ホラーと思っていたら、怪談話の基本プロットを三話のオムニバス形式で見せるミステリー・サスペンス。
面白そうなタイトルとサムネに惹かれ、TSUTAYA DISCASで借りたけど、届いたその日にアマプラに上がっていたことを知り、敗北感を背負いながら観た。
舞台は1942年、日本植民地下の朝鮮・京城にある安生病院。
主人公のパク・チョンナム教授(チョン・ムソン)は再婚で、前妻は心臓が良くなかった。そして二人ともすでに亡くなっているが、彼はなぜか良心の呵責に苛まれている。
そして最期に娘(オム・ジウォン)を送り出したことで、過去4日間の回想が始まる。
病院院長(イェ・スジョン)が勝手に決めたあおい(ハン・ヨジ)との結婚を目前にしている若き日の医大実習生パク・チョンナム(チン・グ)は、幼いころの事故で足が不自由な医師イ・スイン(イ・ドンギュ)と、先輩の女医キム・イニョン(キム・ボギョン)のもとで病院生活を始める。
この頃、京城では日本兵を狙った謎の連続殺人事件が続いていた。
そんなある日、氷の中で自殺したあおいが病院に運び込まれる。
その2日前には、交通事故で重傷を負ったあさこ(コ・ジュヨン)も運び込まれ、医師スインは必死の思いで治療に励むが、その後、スイン自身も交通事故で命を落とす。
そして、日本兵を狙った連続殺人事件の犯人が明らかになる。
ホラーだと思って観だしたら、雰囲気的には学校のトイレのお化け話のような、「病院の怪談話」になってた。
原題も『奇談』。
オープニング早々、過去を回想するシーンの導入部で、アルバムの表紙に「高木正男」の文字が見える。
これに邦題の「1942」があったことで、この作品の背景を知る手がかりになった。
1979年10月の日付と、「高木正男(タカギ・マサオ)」が誰を指しているのか。
元大統領の朴正煕が「高木正雄」に創氏改名したのが1942年で、KCIA部長の金載圭に銃撃されて死亡したのが1979年10月。
この二つを考えると、パク・チョンナム=朴正煕を意識した人物で間違いないと思う。
朴正煕氏は1942年に「高木正男」として陸軍士官学校で日本のシステムに忠誠を誓い、戦後は韓国の大統領として君臨する。
だから主人公のパク・チョンナム教授は、創氏改名をした元・高木正男という設定で、「これ、朴正煕やろ」と思った。
そうすると、この映画が何を伝えたかったのかが自然と見えてくる。
ちなみに冒頭で出てきた娘(オム・ジウォン)は、さしずめ朴槿恵元大統領といったところかな。
特にストーリーそのものに大きな影響はなかったが。
三本の怪談を何で埋めるかという話
ストーリーは三本立てで、「怪談の基本プロットを何で埋めるか」という構成になってる。
1つ目のプロットは、「死者と結婚させられる男の話」で、よく観るネタだったので難なくクリア。
しかし、このパートで出てくるあおいが最大の伏線回収になっていて、ラストで高木正男としてチョンナムが語るセリフが、この作品最大のハイライト。
ってか、そうあって欲しかったんやろうね、この作品の監督さんは。
2つ目のプロットは、この二日前の話で、あさこは母親の再婚相手が運転する車で事故に遭う。
唯一生き残ったあさこは病院で、再婚相手の男と母親の亡霊に苛まれる。
そこでスインは、自分の過去、なぜ右足が不自由になったのかを話す。
しかし、この事故で犠牲になった子どもを抱えた老婆まで亡霊として現れる。
あさことスインをつなぐ思い出の場「普信閣」。
ここは元々、時を知らせる鐘楼だったが、植民地時代には夜間通行禁止を知らせる場所でもあり、この時代を象徴する場でもある。
ドラマ『ミスター・サンシャイン』では蜂起の場として描かれていた。
結局、あさこは治療の甲斐もなくこの世を去るが、彼女に憑依していた怨念をスインが背負うことになる。
彼もずっと、兄に対する思いで苦しんでいたということ。
3つ目のプロットは、殺してしまった人間の亡霊に取り憑かれる話。
この三日前のパートは、死んだ人が残す魂が怨念となる「鬼神」が「どっちなん?」という話になる。
イニョンの夫キム・ドンウォン(キム・テウ)がイニョンの亡霊に悩まされる。
しかし、イニョンがすでにこの世にはいない存在だと気づく。
それどころか「日本で亡くなった」という過去を思い出すが、キーワードは蝶のかんざし。
同じ手口で日本兵が殺されるが、犯人は現場を目撃されたため、看護師を殺してしまう。
ここから足がつき、犯人が明らかになり、犯人は自分から文章を残して名乗り出る。
2つ目は二日前、3つ目は三日前の話になると思う。
ただ、時系列としては最後に1つ目の物語へ完全には戻っていないようにも見える。
それか、院長の自殺で戻しているのかな?
ここはよう分からんかった。
讃美歌のような歌を背景に、イニョンがドンウォンに寄り添うように消えていくし。
ラストは安生病院が1942年の思い出とともに、あの時代のチョンナムも消えていく。
この時代は言葉は日本語、名前も日本式に定着していく。
そして、この1942年は朝鮮人に対する戦時動員が閣議決定され、本格化していく時代でもある。
映画全体が、「高木正男という名前で生きた男が、1942年の安生病院で起きたすべての悲劇を受け止めながら、人生の最後に答え合わせをしていた」という設定になってるようにも見えた。
監督は、多くの人が亡くなったあの時代の歴史を、本当に清算できているのかを問うていたのかもしれない。
特に3つ目のプロットは、そう思った。
いつも思うが、2010年以前の韓国映画は今のように、あえて事の顛末を描かず、「あとは自分で考えてね」になってる作品が多いと思う。
だから、抜け落ちたピースを自分で想像して埋めることで感想が出来上がる。
この「ピースを埋める作業」が面白く、作り手と観客の共同作業のように思う。
しかし今回は、結構、このピースを埋める作業が大変やった。
