行く言葉になったら、書きたいと思います。

偶然を必然に変えて、意味のあることとして暮らして行きたい⁉ こころの持ちようというのがキーワードですかね。



iPhoneからの投稿

初心者マーク

こんばんは。つるちゃんです。


今日は今週3度目の推進事業の打ち合わせ。


生活困窮者の当事者参画型自立促進支援構築体制の仮説を引き続き作っています。


私はここまで自分の意見を自己主張したりしたことは人生の中でありません。ないです。

今までの人生は誰かの言うことに同調したり、変なこと言ったりしたらどうしようとか場の空気を読んだりしていて自分の意見は話せませんでした。いうこと自体に無力感を抱いていました。届かない感じでした。


私の話はいいよね♪とか、話してもさあ…とか


事業の最初のほうはそんな感じでしたけどでも少し慣れ、戸惑いの中によしいいや、いわなきゃとおもいました。


本気で支援をしている人や、されている人を見たり聞いたりしたのが大きいかもしれません。そして自分自身の感覚を信じようじゃないかと思いました。まじくるやスクラムで話をしている人の姿も共感していました。


濃い議論までいくと、あんまり経験がないのでなれてなく、それだけに自分の意見から離れられなくなったり、ついつい口調が強くなってしまったりします。ブレーキアクセルわからずぐらぐらしてます。(笑)危険。



味方がほしくなったり、しっかりしたひとの意見をとりあげようとするときもあったり。


話し合い主張しあうのは誰が正しいとか間違っているというものではなく創り上げるためのものという感覚なんだなーというのはまじくるで養いました。それまで話し合うということを知りませんでした。


いつも誰かが一方的にしゃべっていたり、価値観が決まって話していたり。



異論があるということはほかの意見を否定することではないのも経験してそして意見が社会を作っているのを感じ「私は」と自分の意見を言い、みんな各々の「私は」の意見を聞きたいと思っています。今回の事業は特に感じます。そしてりきんでしまいまして、かちこち。


意見が通るか通らないかは二の次で、自分の心からの意見をいい、ほかの人の意見を聞きたいです。


あれ、先週と同じ事書いてる? まあそれだけこころづもりをしているということで…



そのあとはフィバ研…話し合いであたまがおなかいっぱいです。