鋳物工場のキューポラ、煙突が立ち並ぶ川口市で、町工場をクビになった鋳物職人と、北朝鮮へ帰国する家族の日常を描いた、貧しさの中にも希望があるヒューマンドラマ。
製作年に生まれたので当時の雰囲気はうっすらではあるけど覚えていて、この作品は3回以上は観てる。
仕事中の大怪我の後遺症で働けなくなった父・辰五郎(東野英治郎)はクビになってしまい、ジュン(吉永小百合)はパチンコ屋でバイトしながらも高校進学を目指していた。
同じバイト仲間のヨシエ(鈴木光子)の弟・サンキチ(森坂秀樹)は、弟のタカユキ(市川好郎)の友達で、ヨシエ一家は北朝鮮への帰国を控えている。
この2つの家族を通して、貧しさの中でも光を見出し、健気に生きる姿が描かれ、ラストが印象的で元気をもらえる。
タカユキは野鳩を伝書鳩として売り捌くことを思いつくが、ヒナを猫に食べられてしまう。
ジュンが金の話をつけに行って襲われ、逃げた後に映し出される「すくすくと明るくのびよう青少年」の横断幕のドアップは、思わず笑ってしまう。
タカユキと同じように、子どもの頃は基地を作ってよく遊んだ。
結局、家庭環境でグレていく——昭和あるあるで、綺麗事じゃないんよね。
最終的にジュンは全日制ではなく定時制高校へ進学することを決意するが、そこにはちゃんと明るさがある。
そして帰国事業で北へ渡るタカユキも、希望を胸に帰っていく。
帰国事業は、戦後の貧しい日本からすると「厄介者は帰したい」という思惑もあり、当時の北朝鮮は韓国より発展していて、暮らしやすいと言われていた。
何より韓国もそれどころではなかったので、日本で差別を受け苦しい生活から抜け出すには北を頼るしかなかった。
おおかたこの建て付けが定説となっていて、今になって「騙された」と裁判をする元帰国者もいるが、果たしてそうかな?と思う。
この時代の映画には朝鮮人が普通に出ていたが、70年代以降になるとぱったりといなくなった。
80年代だったか、吉本が鶴橋を舞台にした映画を作ったが、出ているのは日本人ばかり。
こうして消されていった。
芸能界やスポーツ界にも朝鮮人は多くいたが、「朝鮮人」と名乗ることを許されなかった。
例えば、モランボンのジャンのCMでの名優・米倉斉加年に対するバッシングは凄まじかった。
帰国事業について
私も幼稚園から朝鮮学校へ通い、スペルが合っているか覚えてないが、小学校1年の時に同級生の 김현아、3年生の時は 김권일 が帰国した。
현아 は足が速く、권일 は大柄・鳩胸で、いかり肩から繰り出されるドッジボールを受けるのに苦労した。
二人とも仲良く遊んだので、今もはっきりと顔は覚えてる。
どこの家庭も似たようなもので、親類の誰かが北に帰っていたり、韓国に親戚がいたりで、両国のナマの情報が入ってきて、学校では普通に話題になっていた。
だから北と南のニュースは鵜呑みにしなかったし、日本のテレビニュースも信用してなかった。
これは今も同じ。
やっぱり、直接情報を取りにいけるからね。
だから小学生の高学年になると、「日本と戦ったのは金日成だけちゃうやろ?」は普通に話をしていて、韓国の『済州島4・3事件』や韓国に留学へ行ってスパイにされた人の生の声、『光州事件』などについても情報があり、子どもなりに真剣に議論していた。
しかし、家で親の口からは直接聞いたことはなかった。
아버지 とその仲間たちは帰国事業の本質を知り、耐えられずに総連との関わりを捨てた。
小学生の頃に 김병식 の騒動があり、これで総連が急速に力を落とし、さらに変質していったことから、総連と距離を置く人が激増したのは子どもの目にも明らかやった。
この騒動に、横浜に住む 아버지 の甥っ子が関わっていたことから叔父は逃亡生活を送り、兄の結婚式に来たが、別人のようにやつれていたと、後に聞かされた。
親の口から4・3や帰国事業について聞くことができたのは成人してから、特に結婚してからが多い。
それまでは一切語らなかった。
아버지 も韓国から親戚が来ることはあったが、初めて韓国へ行ったのは、我々子どもらが成人してからやった。
先に書いた帰国事業の定説だが、自分の意志とは”別に帰る判断をする人”がいたことは、あまり語られてこなかったのではないかな。
「帰らし屋」がいたことも。
我が家も帰る寸前までいったが、アボジが思いとどまった。
だから仲人の李さんに感謝しろと言われた。
李さんは 아버지 の総連時代の後輩で、一緒に活動していた。
李さんも帰国事業については、어머니 から聞いた話と同じことを言っていた。
同じく総連時代の後輩仲間に金さん一家があり、息子が同級生で、幼い頃は兄妹のように育った。
泊まりに行くと、同じく 아버지 は無口だが、そこの 어머니 からはいろんな話を聞かされた。
よほど悔しかったんやろ。
ちなみにうちの 아버지 は、死ぬまで総連時代のことを語ることはなかった。
この意味を 어머니 から聞かされたことがあるが、本人はそのまま墓場まで持っていったんやろうな。

