15 自分の顔と名前は選べない(コピーライターが教える:子どもを幸せにする名付けのコツ) | 主夫のコラム〜家事と育児とときどき手品〜

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「笑ろてるパパがええやん!」
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自分の名前が好きかどうかと聞かれれば、好きも嫌いもないと答える。

それは自分の顔が好きかどうかと聞かれるのと同じで、交換不可能なものに好きも嫌いもない。

ただ受け入れるだけだ。

 

キラキラネームが非難の的になっている。

非難する理由にいくつかのフェーズがある。

 

1 親が子どもを私物化してる

2 いじめや就職差別につながる恐れがある

3 読みにくい

 

1はよくわからない。子どもに元々名前の選択権はない。どんだけ親が子どものためを思って名前をつけても、子どもが気に入らない可能性はある。

 

2に関しては逆だ。キラキラネームが理由でいじめが起こる環境が悪いんだし、名前で就職差別をする方が悪い事はいうまでもない。キラキラネームが悪いのではない。

 

3は非難する意味を感じない。キラキラ苗字もあるしキラキラ地名だっていっぱいある。

名前だけ読みにくいと非難するのは筋が違う。

読みにくい名前なんですよ〜から始まるコミュニケーションだってある。

 

名付け親というものに憧れがある。

我が子が産まれる時、僕自身は子どもの名前にあまりこだわりがなかった。

妻は女の子だったら自分がつけたい名前がある。男の子だったらなんでもいい、というスタンスだった。

 

ということで、もし第一子が男子だったら、僕の父親に名付け親になってもらうつもりでいた。

血のつながりのある親の他に、「親」がいるというのはなんだか豊かな気がする。

それは祖父母や伯父伯母ともまた違う関係性。

 

子どもは2人とも娘だった。

そのとき名付け親がくれた名前「憲太郎」は幻になった。

だけど「憲太郎」はなんらかの形で存在してるような気がする。

名前をもらったから。

 

※コピーライターが教える 子どもを幸せにする名づけのコツ 清水章充 学研プラス

 

 

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