イ・ランが歌う「イムジン河」とは | 三匹の忠臣蔵

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年明けの新年早々に Yahoo!ニュースから「イ・ランの『イムジン河』――ボーダーを、言葉を越えて、幾重にも折り重なった意味に思いを馳せる」という記事が流れてきました。

 

韓国のシンガーソングライター、이랑(イ・ラン)さんが1日に新曲MV『イムジン河』を発表。
MVのクレジットには『イムジン河』(1968年) 作詞:朴世永、作曲:高宗漢、日本語作詞:松山猛と明記し、ザ・フォーク・クルセダーズ版の日本詞を手話とともに歌ってます。

 

 

撮影場所は、もちろんイムジン河。

イ・ランさんは1986年ソウル生まれ。
彼女はシンガー・ソングライターであると同時に映像作家であり、コミック作家であり才能のある文筆家でもあります。

 

在日にとってはリムジンガン

曲名の臨津江(韓国語表記:임진강 〔イムジンガン〕、朝鮮語表記:림진강 〔リムジンガン〕)は朝鮮半島中部を流れる川で全長273km。
北朝鮮の南部から軍事境界線を越え韓国・京畿道を経て、西の黄海に流れ込みます。
南北朝鮮を隔てる軍事境界線をまたいでいることから南北分断の象徴となっている川です。

河口には江華島があり高麗時代、元の軍隊に脅かされた高麗が都を開城から江華島に移しました。

 

結果、元の騎馬部隊は、川幅800メートルのリムジンガンを渡ることが出来ず高麗は助かります。
リムジンガンの上流が北朝鮮にあるため、北朝鮮側のダムの放流によって、韓国側が洪水に見舞われたり、水不足に陥ったりと、”兵器”のような使い方をされることもありました。
私達にとってはリンジンガンで、メロディーはイメージ画像の音符のとおりです。

思いを共有してくれた日本

パッチギ!|少年Mのイムジン河でも書きましたが、リムジンガンは韓国・京畿道出身で解放後は北朝鮮で活躍した詩人、朴世永が南の故郷を思ってつくった詩が1957年に歌として作曲されました。

 

その多くが現在の韓国エリアにルーツを持つ在日コリアンの間で歌われ、ザ・フォーク・クルセダーズ(朝鮮語の1番と日本語の1番だけでは足りなかったことから、松山猛が2番と3番の歌詞を書いた)により日本人の間でも歌われるようになりレコード発売が決まります。

 

しかし、発売前に突然、レコード会社が「政治的配慮」から発売中止を決定し、その後「放送禁止歌」となります。

長くタブー視されていた「リムジンガン」のフォークルバージョンは、2002年に34年の歳月を経て初めてシングルCDとして発売されます。

 

2005年には松山猛さんのエピソードを原案に、イムジン河をテーマにした井筒和幸監督の映画「パッチギ!」がヒットします。
こうして歴史の波に翻弄されたリムジンガンは今も歌い継がれています。

里帰りしたリムジンガン

北朝鮮の指導者が3代目になって核・ミサイル問題がとうとう臨界点に達したのか、不安定な状況になりつつある朝鮮半島でリムジンガンが里帰りします。

 

韓国で日本語の歌が公の場で歌えるようになったのは金大中大統領が解禁の方針を表明して以降の話です。その韓国で日本語版のリンジンガンが流れます。

 

故郷の地である南の事を思い北の地で作られた歌を、日本で暮らす南の出身者だけでなく彼らに寄り添い歌おうとして禁じられた歌。

 

その歌をいま南の地で生きる人が日本語で手話をまじえて歌う、その舞台となったまさにその川辺で。

今でも韓国では在日は蔑まれ差別もまだまだ残ってます、そんな韓国でリムジンガンが取り上げられることで在日に対する理解が少しでも進むことを期待したいです。

 

北へ帰ると異分子扱いされ南からは大変な時に日本で楽しやがって、日本では在日とバカにされ、リムジンガンはそんな私達を癒やしてくれた曲です。

 

リムジンガンを聞くと、私達を理解し手を差しのべ寄り添ってくれた優しかった日本を思い出します。
あの時代を一共に生きてくれたのは、北でも南でもない日本です。
日本も在日という壁を取り払い必死に暮らしてた仲間意識みたいな暮らしがありました。

 

 

 

イ・ランが歌う「イムジン河」とは