がんばれカズ。

久しぶりの大桑→犀川通勤、風が少し冷たくて気持ちいいラン。思わず海環通って、瀬名へ行きそうに。(^_^;)
つい10日前まではオフィスに着いたらシャツを洗って干してたけど、今日は扇風機で乾かす程度で大丈夫。
一年で一番いい季節、満喫せねば。
今日の朝刊。
高尾地区、伏見台界隈の歴史です。
良くも悪くも田舎なので土着民の歴史が街の真ん中にある。
学校にも「富樫氏」はいるし。
そこで高尾城と富樫氏の歴史をさらっと調べてみた。
富樫氏は藤原利仁を祖先とする北陸の有力な武士団で、富樫政親が高尾城を築城し、加賀国守護として居城としていた。
しかし、浄土真宗本願寺の蓮如が布教活動を行ったことで、本願寺門徒の勢力が拡大した。
門徒は「道場」を中心に信仰と団結を強め、領主の支配をしのぐほどの強大な力を持つようになった。
1488年の長享の一向一揆で、富樫政親が加賀の一向宗門徒に攻められ、高尾城に立てこもるが、最終的に城が落とされ、政親は自刃した。
門徒たちは守護の富樫政親を討ち、事実上、加賀国を支配下に置いた。
この事件は加賀を「百姓の持ちたる国」に変え、武士階級が支配するこれまでの常識を覆し、信仰によって結ばれた百姓(門徒)が国を治めるという異例の事態を引き起こし、歴史的事件の始まりとされている。
支配の実権は、本願寺の坊主や有力な門徒たちが握り、年貢の徴収や行政など、政治全般を門徒たちの組織によって行っていた。
この統治体制は、織田信長に滅ぼされるまでの約100年間にわたり続き、戦国時代において武士以外の勢力がこれほど長期にわたり一国を支配した例は、世界的にも珍しいと言われている。
しかし1580年、織田信長の家臣である柴田勝家が石山本願寺攻めを終え、加賀一向一揆を平定したことで、この特殊な自治体制は終わりを迎えた。
高尾城跡は富樫丘陵の先端に位置する山城である。
富樫家御廟谷は高尾城落城後、富樫政親や高尾城で戦死した重臣たちが葬られた場所とされる、野々市にある大乗寺の旧跡である。
「百姓の持ちたる国」という言葉はとてもしっくりくる表現で、今で言うところの市民クーデターとなり、社会民主主義を勝ち取った「誇らしい歴史」になるのではないかな。
今は”与えられた民主主義”揶揄されることもあるが、過去にはこういった気概を見せていた。
「戦国時代の民衆支配」は衝撃的で、こういったものを映画にすればいいと思う。
しかし、宗教が民衆運動の核になるのは今も昔も変わらない。
権力者が宗教を恐れるのも分かる気がする。
