朝鮮王朝の歴史を語るうえで欠かせない存在である元敬王后(閔氏)。その波乱万丈な人生を描いたスタジオドラゴンの最新作「元敬~欲望の王妃~」が配信開始となったので、ネタバレを含むが、これまでの記事を整理してまとめてみた。
私も見ようかと予告編をチェックしたら、強烈なキスシーンがあり、”あっ、これは”と思い、見るのをやめたし、たぶん今後も見ないかも(笑)。
とはいえ、今回のエントリーは「これから観るかもしれない」というあなたのために、元敬王后について私がこれまで韓国映画やドラマを見てきて感じた感想など、元敬王后の魅力とそのバックボーンを紹介する。
見ていないので「元敬~欲望の王妃~」を直接扱うわけではないけど、これから見る人はこの記事を読んで元敬王后の悲劇の背景を知ることで、ドラマをさらに楽しむ手助けにして欲しい。
元敬王后:高麗の誇りと朝鮮の軋轢
ドラマの前提として、高麗王朝は李成桂(イ・ソンゲ)が反乱を起こし滅ぼされた国で、滅亡後にイ・ソンゲが李氏朝鮮を建国します。
高麗王朝の文化や風習が色濃く残る中、李氏朝鮮は新たな秩序を築く時代になります。
結論から先にいうと、元敬王后と王である李芳遠(イ・バンウォン)のバチバチな争いの原因は、新旧秩序の衝突にあります。
閔(ミン)氏の背景と高麗の女性の地位
元敬王后は、高麗王朝の名門貴族ミン家の長女として生まれ、王室と婚姻関係を持つ家柄の出身でした。
高麗では、女性は財産や政治的発言力を持ち、比較的高い権利意識を有していました。
高麗時代(17世紀以前)の婚姻風俗では、新郎がまず妻の家(丈家)に婿入りし、子どももそこで育てる習慣がありました。
「丈」は妻の家を意味し「丈家(ジャンガ)」は漢字語で、「ジャンガカダ(カダは行く)」は結婚を表します。
新婦は生活が安定後、夫の家(媤家)に移るが、この「媤」は「女性が心から夫の家に仕える」という意味を持ち、「媤家(シジプ)」は朝鮮で新たに造られ た独自の意味を持つ固有の漢字語で、「シジプカダ」は結婚を表します。
高句麗から続いていたの風俗の「丈」と、朝鮮で作られた新語「媤」の違いを見ても朝鮮が新たな秩序を作ったことがわかります。
権利意識を持っていた人がいきなり「旦那に仕えろ!」と言われたわけですね。
高麗から朝鮮へ、新旧秩序の衝突
新たに国家を樹立すると言っても昨日まで高麗だったわけで、ゼロから作ることには無理があります。
そこで頼ったのが高麗の元官僚です。
父イ・ソンゲは高麗末期の地方豪族や軍人層(崔瑩、李之蘭など)を取り込み、柔軟に新王朝の基盤を築いたが、息子のイ・バンウォンは父親の仕上げをするように、より強硬な手段を選びます。
その象徴が、1398年の第一次王子の乱後に起きた「杜門洞の焼き討ち」です。
この粛清で高麗の旧勢力を一掃したが、生き残ったのが黄喜(ファン・ヒ)です。
「根の深い木 -世宗大王の誓い-」「大王世宗」でもおなじみの黄喜は、後に世宗の治世では戸曹判書などを務め、朝鮮王朝黎明期に欠かせない人物になりました。
高麗の風俗が朝鮮初期にも残り、高麗の体制が昨日まで続いていた以上、ゼロからの構築は難しく、イ・ソンゲは高麗の元官僚や地方勢力の力を借りざるを得なかった。
しかし、イ・バンウォンの強硬策は、高麗の伝統を重んじる元敬王后との対立を深める一因となった。
彼女は高麗の女性の権利意識を背景に、財力、軍事力、情報力、人脈を駆使してバンウォンを支えたが、朝鮮の儒教的秩序「男尊女卑」の押し付けに強い反発を抱いたのです。
イ・バンウォンとの結婚と対立の芽
元敬王后は、田舎出身で家柄の低いイ・バンウォンにとって、名門ミン家との結婚は権力基盤構築の絶好の機会で、彼女の財力と人脈は、朝鮮王朝の礎を築く上で不可欠でした。
しかし、バンウォンが王(太宗)になると、元敬王后をないがしろにし、側室問題やカン氏への対応で彼女の恩義を軽視し、これが元敬王后の怒りを招きます。
彼女の高麗由来の男女平等意識と、バンウォンの儒教に基づく男尊女卑思想は相容れず、両者の対立は単なる夫婦喧嘩を超えた深い軋轢に発展します。
