16 父親探しの旅に出よう(父親はどこへ消えたか:映画で語る現代心理分析) | 主夫のコラム〜家事と育児とときどき手品〜

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座右の銘
「笑ろてるパパがええやん!」
「いきあたりバッチリ」
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物語の原型に「父親殺し」というパターンがある。

主人公は日常から旅立って試練を受け日常に帰る、という単純なパターン。

旅立つときの主人公は「子ども」だが、試練を乗り越えて帰った主人公は「大人」に成長している。

 

主人公を大人に成長させたのは「父親殺し」という試練。

主人公は父親、もしくは父親のような存在と戦って乗りこえる。

文字通り「殺す」場合もあるし、それ以外の形もある。

 

どうして「父親殺し」をするのに旅立たないといけないかというと、日常に「父親」「父親的存在」が不在だからだ。

古今東西の物語の主人公の多くは親がいない家庭で育っている。

孤児だったり、父親がいなかったり、いても父親として機能していなかったり。

あと、旅立たないと物語になりにくいという散文的な理由もある。

 

スターウォーズのルークは実の父親と対決して乗り越え、大人になった。

アナキンは父親的存在だったパルパティンを殺して善悪のバランスのとれた存在になった。

最近の映画からひろっただけでも、ロード・オブ・ザ・リング、ハリー・ポッター、機動戦士ガンダム(最初〜逆シャア)など、似たような物語は無数にあり、見事にこのパターンにはまる。

(それぞれ誰が「父親的存在」かを探りながら観ると面白い)

 

現実の父親殺しは多くの場合「反抗期」という形で現れる。

親に反発し、親と対立しながら成長する。

 

僕には「反抗期」がなかった。でも父親殺しはした。

僕の「父親殺し」は「主夫」になったこと。

外にばっかり出ていて、家庭に不在だった親父とは正反対の生き方を選んだ。

表立っては対立しない、親の家を出てからの反抗だった。

 

どんな形であれ、父親は乗り越えられるべき存在。

 

※父親はどこへ消えたか:映画で語る現代心理分析 樺沢紫苑 学生みらい社

 

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