戦後日本の置き土産、中国残留日本軍部隊の物語。
1945年の中国山西省で、太平洋戦争が終わったはずなのに日本陸軍の第114師団・歩兵第84連隊は、上官から中国に残るように命令される。
奥村和一さんらは、命令に従い中国に残り、そのまま中国内戦を戦わされて4年間を捕虜収容所で過ごす。
戦争は終わったのに、中国に残り中国の戦争を日本軍として戦ったって話。
戦後は日本政府から「自分の意志で残った脱走兵」として、恩給が支給されない不条理な扱いを受ける。
結局、国家に捨てられた駒で、奥村さんは上官の残留命令の痕跡を探そうと中国のたびに出て、現地で当時の記憶を追いかける。
奥村さんは日本軍が現地で何をしたか、自分も何をしたのかを生き証人としてフィルムに残す。
国の言い分はサンフランシスコ条約を調印したのに軍隊が残ってたということは立場上取ることができず、曖昧な戦後処理の被害者。これって台湾や朝鮮人の扱いとまったく同じ扱いで、戦後処理を全くしてこなかった日本の黒歴史。
面白かったのが、判決文に裁判長の署名捺印がないこと。
責任を取りたくなかったんやろうな、どこまで卑怯なのか不思議でならない。
言い訳は「裁判長が転勤したから物理的に書けなかった」というもの。
場所が離れてるからできないと言うが書留で送るなり、本人が署名しに来たらいいだけの話。
日本ではこんな理屈がまかり通ってた。
戦争を仕掛け、敗戦濃厚になると兵士たちを現地に置き去りにして、それどころか子どもたちも現地に残してた中国残留孤児といい、日本は何一つ戦後処理を自分たちの手でやっていない。
昭和の頃に、中国残留孤児のニュースがもてはやされたがいつの間にか忘れ去られたそれが今じゃ、お国のために戦った先人に感謝するというが、100万柱以上残る遺骨はそのままで、どこからも遺骨を回収しようという声は聞こえてこない。
アメリカはじめ、他国は未だに戦死者の遺骨を集め続けてると言うのにね。
奥村さんが60年も経って何故このような行動を取ったかはイマイチはっきりと伝わってこないが、自分なりにけじめをつけたかったんだろうね。
ラストに出てきた小野田とは大違い。そして、靖国神社で過去を賛美する亡霊たちを見てると、今の日本の状況も理解できてしまう。
