自分の名前が好きかどうかと聞かれれば、好きも嫌いもないと答える。
それは自分の顔が好きかどうかと聞かれるのと同じで、交換不可能なものに好きも嫌いもない。
ただ受け入れるだけだ。
キラキラネームが非難の的になっている。
非難する理由にいくつかのフェーズがある。
1 親が子どもを私物化してる
2 いじめや就職差別につながる恐れがある
3 読みにくい
1はよくわからない。子どもに元々名前の選択権はない。どんだけ親が子どものためを思って名前をつけても、子どもが気に入らない可能性はある。
2に関しては逆だ。キラキラネームが理由でいじめが起こる環境が悪いんだし、名前で就職差別をする方が悪い事はいうまでもない。キラキラネームが悪いのではない。
3は非難する意味を感じない。キラキラ苗字もあるしキラキラ地名だっていっぱいある。
名前だけ読みにくいと非難するのは筋が違う。
読みにくい名前なんですよ〜から始まるコミュニケーションだってある。
名付け親というものに憧れがある。
我が子が産まれる時、僕自身は子どもの名前にあまりこだわりがなかった。
妻は女の子だったら自分がつけたい名前がある。男の子だったらなんでもいい、というスタンスだった。
ということで、もし第一子が男子だったら、僕の父親に名付け親になってもらうつもりでいた。
血のつながりのある親の他に、「親」がいるというのはなんだか豊かな気がする。
それは祖父母や伯父伯母ともまた違う関係性。
子どもは2人とも娘だった。
そのとき名付け親がくれた名前「憲太郎」は幻になった。
だけど「憲太郎」はなんらかの形で存在してるような気がする。
名前をもらったから。
※コピーライターが教える 子どもを幸せにする名づけのコツ 清水章充 学研プラス
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