この対立は、高麗と朝鮮の価値観の衝突、女性の人権意識と権力闘争における女性の扱いの違いが複雑に絡み合った結果でした。
イ・ソンゲの先例と元敬王后の失望
バンウォンの父、イ・ソンゲも同様に女性の財力を利用しました。
彼は地方での基盤確立に貢献したハン氏を正室(郷妻)とし、中央進出ではカン氏を正室(京妻)に迎えました。
しかし、2人の正室を持つことは違法であり、ハン氏をないがしろにしたことで軋轢が生じました。
イ・ソンゲはハン氏の死後、カン氏を王妃にしましたが、これがハン氏の子女(バンウォンら兄弟)に不満を残します。
バンウォンはこの教訓を見つつも、元敬王后を切り捨てる選択をし、彼女の怒りをさらに増幅させました。
政治的には”見せしめ”にも映りますが、元敬王后は”誰のおかげで王になれたのか”と憤り、バンウォンが権力のための自分を利用したことに強い反発を抱きます。
「太宗イ・バンウォン~龍の国~」での元敬王后
ドラマ「太宗イ・バンウォン~龍の国~」では、元敬王后をパク・ジニが熱演。
彼女の演技が元敬王后の怒りと悲劇を神の境地へと導きます。
特に第26話以降、元敬王后とバンウォンの対立が激化し、息子にまで裏切られた元敬王后の「悔しさ、怒り、忿怒」をパク・ジニが見事に表現。
彼女の演技は、元敬王后の複雑な感情と高麗の誇りを体現し、視聴者に強い印象を与えます。
物語は史実を淡々と描きつつ、元敬王后の視点からバンウォンの冷酷さや権力への執着を浮き彫りにします。
個人的に、パク・ジニの元敬王后が強烈すぎて、チャ・ジュヨンだとちょっと違うかなって感じで、今回の「元敬~欲望の王妃~」は見ない選択になってます。
「六龍が飛ぶ」と神徳王后の関連
関連作品「六龍が飛ぶ」では、谷山剣法の伝承者チョク・サグァン(ハン・イェリ)が登場します。
彼女は高麗末期の黄海道谷山出身で、谷山を知らなかったムヒュル(ユン・ギュンサン)の言葉にイ・ソンゲの長男イ・バンウ(イ・スンヒョ)が驚くことで、神徳王后(イ・ソンゲの正室、カン氏)の故郷と繋がります。
高麗王家は滅亡の危機に瀕し、谷山出身のチョク・サグァンに復権を託すということですね。
この設定は、元敬王后とバンウォンの対立に間接的に響き合い、バンウォンが神徳王后の墓石を清渓川の広通橋の土台に逆さまに使うエピソードに象徴される、彼の苛烈さを際立たせます。
この緻密な脚本は、フィクションながら歴史的背景を巧みに織り交ぜ、元敬王后の悲劇に深みを加えます。
悲劇の回避は可能だったのか?
元敬王后とバンウォンの悲劇は避けられなかったのか。
もしイ・ソンゲがハン氏を初代王妃とし、カン氏を養子として時間を置いて王妃に据えていれば、ハン氏の子女の不満は抑えられたかもしれません。
また、イ・ソンゲが8男バンソクを世子にせず、長子継承を重視していれば、兄弟間の軋轢も減った可能性があります。
バンウォン自身、2男パングァの養子となり世子を経て王位についたのは、こうした教訓を踏まえた戦略だったと考えられます。
しかし、親子揃って女性の財力を利用しつつ、イ・ソンゲが感謝を示したのに対し、バンウォンは元敬王后を切り捨てたことが、悲劇を加速させました。
まとめ
元敬王后は、高麗の名門出身として財力と人脈でイ・バンウォンの王位獲得を支えたが、朝鮮王朝の男尊女卑思想とバンウォンの権力優先の姿勢により、恩義を裏切られ、深い対立に至った。
彼女の怒りは、高麗の女性の権利意識と朝鮮の価値観の衝突、さらに権力闘争における女性の扱いの違いに根ざします。
イ・ソンゲの先例や戦略的失策を振り返ると、元敬王后の悲劇は避け難かったが、別の選択肢が歴史を変えた可能性も示唆されます。
「太宗イ・バンウォン~龍の国~」ではパク・ジニの圧巻の演技が元敬王后の悲劇を際立たせ、「六龍が飛ぶ」のチョク・サグァンとの関連で歴史的背景がさらに深まる。
そして元敬王后を描いたドラマで忘れることができないのが「龍の涙」と「大王世宗」。
この二作で元敬王后を演じているのが大女優チェ・ミョンギルです。
「龍の涙」の第二次王子の乱ではハチマキ姿のチャーミングな彼女が見れます。






