『オールド・ボーイ』が伝えた記憶の落差 | 三匹の忠臣蔵

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悪意を持って噂を流したわけではないものの、結果的に人の人生を壊してしまった、「口は災いの元」を体現する男の物語。
復讐劇でありながらも、その本質は「言葉の責任」について考えさせられる映画だと思う。

ある日突然、デス(チェ・ミンシク)は監禁されたが、自分ではその意味がまったく分からない。
しかし、その状況を受け入れ、体を鍛えながら生き延び、15年後に解放されてから徐々に理由が分かってくる。

初めて観た時の衝撃は今でも忘れられないが、20年前の作品でも今なお色褪せない作品。

いつまで、なんで、どうしてが分からないまま15年も監禁される。
想像を超える出来事の連続で、「そんな理由ないやろ」とツッコむ気も失せる。

「ウジンにとっては人生を狂わされた大事件」なのに、「デスにとっては忘れてしまうほど些細な一言だった」という残酷な非対称性が強烈で、デスの軽率さと、その何気ない一言が背負う罪の重さが凝縮されている。

噂を流した本人は、その出来事すら覚えていない。
だが、「これって罪ですか?」と問われれば、自分の犯した罪を理解できた時点で、それは間違いなく罪なのだと思う。
「そんな噂を口にすれば、広まることくらい分かっていたでしょう」と言われても仕方がないから。

特に終盤での、ウジン(ユ・ジテ)のペントハウスで繰り広げられる復讐の結末は、やりようのない虚しさだけが残る。
室内に置かれた巨大な水槽や、床を流れる人工の川で手を洗うデスの姿など、冷徹なまでの映像美が物語の狂気を引き立てる。

そしてすべてが明かされたラストでは、記憶の温度差が消えたデスが自分が何をしたかを悟り、狂気の結末を迎える。

復讐を遂げたウジンが一人エレベーターに乗り込み、自らの頭を撃ち抜いて命を絶つシーンも壮絶で、ウジンにしたらこの結末しかなかったと思う。

これは今のSNSだけの話ではない。
国会議員をはじめとする著名人が、「そんなつもりではなかった」「真意が伝わらなかった」と弁明する場面を目にすることがある。
だが、それは自分の発言がどれほどの影響を与えたのかを理解していない、あるいは理解しようとしていないからこそ出てくる言葉なのではないかな。

「マンヅゥ」や「生タコ」、そしてワンカットで撮影された廊下でのハンマー乱闘など、ビジュアル的なインパクトも強烈だが、本当に恐ろしいのは「言葉の罪」という精神的な恐怖を描いていること。だからこそ、現代にこそ必要な作品だと思う。

パク・チャヌク監督らしい狂気と美学、チェ・ミンシクとユ・ジテの鬼気迫る演技が、この異様な物語を最後まで成立させている。そして個人的には、キム・ビョンオクの渋い存在感も忘れがたい。

ウジンは15年間、一日たりとも忘れなかった。
だが、デスはその出来事を忘れていた。
この"記憶の落差"こそが、本作最大の恐怖だった。

 

 

『オールド・ボーイ』が伝えた記憶の落差