両親の死をきっかけに一文無しになるが、根無し草のような生き方を選んだ女性の生き方を描いた作品。
ミソ(イ・ソム)はウイスキーとタバコ、そして愛する彼氏がいればそれで良く、家事手伝いをしながらせっせと暮らしてる。
ところが家賃の値上がりをきっかけに、かつてのバンド仲間の家を転々とする居候暮らしがはじまる。
そして彼氏のハンソル(アン・ジェホン)も海外へ行ってしまう。
定職につかない、家がないその日暮らし。
他人からは理解されないが、それでも自分のスタイルは守るミソ。
転々と回る友人たちは家という社会的安定と引き換えに、何かしらを差し出してることで生活が成り立ってる。
学生時代ギタリストだったチェ・ジョンミ(キム・ジェファ)がミソに現実を突きつけるが、事実なので身も蓋もないので反論できない。
ジョンミが言ってることが、この映画を観ていてずっと頭の片隅にあって、観てる側も納得する。
言いたいことは分かるけど現実はね、と。
家を持ち、社会に馴染んで生きてるかつてのバンド仲間たちが集まるが、そこにミソの姿はない。
ミソは漢江のほとりにテントを張って暮らす究極の選択をしたわけで、これを「家も仕事もない可哀想な人」と見るか「大切なものを手放すことなく、自由な暮らしを手に入れて」と見るかなんだが、殆どの人は前者になるかな。
エンドロール後のキョンシーは、社会から逸脱したミソの姿そのもので、御札は“社会の常識”であり、それを貼ることでミソを実社会に溶け込ませようとする圧力になってる。
逆に言えば、ミソはその御札を剥がすことで、自分らしく生き続けることができるとも言える。
家が”社会的常識”のメタファーになってて、社会に埋もれず自分を大事にする価値観を描いてる。
自分が自分であるために必要なものを選択したのがウイスキーとタバコというのも、どこか古い社会的価値観にも見える。
個人の価値観を大事にするのは分かるが、現実的にはファンタジーの域を出ることはできない、映画だから成り立つ話に思える。
それでも一つの声としては理解できる。
昭和の頃に”貧しくとも...”という生き方や価値観は普通にあったが、今の時代はどうなんやろ。
バンド仲間を実力派が演じてるので、究極の選択話の割にストーリーにつながりがある意外と面白い映画やったな。
