囲っていた女が3人の子どもを連れてきたことを発端に、冷酷な妻に翻弄されながらも、鬼と人間の境界で迷う男の物語。
松本清張の短編小説を、野村芳太郎監督、脚本・野村芳太郎&工藤栄一、そして音楽・芥川也寸志という今では再現不可能とも思える豪華な布陣で映画化した作品。
宗吉(緒形拳)の愛人菊代(小川真由美)は宗吉の仕送りが途絶えたことに怒り、3人の子供を連れて宗吉の家に乗り込んでくる。
突然の事態に理解できない妻お梅(岩下志麻)を前に、宗吉はただオロオロするばかり。
当然、お梅は宗吉の浮気を知る由もなく、菊代と激しい口論になる。
怒った菊代は3人の子供を宗吉の家に置き去りにして失踪し、宗吉は自分の隠し子をお梅と共に育てる羽目になる。
気が収まらないお梅の怒りは、子どもたちへと向かう。
長男の利一(川瀬香織)は健気に父親を信じ、必死に妹・良子(渋沢詩子)と弟・庄二(末永充亮)を守ろうとする。
しかし、食事もまともに与えられないことから、末っ子の庄二が慢性の消化不良で衰弱死する。
これを機に宗吉は、実の子殺しという狂気へ足を踏み入れ、まず良子を東京のデパートに置き去りにして帰ってくる。
お梅は青酸カリを宗吉に渡し、残る利一の始末を急かすが、宗吉は失敗する。
宗吉はお梅のいびりと生活苦から逃れるために、利一を連れて福井県の「東尋坊」から石川県の「能登金剛」へと連れ歩き、とうとう「ヤセの断崖」で利一を海に突き落とす。
大人のエゴと生活苦の歪みの中で子どもが一人ずつ消されていくプロセスを淡々と描いていく。
ある意味では菊代も被害者と言える。
とはいえ、いくら何でも産んだ子どもを置いて行かんでも……と。
そしてお梅は、菊代に一番言われたくない「子どもを産めないから」と言われ逆上し、これが、その後の子どもたちへの虐待の引き金になったのだと思う。
お梅は夫の隠し子たちに対して愛情はもちろん、一切の情けをかけず、徹底的に冷酷にあたる。
そのはけ口として宗吉を心理的に追い詰める、恐怖のモンスターと化していく。
一番の悪は宗吉なんだが、その行動がお梅に追い詰められた末のものなのか、それとも自らの意思なのか、本人でさえ分からなくなってるようにも見える。
そんな宗吉の気持ちを知ってか知らずか、利一は青酸カリで自分を殺そうとした宗吉に「帰ろう」と諭すように話す。
それでも宗吉は利一の気持ちを裏切り、最後には崖から突き落としてしまう。
宗吉には「鬼畜」以外の言葉は見つからない。
しかしラストでも利一は「僕のお父さんじゃない、知らない人だ!」という言葉で宗吉を救う。
宗吉は本当に鬼になったのか、それとも鬼にさせられた人間なのかは分からない。
ただ、6歳を筆頭にした3兄弟は、普通に暮らしたかっただけなのに、残念な気持ちしかない。
せめて良子がどうなったのかだけでも回収してほしかった。
菊代を演じた小川真由美と、お梅を演じた岩下志麻は、どちらもハマってて良かったと思う。
二人が対面した修羅場はどっちも鬼のような形相になるが、もしお梅を小川真由美がやると、どこか色っぽさがでて締まりがなかっただろうな。
同じく緒形拳が主役だった『復讐するは我にあり』ではそんな感じだったし。
そして芥川也寸志さんのあの不穏で悲しい独特の曲調も良かった。
芥川也寸志さんの曲を聞いてると、いかに映画でバックサウンドが重要かというのがよく分かる。
物語のクライマックスとなる「東尋坊」や「ヤセの断崖」までは自宅から往復で200kmほどなので、良く自転車で走ったのを思い出した。
「東尋坊」はともかく「ヤセの断崖」は、2年前の震災で景色が変わってしまったので景色を懐かしく見れた。
また、「ヤセの断崖」というと同じく松本清張の作品『ゼロの焦点』でも重要な舞台として登場するので時間をみて再視聴したいと思う。

