メディアを信じて熱狂していたが、「え? そうやったん?」という話。
軍の装甲車が走り、薬局に並ぶ貧しい人々。
壁には「支配層を殺せ」「集会・抗議活動は全面禁止」の文字が踊る近未来。
民衆は、抗議することも許されない社会に生きている。
子どもの治療費もなく、まともな病院に娘を連れて行くことができないベン・リチャーズ(グレン・パウエル)は、賞金が目当てで『ランニング・マン(RM)』のオーディションに向かう。
RMとは命をかけたサバイバルゲームで、30日間耐え抜くと10億ドル稼げるが、この間ハンターに命を狙われ、逃げ切れなければ死ぬというデスゲーム。
苦しい予選をかいくぐり、なぜかしぶしぶ契約を交わし、その瞬間から命を狙われる逃亡劇が始まる。
「メディアが金をばらまいて〜」というメル・ギブソン主演の映画に、似たようなのがあったと思う。
そしてそれを熱狂的に迎える視聴者は、レスピーギ. 交響詩『ローマの祭り』の第1楽章「チルチェンセス」そのもので、見世物として「虐殺」を受け入れてる。
逃亡劇との二本立てで構成されていて、内容的には目新しいものはないかな。
ダン・キリアン(ジョシュ・ブローリン)もRMはローマ時代の闘技場のようなものだと言っていたので、これ(祭り)をモデルにしてると思う。
リチャーズが予選突破をかけて挑むのはTBSの「SASUKE」そのもので、こちらもデジャブ感があった。
貧しい者が、同じ貧しい者が殺されることを熱狂的に受け入れる。
『ランニング・マン』は管理された社会で、民衆の鬱憤を晴らす装置になってる。
虐殺は置いといて、普段は厳しく管理しておいて、その日だけ騒いで鬱憤を晴らさせ、終わったらまた日常へ戻すぞ!
という城下町で年に一度だけ許される、祭りみたいな感じがした。
結局、『ランニング・マン』という番組そのものが、反乱を防ぐためのガス抜きになってると思う。
ティム・ジャンスキー(マーティン・ハーリヒー)のシーンは中だるみ感もあるけど、彼の母親が虐殺に酔いしれる大衆を体現してる。
ほんで、ジャンスキーの家から逃げるシーンはどこか「インディー・ジョーンズ」っぽく、作品全体でも殺戮をテーマにしてるけど生々しさがなく、これは意図的にそうしてるんやろうな。
そしてラストで、これまでの種明かしをして「民衆よ目覚めよ」で終わる。
ひょっとしたら、「メディアを疑え」「大衆は操作されている」「貧困層同士を争わせるな」といった社会的なメッセージを込めた作品なのかもしれんが、そこに至るプロセスが軽すぎて、単なる娯楽映画に仕上がってるような気がする。
