古代朝鮮の三国時代に、新羅と唐の連合軍50,000人と百済軍5,000人が戦った『黄山伐の戦い』を描いた作品。
前半はほぼコメディーで、吹き替えで観るとまったく面白さが伝わらない三国時代の物語。
かつて自分の娘を殺した百済に復讐すべく唐と手を結びたい新羅の金春秋(キム・チュンチュ)は、金庾信(キム・ユシン)に唐との交渉を命じる。
しかし唐との交渉に失敗し、海路を行く唐軍と合流するため、新羅軍は陸路で百済領を突破しなければならなくなる。
一方、百済では義慈(ウィジャ)王が重臣たちの支持を受けられず孤立してしまい、忠臣の階伯(ケベク)将軍に黄山ヶ原の死守を命じる。
というか、丸投げする。
負けることを覚悟したケベクは妻子を斬り、新羅・唐の連合軍との戦いに挑むことになる。
『黄山ヶ原』というと思い出すのが、イ・ソジンが主演を演じた『階伯』だが、ソン・ジヒョや今は見ることができないチョ・ジェヒョンが出ていた。
『チュモン』のあとに「GYAO!」の配信で観たが、一話目からぶっ飛んでて白けてしまい、途中脱落した。
ながら観で最後まで観ただろうけど、あまり覚えていない。
そしてキム・チュンチュやキム・ユシンといえば、やっぱり『善徳女王』。
ちなみに、この作品には今をときめくシン・セギョンが、見違えるほどの顔で出ている。
始まってからずっとバカバカしい悪口の言い合いが続き、「なんや? これ?」状態ではあったが、終盤の30分あたりからガラッと雰囲気が変わる。
死んでも死んでも身内である花郎「ファラン」を送り続け、敵の心を折ろうとする作戦は、どこかの国の決死の特攻隊を彷彿させる。
そして、ようやく勝機と判断したキム・ユシン(チョン・ジニョン)が、「戦争は正気ではできない、皆狂ってる」「我らは己のために戦う」と言ったところから雰囲気が変わり、泥臭い野戦も迫力ある映像で撮られている。
馬が集団で倒れるシーンなんか、今は無理やろうね〜、と。
ただ、前半の戦争を揶揄するようなコメディタッチは、今の感覚で戦国時代の戦いを否定しても仕方ないと思うけどな。
だから、終盤のシリアスな展開があまりにも唐突で、少し中途半端な感じがした。
あと、終盤で印象に残ったのが、ケベクが妻と子を斬りろうとした時に、子を守ろうと全羅道弁で捲し立てる妻役を演じたキム・ソナ。
彼女の演技がすこぶるよく、だから尚の事、中途半端なコメディーにしたのがもったいない。
『緑豆の花』ではチョ・ジョンソクが演じるペク・イガンが、当初は「コシギ」と呼ばれていて、舞台は全羅道になる。
このドラマでは「コシギ」を「おい、それ、あれ」みたいな意味で使ってて、とても人間の名前とは思えない、ひどい言葉として使われていた。
本作でもこの言葉が乱用されていて、百済軍がケベクの使った「コシギ」の意味が分からず、集まって開く「暗号解読会議」のバカバカしさ。
ここは大阪弁の「あの犬、チャウチャウちゃう?」「ちゃうちゃう、チャウチャウちゃうで!」に似てるようで笑った。
きっとそんな感覚やったんやろうな。
百済は全羅道で、新羅の慶尚道は関西弁に似てるイメージがあったが、全羅道は名古屋弁みたいなものかな。
高句麗は東北弁、みたいな感じで。
今も残ると言われてる地域対立を方言で風刺してるような気もするが、当時は通訳がいないと言葉が通じなかったという話を聞いたことがある。
高句麗、百済、新羅は別の民族で、それが統合され一つになっていく。
これは日本の歴史を見ても分かるように、国家とはそういう過程を通じて出来上がってきた。
昔の東北弁なんか聞いてもわからんし、私も30年前に金沢に来た時に、高齢者が話す言葉が分からず、いつも口元を見てた記憶がある。
だから、最後の決戦に挑む百済軍が集団で「コシギ!コシギ!コシギ!」と鬨の声を上げるシーンを、吹き替えで聞いてみたかったな。
